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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第四章「生きている王子」

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肩の傷

 翌朝、追加の身体記録が届いた。

「全部?」

 リゼットは紙束を持ち上げた。

「確認できた範囲では」

 セドリックが答える。

「多い」

「二十五年分ですから」

「毎年、身体のことを書いてるの?」

「毎年ではありません」


 王族の診療記録、幼少期の怪我、成長後の健康確認。

 記録の形も書いた者も一定ではなかった。

 リゼットは紙束を机へ置いた。

「先に身体を見る」

「どうぞ」

 処置台の覆いを外す。

 もう何日も繰り返している作業だった。

 最低限保存。

 状態確認。


 乾きが進んだ場所。

 以前より見えにくくなったところ。

 最初の記録と比較しなければ、今日の状態だけから分からないことも増えている。

 リゼットは必要な処置を済ませた。

 時刻を書く。

 使用したものも記録する。

 そのあとで、身体を少し横へ向けた。

 右肩後面。

 痕はそこにある。

 最初に見たときから、位置は変わらない。

 当たり前だった。


「記録、最初のを」

 セドリックが机から一枚取った。

「触らないで」

「身体には触っていません」

「紙じゃなくて、近すぎる」

 一歩下がった。

「これで?」

「うん」


 リゼットは肩へ指を置いた。

 形を見る。

 触れる。

 皮膚をわずかに動かす。

 引かれる方向を確かめる。

「どうです」

「前と同じ」

「つまり?」

「古い傷として変」

 今度は言い切った。

 セドリックが記録を見る。


「以前は、記録誤差の可能性を残していました」

「残してた」

「今は?」

「それを確認する」

 リゼットは手袋を替え、机へ移った。

「古い順」

「こちらです」


 最初の記録は、ルシアンが幼い頃のものだった。

 右肩後方を深く裂傷。

 治療。

 その後の経過。

 細かな表現は違っても、傷の位置そのものは明確だった。

「これを書いた人は?」

「当時の王宮医官です。すでに退任しています」

「次」

 数年後。

 別の診療時に、既往の傷として右肩の痕が記録されている。


「これも同じ場所?」

「記載上は」

「形は?」

「おおむね同じです」

 さらに後。

 成長期を過ぎてからの記録。

 右肩の古傷について、また短い記載がある。

 書き方は簡潔だった。

 だが、傷そのものが消えたとは書かれていない。


「人が違う」

 リゼットが言った。

「記録者ですか」

「うん」

 同じ一人が、最初から最後まで書き続けたわけではない。

 別々の時期に。

 別々の医官が。

 同じ右肩の古傷を記録している。


「最初の記録だけ間違ってた、では説明しにくい」

「複数の記録が同じ特徴を拾っているから?」

「それも」

 リゼットは最も古い記録と、後年のものを並べた。

「深い傷だったことも」

「現在の痕と違う?」

「違う」

「見た目が?」

「見た目だけじゃない」

 再び処置台へ戻る。

 右肩へ触れる。


「古い傷は、ただ線が残るだけじゃない」

「では?」

「治った身体になる」

 セドリックは黙って待った。

「皮膚も、その下も、傷があったまま治っていく。この記録なら、かなり昔の傷でしょう」

「幼少期です」

「なら、今ここにあるのは、ずっと前に傷ついて治った場所のはず」

 指先で周囲の皮膚を動かす。


「でも、そう触れない」

「どう触れます?」

「浅い」

 リゼットは言った。

「少なくとも、記録にある深い傷が長く治った場所としては」

「表面だけ似ている?」

「そう見える」

 セドリックが一歩近づいた。

 今度はリゼットも止めなかった。


「位置は?」

「近い」

「形も」

「記録の書き方と比べるなら、近い」

「なのに、身体としては合わない」

「うん」

 しばらく誰も話さなかった。

 リゼットは身体記録を一枚持ってきた。

 処置台の脇で読む。


 右肩後方。

 古い裂傷。

 位置。

 形。

 それから、目の前の痕を見る。

「変」

「昨日までも言っていました」

「違う」

「何が」

「変な理由」

 リゼットは記録を机へ戻した。


「最初は、記録が間違ってるか、この人にたまたま別の傷があるかだと思ってた」

「はい」

「でも、この位置」

 肩を指す。

「記録には合いすぎてる」

 セドリックの視線が痕へ移った。

「身体には合わないのに?」

「そう」


 口にすると、やっと形になった。

 記録と身体が一致していない。

 これまでは、それを単純な食い違いだと思っていた。

 記録が不正確。

 身体に偶然似た痕があった。

 事故によって状態が変わった。

 いくつも考えた。

 けれど、違う見方もできる。

「記録を見て」

 リゼットが言った。


「ここに傷があるようにした?」

 セドリックはすぐには答えなかった。

「誰かが?」

「可能性」

 彼がいつも使う言葉を、今度はリゼットが使った。

