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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第五章「生者のための死」

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消した記録

 クララ・ヴェインは、前より機嫌が悪かった。

 少なくともリゼットには、そう見えた。

「何か怒ってる?」

「怒っていません」

「前より声が固い」

「本日は機密原簿の閲覧です。通常より確認事項が多いだけです」

 やはり固かった。

 セドリックが書類を一枚差し出す。


「閲覧許可です」

 クララは受け取った。

 認証を確認する。

 署名を見る。

 さらに別紙を確かめた。

「必要部分のみです」

「承知しています」

「転記は禁止。監察記録へ記載できるのは、今回許可された事実関係だけ」

「分かっています」


「オルディス葬送官も同じです」

「私?」

「閲覧者ですので」

「書かないよ」

「書くかどうかではなく、規則です」

 リゼットはセドリックを見た。

「やっぱり怒ってる」

「始めましょう」


 助けてはくれなかった。

 机の上に、厚い帳簿が置かれた。

 王族機密原簿。

 表紙に特別な装飾はない。

「これが見えなかった方?」

「そういう呼び方はやめてください」

 クララが言う。


「通常閲覧から外れていた記録です」

「同じじゃない?」

「違います」

「どう違うの」

「誰からも見えない記録ではありません。権限を持つ者には見えます」

「私は見えなかった」

「あなたに閲覧権限がなかったからです」

 間違ってはいない。

 リゼットは椅子へ座った。

 クララが該当部分を開く。


「事故当夜。ここです」

 通常移送から王族機密移送へ切り替えられた時刻。

 前に確認した番号もある。

 王璽尚書府系統の認証。

「その次」

 セドリックが言った。

 クララは指を下へ動かした。

 通常簿にはなかった記載。

 移送区分の変更後、遺体はいったん葬送院とは別の受領先へ渡されていた。


「ここ、何?」

 リゼットが聞く。

「医療側の機密処置区画です」

「外傷を扱える?」

「施設上は」

「誰が受け取った?」

「原簿には担当区分までです」

「名前はないの?」

「ここにはありません」

 リゼットがセドリックを見る。


「ドリアン?」

「一冊で決めないでください」

 リゼットは紙へ目を戻した。

「関連記録を」

 セドリックが言う。

 クララは別の封筒を開いた。

 医療側の受領記録だった。

 日付。

 機密処理番号。


 受領区分。

 担当者。

 そこに名前がある。

 ドリアン・メルク。

「いた」

 リゼットが言った。

「はい」


 先ほど、目の前で右肩への処置を認めた男だった。

 記録の時刻も確認する。

 機密移送へ切り替えられたあと。

 葬送院へ受領される前。

 通常記録から抜け落ちて見えていた数時間の中に収まっている。

「何の処置って書いてある?」

「外傷部の追加確認および外観処置」

 クララが読んだ。


「肩とは書いてない」

「はい」

「識別痕も?」

「ありません」

 リゼットは少し考える。

「これだけ見たら変じゃないね」

「事故遺体ですから」

 クララが答えた。


「外傷処置が追加されること自体はあり得ます」

「王族ならなおさら?」

「それもあります」

 医療側で何をしたか。

 この記録だけでは分からない。

 ドリアン本人の説明と合わせて、初めて右肩につながる。

「そのあと」

 セドリックが言った。

 その後の再移送記録が出た。

 医療側での処置を終えた遺体は、機密管理下のまま再び移送され、その後、葬送院で受領されている。


「直接来たわけじゃないんだ」

「通常移送としては記録されていません」

 時刻も確認する。

 ドリアンが処置した時間を挟み、そのあと葬送院の受領時刻へつながっていた。

「記録は残ってる」

「はい。通常簿から機密原簿へ移しただけです」

 クララの声は固かった。

 クララが帳簿を閉じかけた。

 セドリックが手を出す。


「まだです」

「分かっています」

 閉じなかった。

 リゼットは並んだ記録を見る。

 通常移送。

 切替。

 医療側で受領。

 再移送。

 葬送院で受領。


 紙はある。

 なくなってはいない。

 ただ、最初と最後だけを通常側から見ると、その間が抜けている。

「変」

 リゼットが言った。

「何がです」

「消してないのに、消えたみたいになる」

「なりません」

 クララがすぐ答えた。


「権限のない側から見えないだけです」

「私には同じだった」

「同じではありません」

「遺体を受け取った私が、その前にどこへ行ったか知らなかった」

「あなたの処置に必要な情報として指定されていなかったからです」

「肩に何かされたことも」

「それは私は知りません」

 クララの表情が変わった。

「何か、とは?」

 セドリックがリゼットより先に答える。


「今回の確認に必要な範囲で共有します」

 彼はドリアンの調査記録を出した。

 右肩後面。

 生前の古い瘢痕ではなく、死亡後に身体記録へ似せる目的で新たな処置が加えられた。

 実施者はドリアン・メルク。

 クララは紙を読んだ。

 しばらく何も言わなかった。

「この処置が」

 ようやく口を開く。


「この移送区間で行われたと?」

「時刻と受領記録は一致します」

「ドリアン本人も実施を認めました」

 リゼットが言った。

 クララはもう一度原簿を見る。

「私は処置内容を知りませんでした」

「うん」

「医療側へ回す理由も、事故遺体の追加外傷処置としか」

「それも分かってる」

「なら」

 クララの声が少し大きくなった。


「私は命令どおり処理しています」

 リゼットは黙った。

「認証を確認しました。処理種別も正しい。機密区分も正しい。通常簿には切替の事実を残した。原簿にも受領と再移送が残っています」

