第90話 デフォルト
その日も何てことない平凡な一日だった。
いつものように授業を受けて時間はあっという間に過ぎて行き、気が付けば放課後。
冬休みが近くなったからか、どこかそわそわした雰囲気が学園全体に漂い、俺たちは放課後の時間を使って終業式に行われる生徒会長選の候補者演説の準備に取りかかっていた。
投票は冬休み明けに実施されるため、これが俺たちの考えを全校生徒に伝える最後の機会となる。
浮動票対策は順調に進めているが固定票の切り崩しはやはり厳しい。ニコラたちがあからさまに金をばらまいているから尚更だ。
選挙はしょせん金。
俺も金がないわけじゃないが、今は穀物の帳簿取引に資金を集中させていて選挙に回すムダ金はない。
その穀物だが、価格は順調に下がっている。
今年の収穫も無事に終えて、豊作と言っても過言ではなかったからだ。
穀物が市場に出回るのはもう少し先になるが、その安心感から適正価格に向かって価格水準が修正されているのだと思う。
俺も平然とした態度はとっているが、内心ホッとしている。高値で期日を迎えていたら大変なことになっていたからな。
そんな穏やかな日常は、だが母上が学園に飛び込んできたことで終わりを告げた。
「市場は落ち着きを取り戻したはずなのに、今度は何があったんだ母上」
少し前まで市場が荒れるたびに学園に飛び込んできた母上だけに、パブロフの犬状態の俺は母上の顔を見ただけで胃が痛くなる。
「実はロディアン商会の会頭さんがアゾートに相談したいことがあるって言って、今プロメテウス城に来ているのよ」
「ロディアン会頭が・・・それで用件は?」
「それがプロメテウス領への亡命を望んでいるのよ。それに大事な相談があるから直接話がしたいって言ってるけど、どうする?」
「亡命? わかった今すぐ行くよ」
俺がギルドに向かおうとしたら母上が止めた。
「ボロンブラーク城とプロメテウス城を転移陣で繋げたから、ギルドの転移陣を使うよりこっちの方が早いわよ」
どうやら母上はそのルートを使って、相場が荒れるごとに学園に来ていたらしい。
◇
プロメテウス城の応接の間には、ロディアン会頭の他に何人もの男たちが同席していた。
俺が到着するとすぐに長々とした挨拶が始まったが、男たちはいずれも商業ギルドを始めとする各業界のギルド長たちだった。
俺は挨拶もそこそこ全員に着席を許すと、両親やフリュも同席させてソファーに腰掛け、ロディアン会頭の話を聞いた。
「プロメテウス領への亡命希望の件、まずはそれに至った経緯から説明させていただきたい。少し長くなるがよろしいか」
「わかった、お願いしたい」
「話は2週間ほど前にさかのぼる」
◇
ソルレート伯爵が執務室で書類仕事をしていると、財務卿が急ぎの用件と言って執務室に入ってきた。
「朝から騒々しい。急ぎというのは何だ」
「ロディアン商会に依頼していた穀物への補助金の件にございます」
「あれか。順調に進んでいるそうで結構」
最近は何かと失敗続きのソルレート伯爵にあって、唯一順調に進んでいたのが穀物の買取りだった。
この話の時だけは伯爵もご機嫌なのだが、
「それが順調過ぎて困ったことに・・・」
「順調なら困ることはないだろう」
「いえ、あまりに大量の穀物が運ばれてきて、予算の方が厳しくなってきております」
「そんなバカな! あれだけの予算を使いきるほどプロメテウス領が穀物を放出するはずがない。本当に領民が餓死してしまうぞ?」
「いえそれが本当なのです。今も続々と荷馬車が到着しており、収納担当が朝から対応に追われています」
「・・・なんだと? その荷馬車はどこだ! 今すぐ案内しろ!」
「なんだこれは・・・」
ソルレート伯爵が倉庫街に到着すると、ロディアン商会の倉に穀物を運搬する荷馬車が列をなして、それをたくさんの担当者の確認を行っているところだった。
「ちょっと待て。この馬車の列はどこまで続いている」
「城門の外にも列は続いております」
「あり得ない・・・おいロディアンを呼べ!」
「ロディアン会頭はプロメテウス領にずっと張り付いていて、すぐには来られないかと」
「バカもん! 買取りはもう中止だ。早くロディアンを呼び戻せ!」
「はっ!」
その四日後、ソルレート伯爵の召還命令によりロディアン会頭は伯爵と謁見していた。
「そなたを呼んだのは他でもない。穀物の買取りは中止だ。もう買い付けをやめろ」
「それは穀物への補助金をこれ以上払わないということでしょうか」
「当たり前だ!」
「わかりました。では既に買いつけた分だけで結構ですので、代金をお支払ください」
「・・・いくらだ」
「1009万2231ゴールドです」
「1000万ゴールドだとっ! ななな、なんでそんな途方もない金額になるのだ!」
「私が買い付けた分の穀物はまだ全てをソルレート領に持ち込んだわけではなく、将来買取を約束した分も含めてその多くはプロメテウス領にあります。なのに出納官の人数が少なすぎて事務が滞っていて倉出しできず、こちらも迷惑してるんですよ」
「ウソをつくな! そんな大量の穀物がプロメテウス領に存在するはずないではないか! 他領からの穀物買取は対象外だから買取りはせぬぞ!」
「もちろんそれらは全てプロメテウス領の商業ギルドで買い取ったものです。実は今年の秋口に取引方法の変更がありまして、現物取引と並行して帳簿取引が導入されたことで取引が活発化し、目端の利く王国中の商人たちがこぞってプロメテウス取引所に参入し、大量の穀物が取引されるようになったのです」
