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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第三章「エリオ・レン」

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従者の部屋

エリオ・レンの居室の前で、リゼットは待たされた。

「まだ?」

「まだです」

 セドリックは扉ではなく、手元の書類を見ている。

「鍵はあるでしょう」

「鍵があれば入っていいわけではありません」

「本人はいない」

「だからです」

 言われて、リゼットは黙った。

 少し離れたところに、部屋を管理している男が立っていた。鍵を持っているのは彼だった。

 セドリックが書類の最後まで確認し、署名する。


「お願いします」

 そこで初めて鍵が差し込まれた。

 扉が開く。

「先に入っていい?」

「私が先です」

「どうして」

「監察だからです」

「私は何をするの」

「勝手に触らない」

「それだけ?」

「今のところは」


 不満だったが、間違ってはいない。

 セドリックが部屋へ入ったあと、リゼットも続いた。

 広くはなかった。

 寝台。

 机。

 椅子。

 壁際の小さな棚。

 物は多くないが、空の部屋でもない。

 誰かが引き払った後のように整っているわけでもなかった。


 机には冊子が一冊開いたまま伏せられている。

 その横に、小さなインク壺。

 蓋は載せられていたが、きちんと閉じられていない。

 セドリックが覗いた。

「触らないでください」

「触ってない」

「先に言いました」

「今、見るだけだった」

「なら問題ありません」

 リゼットは眼鏡を押し上げた。


「面倒」

「聞こえています」

 棚には櫛があった。

 立派なものではない。

 歯の一本が少し曲がっている。

 その隣には、何度も使われたらしい器が二つ重ねて置かれていた。

 王子付き従者の部屋、と言われなければ分からない。

 王家の紋章があるわけでもない。

 高価な装身具が並んでいるわけでもなかった。


「いつから戻っていないの」

 リゼットが聞く。

「事故当夜から、というのが今の確認です」

 セドリックは机の上を記録していた。

 冊子の位置。

 筆記具。

 紙。

 何がどこにあったか。


「それ、全部持っていく?」

「いいえ」

「証拠じゃないの?」

「部屋にあるもの全部を証拠品にするつもりですか」

「しないの?」

「必要なものだけです」

 リゼットは部屋を見回した。

 葬送院では、死者と一緒に来たものは記録する。

 衣服。


 装身具。

 副葬品。

 身体の近くにあったもの。

 ここは違う。

 エリオがいなくなったあとも、彼のものが置かれている。

 だからといって、その全部が彼の不在を説明してくれるわけではない。

「これは?」


 リゼットは指だけで机の隅を示した。

 小さな包みがあった。

 布ではなく、紙で包まれている。

 紐は掛けられているが、結び目がまだ緩い。

 セドリックが近づいた。

「宛名はありません」

「開ける?」

「理由があれば」

「今は?」

「ありません」


 そのままになった。

 リゼットは意外に思った。

「開けないのね」

「何かあると期待していますか」

「別に」

「なら開けません」

 言いながら、セドリックは存在だけ記録した。

 包みの大きさ。

 置かれていた場所。


 封がされていないこと。

 中身は見なかった。

 寝台の脇には衣服が掛けられていた。

 仕事着らしいものと、もっと簡素なもの。

 一枚だけ、片方の袖口が裏返されている。

 縫い物の途中だった。

 針が布へ差したままになっている。

「自分で直すんだ」

 リゼットが言った。


「そう見えますね」

「従者なのに」

「従者は服を繕わないんですか」

「知らない」

「なら、そういう言い方をしない方がいい」

 腹が立った。

 もっともだったからだ。

 リゼットは袖から目を離した。

 別の棚には手袋があった。


 仕事で使うものらしい。

 その横にも細かな道具がいくつかある。

 リゼットは近づかなかった。

 処置台の手が頭に浮かぶほどではなかった。

 従者なら仕事道具がある。

 今分かるのはそれだけだった。

「人事記録も持ってきました」