 一つずつ指す。

「どの記録も消していません」

「責めてない」

「では何を確認しているんですか」

 リゼットは答えに詰まった。

 セドリックが代わった。


「あなたの処理が違法だったかを確認しているわけではありません」

「なら」

「その処理によって、誰が何を見られなくなったかを確認しています」

 クララが止まった。

「葬送院は、遺体が医療側へ一時移送された詳細を知らなかった」

「必要情報では」

「医療側のドリアンは、身元確認がすでに終わった第二王子の遺体だと聞いていた」

「それは私の担当ではありません」

「分かっています」

 セドリックは静かだった。


「身元確認者は、医療側で何が行われたかを知らない。あなたは処置内容を知らない。葬送院は途中経路を知らない」

 クララの目が紙の上を動いた。

「それぞれの部署では、必要とされた情報だけを受け取っている」

「機密案件では当然です」

「私もそう考えていました」

 セドリックが言った。

 リゼットは彼を見た。

 少し妙な言い方だった。


「いました?」

「今も、必要な制度だとは考えています」

「じゃあ何が違うの」

「必要な情報だけに分ければ、全体を知る者が少なくなる」

「そのための制度でしょう」

「はい」

「なら」

「全体を知らなくても、各人が正しい手続を実行すれば、一つの結果を作れる」


 クララは返事をしなかった。

 リゼットにも、すぐには意味が取れなかった。

 目の前の紙を見る。

 クララは正規に移した。

 ドリアンは正式な身元確認済みと聞いて処置した。

 葬送院は王族の遺体として受け取った。

 オスカーは身元確認書へ署名している。

 一つずつの仕事は別だった。

 誰も同じ紙を見ていない。


「嘘を一枚書かなくても」

 リゼットが言った。

 セドリックがこちらを見る。

「できるんだ」

 クララはすぐ反発した。

「私の記録は嘘ではありません」

「うん。だから」

「医療側へ移した。それは事実です」

「分かってる」


「処理時刻も事実です」

「そう」

「なら、私の記録を虚偽の一部と呼ばないでください」

 リゼットは少し考えた。

「記録は嘘じゃない」

 クララを見る。

「でも、その記録が見えないことで、別の嘘が通った」

 クララの口が閉じた。

 否定は返ってこなかった。

 セドリックは別の書類を出した。


「もう一点あります」

 原簿とは別の認証記録。

 医療側への一時移送。

 機密区分の変更。

 再移送。

 各部署で文言が違う。

 発出者の個人名もそろっていない。

 それでも、参照されている認証系統を追うと、同じところへ戻る。

「尚書府」

 リゼットが言った。


「王璽尚書府系統です」

「全部?」

「今回確認できた関連指示は」

 セドリックは三つの番号を並べた。

 末尾も形式も違う。

「同じ番号じゃない」

「部署ごとに処理番号が違います」

「じゃあどうして同じって分かるの」

「上位の認証参照が共通しています」

 クララが答えた。

 その声は仕事の声へ戻っていた。


「各部署の処理番号とは別に、権限系統を確認する参照があります」

「それが尚書府?」

「はい」

「誰がそこでまとめたかは」

 セドリックが首を振った。

「この書類からは出ません」

「アデル本人も?」

「出ません」

 そこはまだだった。

 けれど、一人の医官補佐が勝手に肩を作り、一人の文書担当者が勝手に記録を隠したわけではないことは分かる。

 異なる仕事が、同じ時間帯に同じ権限系統の下で動いている。


「偶然?」

 リゼットが聞いた。

 今度はセドリックがすぐ答えた。

「偶然として扱うのは難しいです」

「誰かが合わせた」

「調整主体があったと考えるのが妥当です」

「誰?」

「そこを追います」

 クララは原簿を見たままだった。


「私が通常簿にも詳細を残していたら」

「規則違反です」

 セドリックは、三つの認証番号へ視線を戻した。

「あなたの処理は規則に沿っています。ただ、虚偽の身元確認を起点に、互いに全体を知らないまま別人を王子として扱う流れができた。その経路を記録します」

 クララは答えず、机上の原簿へ目を戻した。

 机の上には、きちんとした記録しかなかった。

 破られた頁もない。

 削られた名前もない。

 偽の時刻を書き足した跡もない。


「閲覧は以上です」

 クララが言った。

 今度は帳簿を閉じた。

 誰も止めなかった。

 原簿は元の封筒へ戻される。

 関連記録も一枚ずつ確認され、別々の保管箱へ戻っていった。

「これ、また見えなくなる?」

 リゼットが聞いた。

「本来の保管場所へ戻します」

 クララが答える。


「必要なら?」

「正式権限を取ってください」

「面倒」

「必要な面倒です」

 そこは前と変わらなかった。

 最後の紙を受け取るとき、クララの手が一度止まった。

「ドリアン・メルクは」

「何?」

「自分が何をしたか、認めたんですね」

「肩のことは」

「そうですか」


 それだけだった。

 謝罪はなかった。

 自分を責める言葉も。

 リゼットは、それでいい気がした。

 クララが何を選んだのかは、クララについて調べればいい。

 まだ、全部を同じ罪にする段階ではない。

 部屋を出る。

 廊下でセドリックが持ってきた照合表を開いた。

 医療側。


 機密文書側。

 移送側。

 三つの欄の上に、それぞれ違う処理番号が並ぶ。

 そのさらに上。

 同じ認証系統へ線が引かれていた。

「これ、持って帰る?」

「監察記録として保管します」

「原簿は?」

「ここです」

「また見えないね」

「必要なら、また見ます」


 セドリックは照合表を閉じた。

 その言葉には、前ほどの確信がなかった。

 リゼットは何も聞かなかった。

 二人で階段を下りた。

 途中、文書庫の扉が後ろで閉まった。


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