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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第四章「生きている王子」

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王子のいない遺品

 午後、リゼットは第二王子の部屋にいた。

 初めてだった。

 王族の居室へ入る機会など、葬送官にはほとんどない。

 死ねば王族も処置室へ来る。

 生きている間の部屋へ、こちらから行くことはない。

「触らないでください」

 前を歩いていたセドリックが言った。

「まだ何もしてない」

「エリオ・レンの部屋でも、同じことを言いました」

「覚えてる」

「なら結構です」


 居室の管理担当者が二人の少し後ろについている。

 扉を開けたのも、収納を開けるのも彼だった。

 第二王子が死んだと公表されてから、私室は封鎖こそされていないものの、出入りが管理されているという。

 リゼットは部屋を見た。

 広い。

 エリオの居室と比べる必要もないほど広かった。

 寝台。

 机。

 本棚。


 衣服を収める大きな収納。

 奥にはもう一室ある。

 けれど、思っていたより物が少なかった。

「王子って、もっと物を持ってると思ってた」

「持っています」

 セドリックが答えた。

「ここにあるでしょう」

「もっと」

「何を想像していたんです?」

「分からない」

「では、少ないとも言えないでしょう」


 それもそうだった。

 管理担当者が収納を開いた。

 中には衣類が並んでいる。

 礼装。

 普段用の上衣。

 季節ごとに使い分ける外套。

 箱に収められた小物。

 別の棚には靴もあった。


「全部、記録があるの?」

「王族用品については、基本的には」

 セドリックは分厚い目録を机へ置いた。

 すでに王家の物品管理記録とも照合しているらしい。

「これを全部見る?」

「はい」

 リゼットは目録の厚さを見た。


「今日中に?」

「できれば」

「無理じゃない?」

「やる前から決めないでください」

 言われたので座った。

 最初は簡単だった。

 礼装一式。

 ある。

 冬用外套。


 ある。

 儀礼用の帯。

 ある。

 乗馬用の手袋。

 ある。

 靴。

 ある。


「面白くない」

「何を期待しているんです」

「何かないもの」

「探しているのはそれです」

 セドリックは目録へ印を付けた。

 ただし、印の大半は「確認済み」だった。

 部屋には多くの品が残っている。

 逃げる人間が持っていきそうだ、とリゼットが勝手に考えた衣服も残っていた。

 高価な装身具もある。

 金も、管理記録上大きく減った形跡はない。


「逃げた人の部屋には見えない」

 口にすると、セドリックが顔を上げた。

「誰が逃げたんです?」

「まだ誰も」

「そうしてください」

「でも、調べてるんでしょう」

「現在は、ルシアン殿下本人の所在につながる情報を確認しています」

「同じじゃない?」

「違います」

「どこが」

「逃亡を前提にすると、残っている物まで『わざと残した』と説明したくなる」


 リゼットは収納を見る。

「できるね」

「でしょう」

「じゃあ、しない」

「お願いします」

 確認を続けた。

 しばらくして、最初の空欄が出た。


「これ」

 リゼットが指を置く。

 旅の際に使う薄手の上衣。

 私物目録には二着。

 収納にあるのは一着だった。

「もう一着は?」

 管理担当者が記録を見る。


「洗い、ではありません」

「事故のときに着てた?」

「回収品にはありません」

 セドリックが事故現場の物品記録を開く。

 遺体にもなかった。

「じゃあ、ない」

「今のところは」


 所在未確認。

 セドリックが横に記す。

 一つ目。

 それだけなら何でもなかった。

 衣服は別の場所へ移される。

 従者が預かることもある。

 記録漏れもあり得る。

 次に出たのは、小さな革の携帯袋だった。


「何を入れるの?」

「旅先で使う身回り品だそうです」

 管理担当者が答えた。

「中身は決まってない?」

「細かな物をまとめるためのものです」

「袋だけ?」

「はい」

 これも居室にない。

 事故現場にもない。

 遺体所持品の記録にもない。


「袋なんて、なくすでしょう」

 リゼットが言った。

「なくしますね」

 セドリックも否定しなかった。

「じゃあ弱い」

「強い必要がありますか?」

「証拠なら」

「今は欠品を確認しています」


 また印が付いた。

 次は旅用の手袋だった。

 普段使っていたものとは別に、長距離移動時に使う一組が目録にある。

 ない。

 その次は、小型の筆記具を収める革包み。

 内側の留め金を一度取り替え、修理工房の小さな刻印が残っていることまで補修記録にあった。

 これもない。

「何か揃ってきた」

 リゼットが言う。


「何がです」

「旅に使うもの」

「そうですね」

「上衣。袋。手袋。筆記具」

「並べれば」

「旅に出るみたい」

「並べれば、そう見えます」

 セドリックが言った。


「だから並べすぎないでください」

「どういう意味?」

「別々に理由があるかもしれない」

 上衣は衣類管理の間違い。

 袋は紛失。

 手袋は従者が別に保管。

 筆記具は王子が以前から別の場所へ置いていた。

 それぞれなら説明できる。


「全部一緒に持っていった可能性もある」

「あります」

「誰が?」

「分かりません」

「殿下本人」

「可能性」

「エリオ」

「可能性」

「別の従者」

「同じです」

 リゼットは目録へ顎を向けた。


「あなた、何でも可能性って言えば済むと思ってる?」

「今の段階では便利な言葉です」

「ずるい」

「断定するよりは」

 さらに確認した。

 今度は見つかる物が続いた。

 本。

 私信を収めた箱。

