第七章 処理係
尾行の気配は、その後も断続的に続いた。
姿を見せることはない。だが、龍見の研ぎ澄まされた勘は、常に何者かの視線を捉えていた。
(さすがに、素人の尾行やないな)
三流の脅し屋たちとは、明らかに質が違う。気配の消し方、距離の取り方。それは、龍見自身が現役の頃、腕利きの調査員に対して抱いていたのと同じ感触だった。
その日がやってきたのは、ある日の下校時だった。
いつもの通学路とは違う、人気の少ない裏道。龍見が、あえてその道を選んで歩いていると、電柱の陰から、一人の男が姿を現した。
銀縁の眼鏡。仕立てのいいスーツ。写真で見たままの、冷たい目をした男だった。
「初めまして、山札太陽くん」
男は、まるでビジネスの挨拶のように、丁寧に頭を下げた。
「影山賢一、いいます。この辺りで、少し不動産関係の仕事をしていましてね」
「知っとるで、あんたのことは」
龍見は、足を止めることなく、平坦な声でそう答えた。
「ほう」
影山の眉が、わずかに動いた。だが、その表情に驚きの色はなかった。
「〈天羽連合〉の“処理係”さんが、直々にお出ましとはな。ずいぶん、儂を買ってくれとるみたいや」
龍見は、あえて挑発的な言葉を選んだ。相手の出方を見るためだった。
「面白い言葉遣いをしますね、高校一年生にしては」
影山は、感情の読めない笑みを浮かべた。
「単刀直入に言いましょう。君は、我々の事業に、二度も水を差しました。颯真くんの一件、そして立花商事の摘発」
「事業、いうんは面白い言い方やな。詐欺と地上げのことを、そう呼ぶんか」
「言葉の綾ですよ」
影山は、悪びれる様子もなく、涼しい顔で応じた。
「私は、法律家です。あらゆる手段を、合法の範囲内で駆使する。それだけのことです」
「合法の皮を被った悪事、いうんは、極道より性質悪いで」
龍見の言葉に、影山の目が、初めてわずかに細まった。
「――極道、ですか。面白い言葉が出ましたね」
「気に障ったんなら、謝るで」
「いえ、興味深いんです」
影山は、ゆっくりと距離を詰めてきた。だが、それは威圧ではなく、まるで珍しい標本を観察するような、冷静な足取りだった。
「君について、少し調べさせてもらいました。中学時代は、不登校。友人もほとんどいない。家庭環境も、決して恵まれているとは言えない」
「せやから、何や」
「そんな少年が、なぜ、我々の下請けを相手に一歩も引かず、警察への通報まで手配できるのか。私は、それが純粋に不思議なんですよ」
影山の目が、龍見の目を、まっすぐに見据えた。
「まるで――経験豊富な、裏社会の人間のような手口だ」
(気づいとるな、この男)
龍見は、内心で警戒レベルを引き上げた。影山は、まだ確証を持っていない。だが、限りなく真実に近い仮説に、すでに到達しかけている。
「買い被りすぎや。ただの高校生の悪あがきや」
龍見は、あくまで平静を装った。だが、影山は、それを軽く笑い飛ばした。
「そういうことにしておきましょう。今日は、忠告をしに来ただけですから」
「忠告?」
「これ以上、我々の事業に関わらないでいただきたい。君にとっても、そのご家族にとっても、その方が賢明です」
影山の声は、あくまで穏やかだった。だが、その言葉の裏には、明確な脅しが滲んでいた。
「――お母様、確か『陽だまり』というお店をされていましたね。あの立地は、我々にとって、どうしても必要な場所なんです」
「おかんに手ぇ出したら――」
龍見の声が、初めて低く、鋭くなった。だが影山は、動じることなく、静かに首を振った。
「脅しているわけではありません。ただ、事実を申し上げているだけです。我々は、目的のためには、あらゆる合法的手段を尽くします。行政指導、税務調査、営業許可の見直し……お店を潰す方法は、暴力を使わずとも、いくらでもあるんですよ」
それは、極道の脅しよりも、ある意味でずっと冷酷な宣告だった。拳を交える相手なら、龍見にはいくらでも対処のしようがある。だが、法律という盾を掲げた相手には、また別種の戦い方が必要になる。
「言いたいことは、それだけか」
龍見は、静かに、しかし確固たる声で言った。
「ええ。今日のところは」
影山は、丁寧に一礼すると、踵を返した。だが、去り際に、こう付け加えた。
「山札くん。君がもし、私の想像している通りの人物だとしたら――」
影山が、初めて、薄い笑みを浮かべた。
「あなたを消した組織に、あなた自身が飼われることになる。それは、ずいぶん皮肉な話だと思いませんか」
その言葉を残し、影山は、夕闇の中に消えていった。
龍見は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(あの男、儂の正体に、かなりのところまで気づいとる)
背筋に、冷たいものが走った。それは恐怖ではなく、久しぶりに感じる、真剣勝負の緊張感だった。
その夜、龍見は鮫島に電話を入れ、影山との一部始終を伝えた。
「影山が、直接動いたか……」
電話の向こうで、鮫島が唸る声がした。
「あいつが直々に出てくるいうんは、天羽連合が、本気でお前を脅威と見なしとる証拠や」
「向こうは、こっちの正体にかなり肉薄しとる。急いだ方がええかもしれんな」
「神楽坂の件か」
「せや。証拠、集まりそうか」
「実は、一つ、有力な筋が見つかった」
鮫島の声が、少し緊張を帯びた。
「六代目が撃たれた夜、現場近くのコンビニの防犯カメラに、神楽坂の車が映っとったんが分かった。事件当夜、神楽坂は『別件で東京に出張中』いう話やったんやが……」
「アリバイが、崩れとるいうことか」
「まだ、確定やない。せやけど、当時の映像データを持っとる人間に、辿り着けそうや」
龍見の中で、静かな熱が灯った。
「鮫島、その筋、慎重に、せやけど、確実に進めてくれ」
「分かった。せやけど太陽、お前も気ぃつけろ。影山が直接出てきたいうことは、向こうも、なりふり構わん段階に入っとるいうことや」
「分かっとる」
電話を切った後、龍見は、窓の外に広がる夜空を見上げた。
影山の最後の言葉が、耳に残っていた。
(――あなたを消した組織に、あなた自身が飼われることになる)
皮肉な話だ、と龍見も思う。だが、それでも退くつもりは、微塵もなかった。
(飼われるかどうかは、儂が決めることや。あんたらやない)
母を守り、颯真のような若者を守り、そして――自分自身の因縁に、決着をつける。
その意志だけは、体が変わろうとも、決して揺らぐことはなかった。
窓の外、遠くの空に、薄い雲がかかっていた。嵐の予兆のような、重い雲だった。




