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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第二章「死者の名」

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小さな棺

午後遅くに運び込まれた棺は、まだ蓋が別になっていた。

 リゼットは処置室へ入る前に、一度その横を通った。

 小さい。

 それだけで、誰のためのものかは分かった。

「先に遺体が来ています」

 ネリスが言った。

「分かった」


 リゼットは棺から目を離し、処置室へ入った。

 台の上には幼い子どもが横たわっていた。

 病死。

 王宮医官の確認書と、家族による身元確認は済んでいる。

 大きな外傷はない。

 けれど、長く病んでいたことは顔にも身体にも残っていた。

 頬は薄い。

 唇には乾きがある。

 細い腕が、身体の脇に置かれている。


 リゼットは記録紙を確認した。

 年齢を読み、もう一度身体を見る。

 幼い。

 それ以上の感想を記録する欄はない。

「ご家族から希望が来ています」

 ネリスが紙を差し出した。

 短い文だった。

 眠っているように。

 リゼットは紙を戻した。


「無理ね」

「またその言い方します?」

「寝ているようにはできない」

「意味は分かりますけど」

 ネリスは子どもの顔を見た。

「ご家族も、本当に眠っていると思いたいわけではないでしょう」

「なら、どういう意味?」

「苦しそうに見えないように、じゃないですか」


 リゼットは少し考えた。

 それなら分かる。

 病によって口元に残った力み。

 痩せて落ちた頬。

 乾いた唇。

 そういうものを整えることはできる。

「それならできる」

「ご本人たちにも、そう言ってください」

「あなたが言えば」

「今日は自分でどうぞ」


 ネリスは作業台の反対側へ回った。

 逃げられた気がした。

 処置を始める。

 顔を洗う。

 髪を整える。

 皮膚の状態を確認しながら、病によって強く変わったところだけに手を入れる。

 頬を丸く作りすぎない。

 口角を上げない。

 眠っている人間なら、呼吸で胸が動く。


 温かい。

 触れれば力が返ることもある。

 この身体には、それがない。

 だから、眠っている人間を作るつもりで触ることはできなかった。

 ただ、苦しさが最後まで顔に残っているように見える部分は整えた。

 ネリスが髪を梳きながら言った。

「衣装、まだ決まっていないそうです」

「どうして?」

「二つ持ってきています」

「二つ?」

「礼装と、普段よく着ていたもの」


 リゼットは手を止めなかった。

「どっちでも着せられる?」

「身体には」

「なら家族が決めればいい」

「決められないから困ってるんです」

 それもそうだった。

 しばらくして、遺族が呼ばれた。

 リゼットは処置室の外へ出る。

 夫婦が待っていた。


 机の上には二着の衣服が置かれている。

 一着は、刺繍の入った小さな礼装。

 もう一着は、それより柔らかい布の上衣だった。

「どちらがいいでしょうか」

 母親が聞いた。

 リゼットは二着を見る。

「どちらでも着せられます」


 母親の顔が止まった。

 隣にいた父親が、衣服へ目を落とす。

 リゼットも黙った。

 ネリスは何も言わない。

 今回は助けないつもりらしい。

「身体には、どちらも問題ありません」

 リゼットは続けた。

 さっきとほとんど同じだった。

 違う。

 そう思って、言葉を探す。


「でも、それを聞きたいんじゃないですね」

 母親が顔を上げた。

「はい」

 小さな声だった。

 リゼットは二着へ目を戻した。

「私は、この子がどちらを好んでいたかは知りません」

 母親の手が、柔らかい方の衣服へ触れた。

「こちらは、家でよく」

 そこまで言って止まる。

 父親が礼装の方を見た。


「こちらの方が、きちんとしていると思って」

「きちんと」

 リゼットは繰り返した。