 室内用の衣類。


 古い手袋。

 予備の靴。

 装身具。

 旅先でも使えそうな物まで、かなり残っている。

「本当に逃げる準備なら、変ね」

 リゼットが言った。

「何がです?」

「持っていく物が中途半端」

「そうですね」


「もっと持っていけばいいのに」

「逆に、急いでいたのかもしれない」

「最小限にしたとか」

「そう考えることもできます」

「また」

「ですから、まだ逃亡とは扱いません」

 セドリックが欠品欄を指した。


「今分かっているのは、これらの所在が確認できないことだけです」

 リゼットは口を閉じた。

 目の前の身体なら、ないものよりあるものを見る。

 傷がない。

 痕がない。

 そういうことも情報にはなる。

 けれど、物の不在はもっと扱いにくい。

 そこにない理由が多すぎる。

 夕方になった。

 管理担当者が茶を持ってきた。

 二人分。


「ありがとうございます」

 セドリックが受け取り、机の端へ置く。

 リゼットはすぐ飲んだ。

「熱い」

 舌を引っ込める。

「当たり前でしょう」

「あなたも飲めば」

「あとで」


 目録をめくっている。

 しばらくして、リゼットの茶は半分になった。

 セドリックの茶には手が付いていない。

 またしばらく経つ。

「飲まないの?」

「飲みます」

「冷めるよ」

「冷ましています」

 リゼットは彼を見る。


「わざと?」

「熱いのは急いで飲めないので」

「さっき私に『当たり前』って言った」

「熱い茶が熱いのは当たり前です」

「嫌いなの?」

「嫌いではありません」

「面倒ね」

「今それを言いますか」

 セドリックはようやく茶を取った。

 一口飲む。


「これくらいでいい」

「もうぬるいでしょう」

「ちょうどいいです」

 初めて知った。

 ただ、それだけだった。

 作業へ戻る。

 外が暗くなり始めても終わらなかった。

 事故時の携行品。

 王子居室。


 従者側の受領記録。

 洗いや修理に出された品。

 別施設への貸出し。

 同じ品でも記録が複数に分かれている。

「これ、葬送記録より面倒」

「比較対象が間違っています」

「死者の所持品なら、もっと少ない」

「生きている人間の物は動きますから」

 リゼットは手を止めた。

 セドリックは気づかず次の紙を見ている。

 今の言葉を何かに結びつける必要はなかった。


「お腹空いた」

 リゼットが言った。

「そうですか」

「あなたは?」

「別に」

「何時だと思ってる?」

 セドリックが窓を見た。

 そこで初めて暗さに気づいた顔をした。


「……もうそんな時間ですか」

「時計見てないの?」

「見ていました」

「見てないでしょう」

「時刻の照合には」

「自分の時間は?」

 返事がなかった。

 リゼットは机の端を見る。

 茶は飲み終わっている。

 食べ物はない。


「昼は?」

「食べました」

「いつ?」

「昼に」

「それは分かる」

「なら聞かないでください」

「夕食」

「まだです」

「忘れてた?」

「作業が終わってからでいいでしょう」

「終わる?」


 二人で目録を見る。

 まだ残っている。

 セドリックが黙った。

「忘れてたんでしょう」

「後回しにしていただけです」

「同じ」

「違います」

 この前、マリエルにも似たことを言われた気がする。

 忘れていない。今思い出した。

 人は自分に都合よく言葉を変えるらしい。


「何です?」

「別に」

 管理担当者へ頼み、簡単に食べられるものだけ用意してもらった。

 パンと冷たい肉。

 干した果物。

 セドリックは礼を言い、そのまま書類を読み続けようとした。

「食べて」

「読めます」

「紙に落とす」

「落としません」

「いいから」


 セドリックがリゼットを見る。

「あなた、急にうるさくなりましたね」

「お腹が空いてる人を見ながら食べるの嫌」

「私は空腹だと言っていません」

「じゃあ私だけ食べる」

「どうぞ」

 リゼットはパンを取った。

 二口食べた頃、セドリックも一つ取った。

 何も言わなかった。


 リゼットも言わない。

 食べながら目録を見た。

 最後の確認が終わった頃には、すっかり夜になっていた。

 机には、所在を確認できなかった品が四つ残った。

 薄手の旅用上衣。

 小さな革の携帯袋。

 長距離移動用の手袋。

 携帯用筆記具の革包み。

 セドリックが一つずつ確認する。


「事故現場回収品にはなし」

「うん」

「遺体所持品にもなし」

「ない」

「居室にもなし」

「見た」

「現在の保管先も確認できず」

 最後の欄へ記入する。

 所在未確認。

 同じ文字が四つ並んだ。


「これで、殿下が持って出たとは書かないのね」

「書けません」

「一緒に消えてるのに」

「一緒に消えたかどうかも、まだ分かりません」

「全部、別々に?」

「それも分からない」

 リゼットは椅子の背へもたれた。

「何なら分かるの」

 セドリックは目録を閉じた。


「四点とも、今あるべき場所を確認できない」

「それだけ?」

「今日は」

 物足りなかった。

 けれど、さっき自分が書いた所見も似たようなものだった。

 分かる範囲だけを書く。

 その外まで名前を付けない。


「じゃあ、それで」

「珍しく素直ですね」

「前にも言った?」

「言いました」

「いつ」

「覚えていません」

「嘘」

「記録していないので」


 セドリックは書類をまとめた。

 空になった茶器を端へ寄せる。

 冷めるまで放っておいた茶。

 食事の時間も忘れる男。

 リゼットはその二つを記録しなかった。

 欠品一覧だけを確認する。

 四つ。

 どれも、それだけでは何も証明しない。

 セドリックが最後の行へ署名した。


 そこに書かれたのは、逃亡でも生存でもなかった。

 所在未確認。


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