 セドリックが言った。

 机の空いた場所へ書類を置く。

 エリオ・レン。

 二十六歳。

 未婚。

 第二王子付き従者。

 所属歴。

 給与記録。

 緊急連絡先。

 リゼットの目がそこで止まった。


「姉?」

「はい」

「地方?」

「そうです」

 住所も書かれていたが、土地の名を見てもリゼットには距離がすぐには分からなかった。

「連絡するの?」

「まだです」

「どうして」

「現在は所在確認です。家族が何かに関与している材料もありません」


「でも、行方不明でしょう」

「そうです」

「家族なら知らない?」

「尋ねる可能性はあります」

 セドリックは書類を閉じなかった。

「ただし、順番があります。勤務状況と王都内の所在確認を先に終えます」

「姉の家へ行ってるかもしれない」

「その可能性も確認します」

「じゃあ聞けば早い」

「家族を便利な照会先として扱う前に、こちらで確認できるものを確認します」

 リゼットは人事記録を見た。


「姉は捜査対象じゃない?」

「今のところ違います」

「なら、その方がいい」

 セドリックが顔を上げた。

「珍しく素直ですね」

「何が」

「いえ」


 続きを言わなかった。

 リゼットも聞かなかった。

 両親についての欄には、すでに故人であることが記されていた。

 緊急連絡先は姉一人。

 名前と住所。

 それだけだった。

 姉と仲がいいのか悪いのか。

 最後に会ったのはいつか。

 何を話すのか。

 人事簿には書かれていない。

 机にあった小さな包みが姉のものなのかどうかも分からなかった。


「手紙は?」

 セドリックが机の紙を確認している。

「何かあった?」

「途中まで書いたものがあります」

「事件のこと?」

「まだ読みません」

「どうして」

「まず文書の性質を確認します」

「また順番」

「大事ですよ」


 紙を持ち上げることもせず、上から見える範囲だけ確認する。

 私信らしい。

 王宮の業務書類ではない。

 宛先も、今の位置からは分からなかった。

 セドリックは別の紙に記録した。

「必要なら正式に確認します」

「今は置く?」

「はい」

 リゼットは冊子へ目をやった。

 伏せられたままだ。


「あれは?」

「読み物でしょう」

「何を読んでたの」

「知りたいですか」

「ちょっと」

「事件に関係します?」

「たぶんしない」

「なら、今はそのままで」


 つまらない。

 けれど、納得した。

 調査のために部屋へ入ったからといって、住んでいた人間のものを何でも開いていいわけではない。

 セドリックは必要なものだけを確認している。

 リゼットも遺体を扱うとき、必要がないところまで傷つけたりはしない。

 勝手に冊子を開くのはやめた。

 確認にはしばらく掛かった。

 引き出し。

 衣服。


 業務用の書類。

 持ち出されているものがないか、備品記録とも照らす。

 大きな発見はなかった。

 失踪の理由を書いた手紙もない。

 第二王子についての秘密文書もない。

 どこかへ逃げるための支度がまとめられているわけでもなかった。

「何もない」

 リゼットが言った。


「いろいろあります」

「そうじゃなくて」

「分かっています」

 セドリックは書類を揃えた。

「所在を説明するものは、今のところありません」

「出ていった理由も?」

「ありません」

「帰るつもりだった?」

 口にしてから、リゼットは自分で首を振った。


「分からない」

「そうですね」

 繕いかけの袖があるから帰るつもりだった、と決めることはできない。

 包みがあるから誰かへ送る予定だった、とも。

 冊子が途中だから続きを読みたかった、とも。

 本人がそう言ったわけではない。

 それでも、途中のものは途中のまま残っていた。


「終わります」

 セドリックが管理の男を呼んだ。

 確認したもののうち、必要な書類だけが正式に持ち出される。

 それ以外は元の位置へ戻した。

 包みも。

 冊子も。

 櫛も。

 リゼットは先に廊下へ出ようとした。

 扉のところで、一度振り返る。


 片方だけ裏返された袖が見えた。

 針は差したままだった。

 糸も、まだ切られていなかった。

 リゼットはそれには触れず、部屋を出た。


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