「古傷があったから記録と合ったんじゃなくて、記録に古傷があるから、そこへ痕を作った」

「それなら、場所が合って身体が合わないことを説明できる」

「うん」

「事故による傷が偶然同じ位置へできた可能性は?」


「残る」

「別人にも、昔から似た傷があった?」

「残る」

「保存や事故で古傷の見え方が変わった?」

「それも全部ゼロにはできない」

 セドリックは頷いた。

「では、工作と断定はできない」

「まだ」

 リゼットは右肩を見た。


「でも、私は自然な古傷としては扱わない」

 そこは決められた。

 追加の処置記録を開く。

「何と書きます?」

「考えてる」

 ペンを持つ。

 右肩後面の痕。

 過去の複数身体記録にある、幼少期の深い裂傷瘢痕と位置・外形は近似。

 そこで止まる。


「近似、固い?」

「あなたの記録でしょう」

「聞いただけ」

「意味は通ります」

 続きを書く。

 現在の痕は、長年経過した深い裂傷の治癒後所見としては整合しない。

 原因不明。

 既存身体記録の特徴へ似せるための処置が行われた可能性を排除できない。

 リゼットは読み返した。


「弱い?」

「いいえ」

「強すぎる?」

「あなたがそう判断できるなら」

「できる」

 署名した。

 セドリックは写しを受け取る。


「では、次は誰が可能だったかです」

「身体記録を見られる人」

「それだけでは足りない」

「こういうことができる人」

「どの程度の技術が必要です?」

 リゼットは困った。

「何をしたか分からない」

「痕を作ったとして」

「切ればいいって話じゃない」

「医官?」

「決めないで」


 返事が速くなった。

「医官ならできる人はいると思う。でも、医官だけじゃない」

「例えば」

「遺体を扱う技術がある人」

「葬送院?」

「うちにも、皮膚を整える人間はいる」

「あなたも?」

「できるかもしれない」

 セドリックが顔を上げた。


「あなたが?」

「何その顔」

「いえ」

「事故で崩れた部分を、生前に近く見せる仕事でしょう。やり方は違っても、皮膚を扱う」

「では葬送官も候補になる」

「職種だけなら」

「ほかは?」

「外傷をよく扱う人。兵士の治療に慣れてる人とか。職人でも、身体を扱う仕事なら全部は知らない」

「範囲が広い」

「私に言わないで」

「あなたが広げたんですが」


 セドリックは何も言わず、調査用紙へ書いた。

 身体記録へのアクセス。

 遺体へ接触できる機会。

 一定の処置技術。

 三つ。

「昨日の数時間も必要ですか」

 リゼットが聞く。


「必要かもしれません」

「また可能性」

「便利でしょう」

「ちょっと」

 笑いそうになったが、やめた。

「でも、葬送院に来てからは?」

「あなたが受け取っています」

「一次保存の前からずっと?」

「記録上は」


「私以外にも人はいたけど、肩へ勝手に手を入れられる状態じゃない」

「では、来院前の方が可能性は高い?」

「この痕を作ったなら」

 セドリックは前日の機密移送記録を出した。

 数時間。

 何が行われたのか、通常側からは見えない時間。

「つながる?」

 リゼットが聞いた。


「まだです」

「でも時間はある」

「あります」

「記録もどこかにある」

「身体記録へのアクセス経路は調べます」

「処置できる人も」

「調べます」

 リゼットは処置台へ戻った。


「もう一回見る」

「まだ?」

「今度は書いたあと」

「何が違うんです」

「書いたことが本当に合ってるか確認する」

「逆では?」

「だから確認するの」


 右肩を見る。

 今度は、「作られた痕」だと思わないようにした。

 自分で仮説を出したあとほど、そう見えてしまう。

 古い傷だとしたら。

 事故でできた傷だとしたら。

 別人が以前から持っていた傷だとしたら。

 一つずつ戻して見る。

 位置はやはり、ルシアンの記録へ近い。

 それなのに、古い深傷が長く治った場所として触れたときの感触が続かない。


「変わらない」

 リゼットが言った。

「所見が?」

「うん」

 追加記録は訂正しなかった。

 覆いを戻す。

 セドリックは机の横で、三つの条件を見ていた。


「身体記録へのアクセス」

「うん」

「処置技術」

「うん」

「遺体へ接触できた時間」

「それ」

 リゼットは最後の一つを指した。

「時間だけは、もう見つかってる」

 セドリックが前日の資料を閉じた。


「では、残りを調べます」

「医官だけじゃなくて」

「聞いています」

「葬送院も」

「あなたも含めますか」

「必要なら」

「分かりました」

 即答だった。


「本当に入れるの?」

「候補から自分だけ外せと言われても困ります」

「言ってないけど」

「なら問題ありません」

 リゼットは少しだけ考えた。

 自分の職種も調べられる。

 面白くはない。

 けれど、それでよかった。


「身体記録を見られた人からお願い」

「処置技術より先に?」

「記録に似すぎてるから」

 セドリックは頷いた。

 身体記録への閲覧経路。

 遺体へ接触できた者。

 二つを調査項目へ書き加えた。

 リゼットは処置台の覆いを戻した。


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