エリオ・レン
土曜の朝、机の上には人の名前が並んでいた。
リゼットは一番上の紙を見た。
「多い」
「第二王子付きですから」
向かいに座ったセドリックが答えた。
「全員見るの?」
「全員の所在を確認します」
「何人?」
「数えるより確認した方が早いです」
「数えるだけなら私の方が早い」
「そこを競ってどうするんです」
前夜までに準備したらしい紙束は、職種ごとに分けられていた。
侍従。
護衛。
従者。
御者。
直接第二王子のそばにいた者だけではない。事故当日の移動に関わった者、出発準備に関与した者も含まれている。
リゼットは眼鏡を押し上げた。
「何を見るの」
「まず、事故当夜のあとも本人の所在が確認できているか」
「それだけ?」
「最初は」
セドリックは一枚目へ印を付けた。
「この人物は確認済み」
「どうやって?」
「所属部署からの回答と本人確認」
次。
「こちらも確認済み」
「その次は?」
「確認済み」
「全部いるんじゃない」
「そうであれば早く終わります」
リゼットは自分の前へ紙を引き寄せた。
事故当夜からすでに何日も経っている。
生きて仕事へ戻っている者。
別の部署で所在が確認された者。
正式な回答が届いた者。
セドリックは一人ずつ、名前の横へ印を付けていった。
名簿を読んでいるというより、消しているように見えた。
「これは?」
リゼットが一行を指した。
「昨日の時点では回答待ちでした」
「今は?」
セドリックが別紙を見る。
「今朝、確認が取れました」
印が付く。
また一人消えた。
「こういうの、監察官が全部やるの?」
「全部を自分で歩いて確認するわけではありません」
「でしょうね」
「各部署へ正式照会を出します。必要なら本人確認も取ります。その結果をまとめる」
「書類ばっかり」
「あなたは遺体ばかりでしょう」
「遺体は嘘を書かない」
言ってから、少し考えた。
「たぶん」
「そこを訂正するんですか」
「身体を読む方が間違えることはある」
「なるほど」
セドリックは次の名前へ進んだ。
リゼットも表を見る。
事故当夜、第二王子の周囲にいた人間の所在を調べる。
単純な作業に見える。
だが、王宮には人が多い。
勤務場所が変わる者もいる。
休暇もある。
別の任務へ回されている者もいる。
昨日返事のなかった部署から、今日は返事が来る。
だから、名前が一つ残っただけで行方不明とは言えない。
「この人は?」
「照会中」
「まだ?」
「昨日出したばかりです」
「遅い」
「あなたは何でも遅いと言いますね」
「遅いから」
「王宮中の人間が、あなたの疑義書を最優先にしているわけではありません」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
セドリックが筆を止めた。
「最近、その返事が増えましたね」
「誰かのせい」
「私ではないと思います」
午前のうちに、何枚かの回答が届いた。
記録部の職員がまとめて机へ置く。
「監察室からです」
セドリックが封を確かめる。
一通目。
確認済み。
二通目。
確認済み。
三通目も。
リゼットは表の行が減っていくのを見ていた。
正確には消えてはいない。
名前はそのまま残っている。
横に「所在確認済」と記されるだけだ。
それでも、調べる必要のある名前は少なくなっていった。
「これで護衛は?」
「全員確認済みです」
「御者」
「確認済み」
「侍従は?」
「この一人が回答待ち」
セドリックが指した。
「従者は二人」
全部で三人。
昼前には、そのうち一人の確認が取れた。
残り二人。
「これ、今日中に終わる?」
「終わらなくても続けます」
「国葬は待ってくれない」
「知っています」
その言葉には、以前より重さがあった。
リゼットは午前の最低限保存を終えている。
本格保存はまだ止めたままだ。
調査のあいだも、遺体の状態は少しずつ変わる。
儀礼部からは、今日も処置の見込みについて問い合わせが来ていた。
棺も待っている。
けれど、名前の横へ無理に「確認済」と書くことはできない。
セドリックがそうするとは思わなかった。
「私、処置室に行ってくる」
「どうぞ」
「何か来たら」
「呼びます」
リゼットは席を立った。
処置室では、第二王子と記録された遺体が昨日と変わらず待っていた。
変わらず、というのは正確ではない。
昨日からまったく同じ身体ではない。
最低限保存を続けても、時間そのものは止められない。
状態を確認する。
顔。
損傷部。
右肩。
手。
足。
新しい発見はなかった。
それでよかった。
発見するために触っているわけではない。
必要な処置を済ませ、時刻を書く。
記録紙を閉じたところで、扉から声がした。
「オルディスさん」
記録部の職員だった。
「ハルヴェイ監察官が」
「何か来た?」
「一件」
リゼットは処置室を出た。
机へ戻る。
セドリックは新しく届いた紙を読んでいた。
「どっち?」
「侍従の方です」
「確認できた?」
「はい」
また印が付いた。
残り一人。
リゼットは表を見た。
「従者」
「そうです」
名前の欄はまだ遠くて読めなかった。
「返事は?」
「ありません」
「部署には?」
「確認しています」
「休み?」
「通常の所在確認が取れません」
「いつから?」
セドリックは別の紙を開いた。
「事故当夜以降」
リゼットは顔を上げた。
「ずっと?」
「少なくとも、今の確認では」
「事故で怪我したとか」
「確認できていません」
「別任務は?」
「その記録も今のところありません」
「実家に帰った?」
「まだそこまでは調べていません」
リゼットは椅子へ座った。
「じゃあ、まず探す人ね」
「そうなります」
「事件に関わった人、じゃなくて?」
「まだ何とも言えません」
セドリックの答えは早かった。
「事故当夜からいないというだけです」
「王子のそばにいた?」
「第二王子付きの従者ですから、日常的には」
「当夜は?」
「そこはこれから確認します」
また、まだだった。
けれど、それでよかった。
リゼットはようやく表を自分の方へ引いた。
「名前は?」
「そこに」
最後まで印の付かなかった一行を見る。
エリオ・レン。
短い名前だった。
「エリオ」
声に出して読んだ。
「知っていますか」
「知らない」
王宮で働く人間を、リゼットが全員知っているはずもない。
人事情報では二十代半ば。第二王子付き従者。
事故当夜以降、所在確認できず。
今あるのは、それだけだった。
「監察側で所在確認を進めます」
セドリックが言った。
「居所と、事故当夜の勤務状況。必要なら人事記録も」
「私にできることは?」
「今は遺体を維持してください」
「それだけ?」
「重要でしょう」
「そうだけど」
「ならお願いします」
リゼットは不満だった。
けれど、捜索は自分の仕事ではない。
人事記録を勝手に漁る権限もない。
自分ができるのは、処置室にある身体の状態を残すことだった。
セドリックが所在確認表へ戻る。
確認済みの欄をもう一度見直した。
護衛。
侍従。
御者。
従者。
名前は何人も並んでいる。
そのほとんどの横には、確認済みの記載が付いていた。
一番下近くに、一行だけ残っている。
エリオ・レン。
第二王子付き従者。
所在確認できず。
リゼットはその一行を見た。
第二王子の周囲から、消えた一人がいた。




