死亡を作る書類
昼を回る頃、処置室へ棺は入ってこなかった。
代わりに、紙が増えた。
リゼットが最低限保存の記録を書き終えたところへ、儀礼部の職員が二枚の予定表を持ってきた。
「封鎖の時刻だけでも決められませんか」
「決められません」
「午前か午後かだけでも」
「まだ決められません」
職員が予定表へ目を落とした。
ほとんどの欄には、すでに文字が入っている。
祭壇の準備、聖職者との調整、弔問に使う広間、葬列の人員、墓所側への連絡。
一か所だけ、線が途中で止まっていた。
棺封鎖。
「ここが決まらないと、告別の時刻も確定できません」
「告別?」
「王妃陛下とセシリア殿下です。封鎖前にお別れの時間を取ることになっています」
リゼットは予定表を見た。
「身元確認とは別?」
「別です」
「遺体と対面するとは限りません。状態や近親者の希望によっては、装束や遺品を前に告別します」
「封鎖したあとには?」
「開けません」
職員は当然のことを答えるように言った。
「弔問でも、葬列でも、墓所でも。王族の棺は封鎖したら開けませんから」
「なら、まだ無理」
「そうですよね」
今回は食い下がらなかった。
職員は予定表を抱え直す。
「王妃陛下からも、いつ告別できるのか確認が来ています」
「何て返したの」
「処置待ちです、と」
「それでいいと思う」
「私もそう思いたいです」
疲れた声だった。
彼も遺体を急いで棺へ入れたいわけではない。
ただ、決めなければならないことが積み上がっている。
「分かったら連絡する」
「お願いします」
職員が出ていく。
入れ替わるように記録部の者が入ってきた。
「オルディスさん、受領記録の原本確認を」
「また?」
「またです」
「昨日も見たでしょう」
「今度は王璽側です」
リゼットの手が止まった。
「王璽?」
「死亡宣告の認証書類に使います」
記録部の職員は、すでに写しを何枚か抱えていた。
王宮医官の死亡確認書。
身元確認書。
葬送院の遺体受領記録。
最後のものには、リゼット自身が受領時刻を書き込んでいる。
「疑義書を出してる」
「出ています」
「なのに死亡宣告をするの」
「認証手続とは別です」
「別?」
「私は王璽尚書府の人間じゃないので、そこまで睨まないでください」
「睨んでない」
「眼鏡越しでも分かります」
リゼットは受領記録へ目を戻した。
そこには、第二王子ルシアン・エルヴァ・ヴァレーヌの遺体を葬送院が受領したことが記されている。
あの日、そういう遺体として引き渡された。
封印を確認した。
時刻を書いた。
署名もした。
「これは本人だと保証する書類?」
「違います」
記録部の職員は即答した。
「葬送院が、そういう身元で引き渡された遺体を受領した記録です」
「なら、疑義が出た今でも使える?」
「受領した事実は変わりませんから」
その答えは分かった。
分かるが、落ち着かなかった。
「身元確認書は?」
「有効なままです」
「再確認中なのに?」
「再確認中だからといって、元の書類が消えるわけではありません」
職員は写しを揃えた。
「疑義書は、身元を再確認させる書類です。前の確認を自動的に無かったことにする書類ではありません」
「面倒ね」
「記録はだいたい面倒です」
そこへ、廊下から足音がした。
今度は記録部の者ではなかった。
暗い上衣を着た役人が、封をされた細長い書面を持っている。
「王璽尚書府より」
部屋の空気が少し変わった。
リゼットは立ち上がった。
役人は記録部の職員へ書面を渡す。
封が確認され、開かれた。
中を読んだ職員の眉がわずかに動いた。
「王璽付き死亡宣告、本日付で職権認証」
リゼットは聞き返した。
「もう?」
「はい」
「国王陛下が認めたの」
王璽尚書府の役人が初めて口を開いた。
「個別の勅命ではありません」
