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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第二章「死者の名」

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14/52

リア

妹の家の扉を開けた途端、足音がした。

「おばちゃん!」

 呼ばれたと思ったときには、もう遅かった。

 リゼットの腹へ小さな身体がぶつかった。

「痛い」

「痛くないよ」

「私は痛い」

 腰へ回った腕を外そうとしたが、リアは離れなかった。

 五歳になってから、以前より重い。

 本人にはその自覚がないらしい。


「ただいまじゃないでしょう」

 奥からエミリアの声がした。

「ここ、あなたの家じゃないから」

「おばちゃん来た!」

「それは見れば分かるわ」

 エミリア・ローデンは姉より柔らかな顔立ちをしている。

 年は五つ下だ。

 髪を後ろでまとめ、片手には濡れた布を持っていた。


「いらっしゃい」

「うん」

「顔、疲れてる」

「そう?」

「そう」

 エミリアの目が眼鏡へ移った。

 その前にリアが指を差した。


「今日は茶色のめがね」

「今日は、じゃない。仕事じゃないときはこれ」

「銀のは?」

「仕事」

「なんで?」

「見え方は同じよ」

「じゃあ同じでいいじゃん」

 返事に困った。


「それはそうね」

「認めるの?」

 エミリアが笑った。

 リアはようやく腰から離れたと思ったら、今度はリゼットの手を引いた。

「こっち」

「何」

「見せるものある」

「先に手を洗わせて」

「あと」


「先」

「あと!」

「先」

 二人でしばらく動かなかった。

 リアがエミリアを見る。

「おかあさん」

「手を洗ってから」

 味方を得られなかった。

 口を尖らせながら、リアは手を放した。


「すぐ?」

「すぐ」

「ほんと?」

「たぶん」

「たぶんはだめ」

「じゃあ、すぐ」

 ようやく洗い場へ行くことができた。

 仕事場では散湯を使ったし、手も何度も洗っている。

 それでも人の家へ入って食事をする前には、もう一度洗う。

 水を拭いて戻ると、リアが床にしゃがんでいた。

 紙の上に、何かを並べている。


「これ」

 木の欠片だった。

「何?」

「家」

「どこが?」

「ここが屋根」

 指されたものは、どう見ても横倒しになった棒だった。


「倒れてる」

「倒れてない!」

「でも」

「倒れてないの!」

 怒られた。

 リゼットは黙った。

「姉さん」

 エミリアが横を通りながら言う。


「五歳児の建築に構造上の指摘をしないで」

「屋根が倒れてたから」

「そういうところよ」

 リアが木の欠片を一つ動かした。

「ここがおばちゃんの部屋」

「狭い」

「姉さん」

「分かった」


 今度こそ黙った。

 夕食の用意はほとんど済んでいた。

 温かいものが皿へ盛られ、パンが切られている。

 リゼットが椅子へ座ると、リアが隣の椅子ではなく、その膝へ登ろうとした。

「自分の椅子があるでしょう」

「ここがいい」

「食べづらい」

「リアも」

「二人とも食べづらくなるだけ」

 それでも登ってきた。

 膝へ尻を落ち着け、当然のように机へ手を伸ばす。


「重い」

「重くないよ」

「前より重い」

「大きくなったの」

「なら重いでしょう」

 リアが振り返った。

 何か間違ったことを言われたような顔をしている。

「重くない!」

「大きくなったら」

「姉さん、やめなさい」

 エミリアが皿を置いた。


「嫌われるわよ」

「もう嫌い!」

 リアが即答した。

「降りて」

「やだ」

「嫌いな人の膝に乗らないで」

「乗る」

 規則が分からない。

 エミリアは向かいに座りながら笑っていた。


「それで、ちゃんと食べてる?」

「今食べてる」

「今日の話じゃない」

「食べてる」

「何を」

 リゼットは考えた。

「パンとか」

「とか?」

「卵」


「野菜は」

「食べる」

「いつ」

「尋問?」

「監察官とばかり話してるから、普通の質問までそう聞こえるのよ」

 リゼットは顔を上げた。

「監察官とばかりじゃない」

「そうなの?」

「仕事だから会ってるだけ」


「何も聞いてないけど」

「今、監察官って」

「王宮が大変なんでしょう、とは思ってるわよ」

 エミリアはそれ以上聞かなかった。

 第二王子が亡くなったことは、王都中が知っている。

