第十二章 首謀者
西岡が動き出してから、一週間が過ぎた。
古参の伝手を辿った調査は、龍見が思っていたよりも速く、核心に近づきつつあった。
「太陽、分かったで」
喫茶店の奥の席で、西岡が声を潜めて言った。鮫島も、隣で険しい顔をしている。
「天羽連合いう組織、実は独立した組やない。もっと大きな枠組みの、末端に過ぎんかったんや」
「大きな枠組み……」
「〈黒瀬機関〉いう名前、聞いたことあるか」
龍見は、記憶を探った。だが、山崎龍見としての知識にも、その名前は引っかからなかった。
「知らんな」
「無理もない。表の裏社会にも、めったに名前が出てこん組織や。関西一円の反社勢力に、資金と情報を提供する、いわば黒幕の中の黒幕……その頭が、黒瀬雅人いう男や」
西岡の声には、隠しきれない緊張があった。
「儂も、詳しいことは知らん。せやけど、古参の中でも、一番顔の広い男から聞いた話やと……六代目が進めとった、あの手打ちの話にも、実は黒瀬が絡んどったらしい」
龍見の目が、鋭くなった。
「和平交渉に、最初から嚙んどったいうことか」
「せや。表向きは、対立組織同士の和解や。せやけど、裏では、黒瀬が両方の組織に、それぞれ別の入れ知恵をしとった。和平が成立すれば、両方の組織から、恩を売れる。決裂すれば、共倒れさせて、その縄張りを丸ごと拾える」
「どっちに転んでも、儲かる仕組みか」
「せや。せやけど、六代目が――兄貴が、あまりにも誠実に和平を進めすぎた。丁寧すぎる手打ちは、黒瀬にとって、都合が悪かったんかもしれん」
龍見の中に、静かな怒りが、じわりと滲み出した。自分の死が、誰かの利益のために、あらかじめ計算された結果だったのだとしたら――それは、渡世の理屈を超えた、許しがたい所業だった。
「神楽坂を唆したんも、黒瀬か」
「おそらくな。天羽の残党を使て、間接的に、な」
龍見は、しばらく沈黙した。頭の中で、これまでの点と点が、一本の線に繋がっていく。影山の冷徹さも、神楽坂の焦りも、すべて、黒瀬という男の掌の上で踊らされていた駒に過ぎなかった。
「西岡さん、黒瀬いう男の居場所は」
「そこまでは、まだ摑めとらん。せやけど――」
西岡は、一枚の写真を差し出した。粗い画質の、遠目から撮られた写真だった。恰幅のいい、白髪の初老の男が、高級外車から降りてくる姿が写っている。
「これが、黒瀬雅人や」
写真の中の男の目を、龍見はじっと見つめた。遠目にも分かる、酷薄な光。それは、影山や神楽坂とは、まったく異なる種類の冷たさだった。人間を、駒としか見ていない目だ。
(この男が――)
龍見の胸の奥で、静かな炎が燃え上がった。
その夜、龍見が自室で写真を見つめていると、スマートフォンが震えた。鮫島からだった。
「太陽、まずいことになった」
鮫島の声は、これまでにない緊迫感を帯びていた。
「どうした」
「西岡が調べを進めとったことが、もう向こうに漏れとったらしい。今しがた、西岡の店に、見慣れん男たちが押しかけたいう連絡があった」
「西岡さんは無事か」
「今のところは。せやけど、それだけやない」
鮫島は、一拍置いてから、続けた。
「太陽……お前の母さんの店にも、今夜、妙な男が現れたそうや。客のふりして、店に上がり込んで、ママの写真を撮っとったらしい」
龍見の血が、凍りついた。
「なんやと」
「常連の一人が、気づいて追い払ったらしい。せやけど――」
鮫島の声が、重くなった。
「あれは、下調べや。本気で、お前の周りを潰しにかかっとる」
龍見は、拳を強く握りしめた。影山の忠告を無視し、西岡と手を組み、証拠を警察に渡し、神楽坂を追い詰めた。その結果として、黒瀬という真の黒幕が、ついに自ら動き出したのだ。
(母に、手を出させるわけにはいかん)
「鮫島、おかんの店、今すぐ見張りをつけてくれるか」
「もう、手配した。信頼できる人間を、二人向かわせとる」
「助かる」
電話を切った後、龍見は、写真の中の黒瀬の顔を、もう一度見つめた。
極道として生きていた頃、龍見は数え切れないほどの修羅場をくぐってきた。だが、これほどまでに、はっきりとした殺意にも似た感情を抱いたことは、そう多くはなかった。
(あんたが、儂を殺させた張本人か)
龍見は、静かに目を閉じた。拳で語ることはしない。それは、極道の流儀ではない――そう自分に言い聞かせてきた。だが、大切な人間に手を伸ばされたとなれば、話は別だ。
(母に指一本触れさせん。颯真にも、鮫島にも、西岡さんにも――)
龍見は、写真をそっと机の上に置いた。
「黒瀬雅人……あんたの首謀した悪事、一つ残らず、白日の下に晒したる」
窓の外、神戸とは違う夜景に向かって、龍見は静かに、しかし確かな決意を込めて呟いた。
長い因縁の、本当の決着をつける時が、ついに近づいていた。