「では誰が」
「王家法令に基づく常設委任により、王璽尚書が所定書類を確認して認証します」
「王璽尚書」
書面の下に名があった。
アデル・セルヴァン。
リゼットは初めて見る名ではなかった。
王璽を扱う高官としては知っている。
ただ、直接会ったことはない。
「疑義書も届いているはず」
「届いています」
役人は淡々と答えた。
「それでも?」
「死亡確認書、身元確認書、葬送院受領記録は形式上揃っています」
「身元を再確認しているのに」
「認証を自動停止する規定にはなっていません」
リゼットは記録部の職員を見る。
職員は頷いた。
「止めるなら別の保留判断が要ります」
「誰の?」
役人が答えた。
「王璽側の保留、または上級の手続です」
「今回は?」
「認証されました」
それだけだった。
役人は必要な受領署名を取り、帰っていった。
リゼットは机に残された書面を見る。
王璽付き死亡宣告。
第二王子ルシアン・エルヴァ・ヴァレーヌは死亡した。
そう公に扱うための書類。
目の前の遺体について、リゼットはまだ確認を終えていない。
それでも、その書類には王璽が付いた。
「変じゃない?」
リゼットが言った。
「こっちは本人か確認してる途中なのに、向こうでは死亡が認証される」
横から声がした。
「再確認が始まったからといって、先に成立した書類が消えるわけではありません」
セドリックだった。
「聞いてた?」
「途中から」
「盗み聞き?」
「廊下で普通に聞こえていました」
彼は机へ近づき、王璽付き死亡宣告へ目を通した。
「形式上はおかしくありません」
「別ばっかり」
「別にしてあるんです」
「身元を再確認していても?」
「だから再確認は続けます。死亡宣告が認証されたこととは別に」
「継承籍は?」
リゼットが聞いた。
記録部の職員が別の書面を取り出した。
「準備中です」
「もう除籍するの?」
「まだです。必要書類を揃えています」
「死亡宣告が出たから?」
「それも要ります」
机の端に、継承籍処理の書類が置かれた。
第二王子の名を、王位継承者としての記録から外すための手続。
そこにはまだ最終の記入がなかった。
「国葬が終わったら?」
「葬送完了の記録が作られます」
儀礼部と記録部が、王家墓所への棺の納置と儀礼の完了を確認して署名する。
「棺の中身も公開記録に書く?」
「公開の王家記録には書きません」
「じゃあどこに」
「葬送院の機密収容記録です」
それならリゼットにも分かった。遺体、装束、副葬品。棺へ何を収めたかを葬送院側で残す。
「それを書くのは」
「葬送院です」
「私たちね」
「はい」
午後になり、儀礼部からもう一件連絡が来た。
「セシリア殿下からも、封鎖前の告別について確認がありました」
午前とは別の職員だった。
「王妃陛下と同じ時間で調整しています。ただ、処置の見込みが立たないので」
「まだ答えられない」
「分かっています」
職員は困ったように笑った。
「殿下にも、待っていただきます」
リゼットは返事をしなかった。
王妃と王女から届く連絡は、どれも第二王子の死を前提にしていた。
リゼットに分かるのは、そこまでだった。
処置室へ戻る。
第二王子と記録された遺体は、朝と同じ場所にある。
本格保存はしていない。
棺もまだ封鎖できない。
リゼットは必要な確認を済ませ、最低限保存の記録を付けた。
そのあと、記録部から借りた工程表をもう一度開いた。
王璽付き死亡宣告。
その欄には、今日の日付が入っていた。
継承籍からの除籍。
まだ空欄。
国葬完了。
そこも空欄だった。
王族の死を知らせる鐘を聞いた夜、リゼットは第二王子が死んだのだと理解した。
リゼットは工程表を閉じなかった。
日付の入った一つの欄の下に、まだ二つの空欄が残っていた。