 姉が王宮葬送院で働いていることも知っている。

 しかし、その遺体が今どうなっているのかまでは聞こうとしなかった。

「寝てる?」

 代わりに尋ねてきた。


「寝てる」

「何時間」

「分からない」

「それ、寝てない人の答え」

「寝てるって」

 膝の上でリアが身を乗り出した。

「わたし昨日いっぱい寝たよ」

「そう」

「でも朝まだ眠かった」


「じゃあ足りてない」

「いっぱい寝た!」

「姉さん」

「何」

「五歳児と睡眠時間で張り合わないで」

「張り合ってない」

 リアは話を聞かず、リゼットの皿へ手を伸ばした。


「それ、おばちゃんの?」

「そう」

「ちょうだい」

「自分のがあるでしょう」

「そっちがいい」

「同じよ」

「ちがう」

「同じ鍋から取った」

「でもそっち」

 また規則が分からない。

 仕方なく一口分を取り分けようとしたところで、リアが自分で匙を掴んだ。


「あ」

 傾いた。

 中身の一部がリゼットの袖へ落ちた。

 少し間があった。

 リアが袖を見る。

 リゼットも見る。

「ついた」

「ついたね」

「ごめんなさいは?」

 エミリアが言う。

 リアはしばらく考えた。


「ちょっとだけだよ」

「量を聞いてない」

「ちょっとだから大丈夫」

「誰に似たの、この理屈」

「少なくとも私じゃない」

「かなり姉さんよ」

 納得できなかった。

 エミリアが布を持ってくる。

 リゼットが自分で拭こうとすると、リアも布へ手を出した。


「リアがやる」

「余計広がる」

「やる!」

「じゃあ、ここだけ」

 濡れた布を持たせる。

 リアは袖を強くこすった。

「強すぎる」

「取れない」

「押さえるだけでいい」

 今度は押しつけた。


「取れた?」

「まだ」

「もっと」

「もういい」

「まだある!」

 袖を取り返すまで少し時間がかかった。

 食事が終わる頃には、リアの声が大きくなっていた。

 意味もなく椅子へ立とうとし、エミリアに座らされる。パンの端も食べない。

 リゼットが口を挟もうとすると、エミリアが首を振った。

 触らない方がいいらしい。


「眠いんじゃない?」

 それでも言ってしまった。

「眠くない!」

 リアが怒った。

 分かりやすかった。

「眠い人ほど」

「眠くない!」

「姉さん」

「はい」

 リゼットはパンを食べた。

 しばらくすると、リアは椅子を降りた。


「靴ない」

「脱いだでしょう」

 エミリアが言う。

「ないの」

「二つとも玄関よ」

「一個しかない」

「そんなわけ」

 三人で玄関を見る。

 確かに一足分のうち、片方しかなかった。


「どこへやったの」

「知らない」

「履いて帰ってきたでしょう」

「知らない!」

 リアはもう泣きそうだった。

 エミリアが額を押さえる。

「今日はもう裸足でいいわ」

「やだ」

「家の中でしょう」


「二ついる」

「履かないのに?」

「いる!」

 理屈は完全に失われていた。

 リゼットは椅子から立った。

「探す?」

「姉さんまで探さなくていいわよ」

「でも、うるさい」

「聞こえてる!」

 リアが泣いた。


「ほら」

「私?」

「姉さん」

 結局、三人で片方の靴を探した。

 机の下。

 椅子の後ろ。

 寝台の脇。

 木の欠片で作った家の近く。

 見つからない。


「もう明日でいい」

 エミリアが言うと、リアは泣きながら首を振った。

「今日!」

「今日は履かないでしょう」

「今日いる!」

 最後には、リゼットの膝へ再び乗ってきた。

「靴は?」

「探す」

「今?」

「あと」


 さっき自分が言われた言葉だった。

 リアは返事をしなかった。

 腕をリゼットの腹へ回し、茶色の眼鏡へ額をぶつけてきた。

「眼鏡に当たる」

「眠くない」

「聞いてない」

「眠くないから」

「分かった」

 数分もしないうちに、身体の重みが増した。

 エミリアが小声で言う。


「寝た?」

「たぶん」

「そのまま少し持ってて」

「重い」

「五歳だからね」

 リゼットは言い返さなかった。

 立てば起こしそうだった。

 袖には、さっきの食べ物の薄い染みが残っている。

 なくなった靴も、まだ見つかっていない。


 リアはそんなことを気にせず、リゼットの膝の上で眠っていた。

 しばらくして鼻がむずむずしたのか、顔を押しつける位置を変えた。

 茶色の眼鏡が、また少しずれた。


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