 葬儀だから礼装。

 それはおかしくない。

 普段の服を着せたい。

 それもおかしくない。

「どちらを選んでも、処置はできます」

 また同じことを言いそうになった。

 言い直す。


「ただ、最後に見たとき、どちらの姿で覚えていたいかなら、ご家族が決めることだと思います」

 言ってから、自分でも少し長いと思った。

 母親は柔らかい方の上衣を撫でた。

「これを着ていることの方が多かったです」

 父親はしばらく礼装を見ていた。

 やがて頷いた。

「じゃあ、そっちにしよう」

 決まった。

 リゼットは衣服を受け取った。


「分かりました」

 母親が聞いた。

「顔は」

「病気で強く変わったところは整えています」

「眠っているように、できますか」

 来た。

 リゼットは一度だけ息を吸った。

「眠っている顔そのものにはできません」

 母親の表情がわずかに固くなる。

 今度は、そのままにしなかった。


「でも、苦しかったときの顔をそのまま残す必要もありません。口元と頬は整えています。会ってから、まだ気になるところがあれば聞かせてください」

 母親は少しの間、リゼットを見た。

 それから頷いた。

「お願いします」

「はい」

 処置室へ戻ると、ネリスが待っていた。

「どうでした?」

「決まった」

「自分で話しました?」


「話した」

「ちゃんと?」

「たぶん」

 自分でも、前に同じ返事をした気がした。

 ネリスも気づいたらしい。

 口元が少し動いた。

「何」

「何でもありません」


 リゼットは衣服を広げた。

 子どもの身体へ着せる。

 成人の遺体より軽い。

 だから楽、ということにはならなかった。

 腕が細い分、袖の中で位置がずれやすい。

 肩を支え、布を背へ入れる。

 襟が首へ寄りすぎないよう直す。

 袖口から出る手の位置も左右で揃える。

「右、少し長いです」

 ネリスが言った。


「身体がずれてる?」

「服の方かも」

 リゼットは肩の位置を見る。

 身体を動かすほどではない。

 袖を内側で少し整えれば済む。

 処置が終わったところで、家族を呼んだ。

 二人はゆっくり近づいた。

 母親が最初に顔を見る。

 しばらく声はなかった。


「眠っているみたい」

 小さく言った。

 リゼットは何も返さなかった。

 自分は眠っているようには作っていない。

 けれど、その言葉を訂正する必要もなかった。

 父親が子どもの髪へ触れようとして、手を止めた。

「触っても?」

「大丈夫です」

 髪へ指が触れた。

 すぐに離れた。

 二人が退出したあと、ネリスが言った。


「言いませんでしたね」

「何を」

「眠っているわけではありません、って」

「知ってるでしょう」

「知ってても、前なら言いそうだったので」

 リゼットは子どもの襟を直した。

「言う必要がなかった」

「そうですね」


 それ以上、話は続かなかった。

 棺を処置室へ入れる。

 小さい。

 近くで見ると、さっき廊下で見たときよりさらに小さく感じた。

 リゼットは内側を確認する。

 布の厚み。

 頭を置く位置。

 身体の幅。

 棺材そのものに問題はない。

 それでも、身体を収める前に寸法を測る。


「記録では合ってますよ」

 ネリスが言った。

「測る」

「でしょうね」

 内寸へ計測具を当てた。

 長さ。

 肩幅。

 頭側の余裕。

 次に、処置台の身体へ戻る。


 衣服を着せた状態でもう一度確認した。

 礼装より柔らかい布だった分、横へ大きく張ることはない。

 ただ、頭側の詰め物は少し減らした方がいい。

「ここ、薄くして」

「これくらい?」

「もう少し」

 ネリスが布を一枚抜いた。

 リゼットは棺の中へ手を入れ、もう一度高さを確かめた。


「これでいい」

 記録紙へ、棺の内寸と調整内容を書き込む。

 最後に数字を見直した。

 リゼットは計測具を置き、棺の頭側へ入れた布をもう一度手で押して確かめた。


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