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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第四章「生きている王子」

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侍従長

 身元確認書の主要確認者欄に、その名があった。

 オスカー・レーヴェン。

「侍従長」

「第二王子付きです」

 セドリックが答えた。

「知ってる」

 名前だけなら、ここ数日の記録に何度も出ている。

 旅行支度。

 従者の勤務。

 物品管理。

 第二王子の身辺に関わる書類を追えば、侍従長の名は自然に現れた。


「これ、主要確認者?」

「はい」

 王宮医官の死亡確認とは別の書類だった。

 誰が死んだか。

 その身元を確認した者が署名する。

 王族の場合、近親者だけが遺体を見るとは限らない。日常的に身辺へ仕える上級側近も確認者になり得る。

 オスカー・レーヴェンは、その条件に十分当てはまっていた。


「事故のあと、本人が見た?」

「記録上は」

「顔も?」

「そこまで書いてありません」

「何を見て確認したかは?」

「確認事項はあります。ただ、細かい判断過程までは」

 リゼットは紙を裏返しかけて、やめた。

 裏には何もない。


「聞くのね」

「今日、時間を取っています」

「早い」

「昨日までに確認者は絞っていましたから」

「言ってなかった」

「確定していなかったので」

 最近、似た会話が増えた。

 リゼットはそれ以上言わなかった。

 別の記録を見る。


 オスカー・レーヴェン、四十四歳。

 第二王子付き侍従長。

 ルシアンの身辺を統括し、従者たちの勤務にも関わる。

「エリオのことも知ってる?」

「知っていたはず、ではなく、知っています」

「どのくらい」

「直属の上位者です」

 リゼットは顔を上げた。


「毎日見る?」

「勤務が重なれば」

「王子も」

「当然」

 机の上には二人の名前がある。

 ルシアン・エルヴァ・ヴァレーヌ。

 エリオ・レン。

 年齢は一つ違い。

 体格は近い。

 それだけなら、事故後の取り違えはまだ説明できる。

 だが、オスカーは二人とも知らない人物ではなかった。


「私より分かるね」

「何がです」

「二人の違い」

「少なくとも、生前の二人を実際に知っています」

 リゼットは身元確認書へ目を戻した。

 署名は整っていた。

 何度見ても、そこから間違えた理由は出てこない。


「会おう」

「そのために呼んでいます」

「じゃあ早く言って」

「言いました。今日、時間を取っていると」

 扉が叩かれた。

 二人ともそちらを見た。

「どうぞ」

 入ってきた男は、まずセドリックへ礼をし、それからリゼットを見た。

 姿勢の崩れない男だった。


「オスカー・レーヴェンです」

「王宮監察官、セドリック・ハルヴェイです。こちらは王宮葬送官のリゼット・オルディス」

「存じています」

 リゼットは少し意外だった。

「私を?」

「第二王子殿下の遺体疑義書を提出された方ですから」

「ああ」


 それなら知っていても不思議ではない。

 オスカーが席へ着く。

 落ち着いていた。

 緊張していないのか、していても見せないのかは分からない。

 リゼットは人の顔で決めないことにした。

「第二王子殿下の身元確認について、改めて確認します」

 セドリックが始めた。


「こちらの署名はあなた自身のものですね」

「はい」

「確認時、遺体を直接見ていますか」

「見ています」

「どのように身元を判断しました」

 オスカーはすぐに答えなかった。

 記憶をたどっているように見えた。

「事故状況。着用していた衣服。装身具。体格です」

「顔は?」

「顔面の損傷が大きく、顔だけで確認できる状態ではありませんでした」

 リゼットが身を起こす。


「顔で確認したわけじゃない?」

「はい」

「でも、殿下だと思った」

「そうです」

「衣服が殿下のものだったから?」

「それだけではありません」

 オスカーの声は変わらない。

「殿下が乗っていたと報告された車両の事故です。衣服と装身具も殿下のもの。体格にも大きな違いはない。それらを合わせて判断しました」

「右肩は?」

 リゼットが聞いた。

 セドリックは止めなかった。


「確認されています」

「あなたが?」

「身体記録にある識別箇所として、医療側から説明を受けました」

「触った?」

 オスカーが一度だけ間を置いた。

「いいえ」

「見ただけ?」

「はい」

 リゼットは自分が朝見た右肩を思い出した。

 位置だけなら、記録によく合う。

 見ただけなら、古い深傷として不自然なことまで分からなくてもおかしくない。


「手は?」

「見ています」

「何か思わなかった?」

「何を、でしょう」

「殿下の手と違うとか」

 オスカーはリゼットを見る。

「私は、殿下の手の皮膚の状態を葬送官ほど詳しく見ていたわけではありません」

「でも毎日見てたでしょう」

「手を見ることと、掌の硬化や爪周辺まで記憶することは違います」


 返されて、リゼットは黙った。

 正しかった。

 自分でも、妹の手のどこが硬いかまでは知らない。

 毎日会うことと、身体所見を覚えていることは別だった。

「足は?」

「履物を脱がせて確認はしていません」

「どうして」

「身元確認のための全身検査をしたわけではないからです」

「でも身元を決めた」

「確認しました」

 言い直された。


「私一人で法的身元を決定したわけではありません」

 セドリックが口を開く。

「その点は記録上もそうなっています。ただ、あなたの確認書が王族死亡手続に使われたことも事実です」

「承知しています」

「現在、その身元に疑義が出ています」

「それも」

「では、改めてお聞きします。当時の判断に間違いがあった可能性は?」

 オスカーは少し黙った。


