第六章 燻る火種
立花商事への家宅捜索は、思いのほか大きなニュースになった。特殊詐欺グループの摘発として、地方紙の片隅に小さく載った程度だったが、颯真は震える手でその記事を龍見に見せてきた。
「……お前の言った通りになった」
朝の教室、颯真が声を潜めて話しかけてきた。以前の刺々しさは、すっかり鳴りを潜めている。
「これで、闇バイトの件も、記録は全部消せた。お前のおかげだ」
「礼はええ。それより――」
龍見は、周囲を気にしながら、声を落とした。
「あの時のおっさん、他に何か言うとらんかったか。会社の名前以外で」
颯真は、しばらく考え込んだ後、記憶を辿るように言った。
「そういえば……最初の頃、電話で誰かと話してるのを聞いたことがある。『天羽の若頭がうるさい』とか、『神楽坂さんに報告しないと』とか……」
「神楽坂……」
その名前に、龍見の眉がぴくりと動いた。聞き覚えのない名だった。だが、この情報は、鮫島に伝える価値がある。
「颯真、ようそんなん覚えとったな」
「命がかかってたからな……忘れるわけないだろ」
颯真は、自嘲気味に笑った。それから、少し照れくさそうに続けた。
「その……何か、俺にできることがあったら言ってくれ。今度は俺が、お前を助ける番だから」
龍見は、意外な言葉に軽く目を見開いた後、小さく笑った。
「ほな、覚えとくわ」
かつて自分を嘲笑っていた男が、今は対等な言葉をかけてくる。人間という生き物は、案外、単純で、そして真っ当なところもある。極道稼業で散々裏切りを見てきた龍見にとって、颯真のこの変化は、ささやかな救いのようにも感じられた。
その日の放課後、龍見は鮫島に電話を入れ、「神楽坂」という名前を伝えた。
電話越しに、鮫島が息を呑む気配が伝わってきた。
「……神楽坂敬一か」
「知っとる名前か」
「知っとるも何も……うちの若頭補佐や。跡目候補の一人やぞ」
龍見の中で、点と点が繋がっていく感覚があった。
「跡目候補が、天羽連合と繋がっとる、いうことか」
「まだ断定はできん。せやけど……」
鮫島の声が、重くなった。
「六代目が撃たれた夜、神楽坂は護衛の配置換えを進言しとった。あの日に限って、いつもの警護ルートと違う道を通ったんは、神楽坂の助言のせいや」
龍見の脳裏に、あの夜の記憶が蘇る。地下駐車場を横切った、あの十歩。いつもとは違う経路を選んだのは、確かに直前の進言があったからだった。
(そういうことか……)
怒りよりも先に、乾いた諦観のようなものが込み上げてきた。裏切りとは、常に一番近い場所から生まれる。極道の世界で、何度も見てきた光景だった。
「鮫島、神楽坂は今、どういう動きしとる」
「跡目争いの真っ最中や。他の候補二人を出し抜いて、ほぼ七代目の椅子は神楽坂のもんになりつつある」
「それはあかんな」
龍見は、静かに、しかしはっきりとそう言った。
「兄貴を売った男が、兄貴の跡を継ぐんは、道理に合わん」
「せやけど、証拠がない。状況証拠だけで、組の跡目争いに口を挟むんは、儂の立場じゃ無理や」
「証拠は、これから集めたらええ」
龍見の声には、静かな確信があった。
「立花商事の摘発で、天羽連合は浮足立っとるはずや。こういう時こそ、尻尾を出しやすい」
電話の向こうで、鮫島が小さく息を吐いた。
「……お前、いや、太陽。お前、本当に変わってへんな。極道やってた頃と、考え方が」
「体は変わっても、頭の中身は同じや」
龍見は、そう言って小さく笑った。
だが、その裏側で、静かな緊張が走っていた。
同じ頃、神戸の片隅にある雑居ビルの一室で、天羽連合の幹部たちは、苦々しい表情で会合を開いていた。
「立花の件、痛手だな。受け子の名簿ごと、警察に押収された」
「それだけじゃありません。地上げの件も、頓挫しています。例の店のガキが、邪魔をしてきたようで」
「ガキ? どういうことだ」
「詳細は不明ですが……現場に出た者の話じゃ、只者じゃない目をしてたと。妙な威圧感があったと言ってます」
その報告に、上座に座る初老の男――天羽連合の現会長、神楽坂の後ろ盾でもある男が、片眉を上げた。
「調べろ。そのガキの身元を、徹底的に」
「はっ」
「それと、神楽坂には伝えておけ。鈴鹿組の跡目、そろそろ本決まりにしろとな。うちが手を貸した分、きっちり回収させてもらう」
男の目に、酷薄な光が宿った。
「六代目を消した時と同じように――邪魔者は、消せばいい」
その言葉が、静かに部屋に響いた。
その夜、龍見は、学校からの帰り道で、ふと背後に人の気配を感じた。
振り返っても、誰もいない。だが、長年の極道稼業で培った勘が、確かに「見られている」と告げていた。
(尾行、か)
龍見は、表情を変えることなく、そのまま歩き続けた。だが、心の中では、静かに警戒レベルを引き上げていた。
(そろそろ、向こうもこっちの正体に気づき始めとるかもしれんな)
母の店を守るための小さな諍いだったはずのものが、いつの間にか、龍見自身の存在そのものを脅かす、大きな渦へと変わりつつあった。
(上等や)
龍見は、夜空を見上げて、小さく笑った。
極道として死んだ男が、再び命を狙われる。皮肉な話だが、恐れる気持ちは、微塵もなかった。
(今度は、守るもんがある。舐めた真似は、二度とさせへん)
燻っていた火種が、静かに、しかし確実に、大きな炎へと育ち始めていた。