「現在の調査結果を前提にするなら、あるのでしょう」

「当時は?」

「殿下だと判断しました」

 答えは変わらなかった。

「エリオ・レンを知っていますね」

 セドリックが聞いた。

「もちろんです」

「どの程度」

「第二王子付きの従者です。私の管理下で勤務していました」


「体格も知っていた」

「はい」

「殿下と似ていた?」

「近い部分はあります」

「平時なら見分けられますか」

 初めて、オスカーの眉がわずかに動いた。

「当然です」

 リゼットはその答えを聞いた。

「じゃあ」

 口にする。


「壊れた顔だったら、分からなくなる?」

 オスカーはすぐには答えなかった。

「条件が重なれば」

「条件?」

「顔が確認できない。殿下の衣服を着ている。殿下の装身具を身につけている。事故に遭った車両も殿下のものだと報告されている。体格も大きく違わない」

 そこで止まる。

「私は、その状況で殿下だと判断しました」

「エリオかもしれないとは?」

「当時は考えませんでした」


 リゼットは彼を見る。

 声は同じだった。

 言い淀んでもいない。

 怒りもしない。

 こちらを説得しようともしていなかった。

 ただ、自分が何を根拠に署名したかを答えている。

「エリオが行方不明だと知ったのは?」

 セドリックが尋ねた。


「事故後の所在確認が始まってからです」

「身元確認時には?」

「従者全員の所在まで確認していませんでした」

 セドリックが記録する。

「では、確認時点では『エリオが所在不明だから遺体かもしれない』という材料は持っていなかった」

「はい」

 話としては通る。

 リゼットには、それが気に入らなかった。

「オルディスさん?」

 セドリックが呼んだ。


「何」

「質問があれば」

「あの身体」

 リゼットはオスカーを見る。

「私は、エリオ・レンの身体情報と高度に一致すると所見を出しました」

「聞いています」

「手も、足も」

「はい」

「あなたは二人を知っていた」

「知っています」

「それでも間違えた?」


 セドリックが少しこちらを見たが、止めなかった。

 オスカーはしばらく黙った。

「そうであった可能性はあります」

「そうであった?」

「あなたの所見が正しいのであれば」

「正しいと思ってる」

「あなたは専門家です」

「あなたも二人を知る専門家みたいなものでしょう」

 オスカーの目が少し細くなった。


「人に仕えることは、身体を見分ける専門ではありません」

 リゼットは返事をしなかった。

 きれいな答えだった。

 だが、間違ってもいない。

 セドリックが質問を引き取った。

「確認を続けます。事故当日の王子の行程について、あなたがどこまで把握していたか」

 そこからは、身元確認そのものから少し離れた。

 出発予定。

 従者の配置。


 荷物の管理。

 ただし、事故当夜の移動経路について新しく確定するものはなかった。

 オスカーは聞かれたことへ答えた。

 知らないことは知らないと言った。

 推測を足さない。

 クララとは違う。

 だが、余計なことを言わないところは似ていた。

 確認が終わる。


「本日は以上です」

 セドリックが言った。

 オスカーは立ち上がった。

「一つよろしいですか」

「どうぞ」

「殿下の国葬準備は、現在も進んでいると聞いています」

「進んでいます」

「身元再確認の結果は、いつ出ますか」

 セドリックはすぐには答えなかった。


「まだ分かりません」

「そうですか」

 オスカーはそれ以上聞かなかった。

 リゼットを見る。

「遺体の状態は?」

「保たせてる」

 答えてから、少し足した。


「でも、ずっとは無理」

「承知しました」

 深く頭を下げることはなかった。

 普通に礼をし、部屋を出た。

 扉が閉じる。

 リゼットはしばらく黙っていた。

「どう思います?」

 セドリックが聞いた。


「あなたから聞くの珍しい」

「感想ではなく、説明に身体上の矛盾があるかです」

「ない」

 それが嫌だった。

「顔は壊れてた。服も装身具も本物。体格も近い。肩は見ただけなら記録に合ってるように見える」

「手は?」

「私みたいに見てなければ、分からなくてもおかしくない」

「足も確認していない」

「うん」

 セドリックは記録を閉じなかった。


「では、オスカー・レーヴェンが誤認した説明は成立する」

「する」

「納得しました?」

「してない」

「そこは別ですね」

「あなたは?」

「説明は成立しています」

「それだけ?」

「偽証だと判断できる証拠もありません」


 リゼットは身元確認書を取った。

 オスカーの署名。

 その下には確認日と時刻。

 正式な書式。

 必要な印。

 全部揃っている。

「この人、エリオの上司だったんだよね」

「はい」

「ルシアン殿下にも毎日仕えてた」


「そうです」

「二人を見分けられるって本人も言った」

「平時なら」

「事故の日だけ間違えた」

 セドリックは返事をしなかった。

「変でしょう」

「不自然ではあります」

「じゃあ」

「不自然と虚偽は同じではありません」


 また止められた。

 でも、今度は腹が立たなかった。

 その区別は必要だった。

「何を調べる?」

「当時、オスカーが知っていた情報です」

「遺体を見る前?」

「前と後。エリオの所在をいつ把握したのか。事故状況を誰から聞いたのか。身元確認に使った情報がどこから来たのか」

「本人の言葉だけじゃなくて?」

「もちろん」


 セドリックは身元確認書の写しを取るため、別の紙と重ねた。

 リゼットは原本をもう一度見た。

 オスカー・レーヴェン。

 二人をよく知る男が、その名前で確認した。

 今のところ、それは間違いだったのかもしれない。

 そうではないのかもしれない。

 署名だけでは、どちらにも動かなかった。


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