「何だと? ・・・そんな話ワシは聞いてない。そもそもその帳簿取引というのは一体どういうものなのだ」
「将来期日に現物と交換できることを約束する帳簿上の取引で、いちいち現物の穀物を運搬する必要がなく帳簿上のお金のやり取りだけで取引が済む上に、証拠金の範囲内で何倍ものレバレッジの効いた差金取引が可能です。今、商人たちに大人気の取引方法ですが、まさか伯爵はご存じないのですか?」
「アホか! ワシは商人ではなく貴族だっ! そんなの知るわけないだろ!」
「ですがこの取引方法を考えたのは貴族。プロメテウス領の領主アゾート・メルクリウス男爵閣下ですが」
「なななな、なんだとっ! あのガキがまさか商人の真似事まで・・・」
「いずれにせよ穀物は間違いなくプロメテウス領で購入したもの。伯爵との契約の範囲内ですので補助金は必ず払っていただきます。穀物は他にも城塞都市ヴェニアルの倉庫に大量に保管してあります。至急、出納官の派遣をお願いします」
「ええいうるさい! そんな大金を払えるわけないだろ。一体何年分の税収だと思っているんだ!」
「それでは伯爵の資産を差し押さえさせていただきますがよろしいですかな。ちょうど王都の弁護士を連れて参りましたので」
「・・・貴様、こうなることを分かっていて、ワザとやったな」
「こちらも商売ですので、金儲けのチャンスは確実にものにいたします。それでは頼むよ弁護士さん」
「では、アージェント王国商法に基づく破産処理の手続きに入らせて頂きます」
「破産処理だと? ちちち、ちょっと待て! 伯爵のワシが破産などあり得ない!」
弁護士の言葉にソルレート伯爵は愕然とした。
一体ワシはどうなるのか。
この城はどうなる?
ワシの領地は?
そうだ! ワシは穀物を大量に購入したじゃないか! それを売れば金になる!
「おいロディアン。わしが買い取った穀物はどこにあるのだ」
「既に小売商に売却したものもありますが、多くは私の倉庫や荷馬車の中ですね」
「ならそれを早くワシに引き渡せ」
「それはできません」
「なぜだ! 金を払ったんだから全部渡せ!」
「渡せません。なぜならあなたは穀物を購入したのではなく、プロメテウス領とソルレート領の穀物の価格差に対し補助金を拠出する契約を私と行ったからです。これはあなた自身が提案したことで、自分が買い取ってそれを小売業に売り渡す手間が面倒だから、差額分の金だけやるから全部私に任せると。だから私が代わりに売って差し上げたのですが」
「うぐっ・・・ではそなたが買い取った穀物は今後どうなるのだ」
「ソルレート領では買い手が見つからないので、プロメテウス取引所で売ることになるでしょう。あそこなら買い手はいくらでもいますからな」
「それではプロメテウス領に食料危機を起こせないではないか!」
「食糧危機を起こせという契約はしてませんので、私は知りませんよ。これ以上用がないのなら忙しいので失礼させてもらいます」
部屋から去っていくロディアンと入れ替わるように、民事卿と商務卿が駆け込んできた。
「緊急事態です!」
突然の破産処理に呆然としている伯爵に追い討ちをかけるように、民事卿が報告を始める。
「商業ギルド、工業ギルド始めとする各種業界団体の建物が全てもぬけの殻です。主だった会員も引き連れてソルレート領から一斉に逃亡した模様」
「そんなバカな・・・」
その事実を補足をするように、商務卿が背景を説明。
「アウレウス派閥による報復関税により我が領地の商品が全く売れなくなり、商人や職人に収入が入らず混乱が生じていました。他領への商品の輸送には多額の資金が必要で、多額の借金と不良商品を抱え込まされた商人や職人は高利貸しからの差し押さえや貸しはがしにあい、夜逃げをする者が続出。このままでは全ての会員が破綻すること恐れたギルドがひそかに脱出計画を立てて、まんまと夜逃げされてしまいました。いなくなった彼らは我がソルレート領を支えて来た有能な人材で、亡命希望をすればどの領地でも三顧の礼で迎え入れるでしょう」
「たかが報復関税でなぜそんなことに」
「今さらですが、プロメテウス領への追加関税をすぐに止めれば、アウレウス派貴族たちも関税を引き下げたはず」
「あんなものはただの嫌がらせのつもりだったのに、まさかこんなことになるとは」
だが民事卿の報告はまだ続いた。
「結局、我が領地に残ったのは農民と冒険者と職にあぶれた貧民だけ。商人がいなくなって何も買えなくなったと民衆が暴動を起こしておりますが、どうしましょうか」
「・・・取り締まれ。」
「「は?」」
「暴動を起こすものは全員捕えろ! 殺しても構わん!」
「「はっ!」」
だがどうしてこうなった・・・。
あまりに展開が急過ぎて、ワシの頭では追いつかん。
民事卿たちが謁見の間を去るのと入れ替わるように、今度はデュレート卿が部屋に駆け込んで来た。
「兄上、大変です!」
「今度はそなたか。それで何用だ」
「騎士学園の生徒会長選の件に決まっているではないですかっ!」
「このバカ! ソルレート領の一大事だというのに学園の生徒会長選なんてどうでもいい話を持ってくるな!」
伯爵がジロリと弟を睨むが、当の本人は全く気にせず話を続ける。
「息子のニコラがセレーネファンクラブに入会して、毎朝握手会に並んでいるのです。さすがにやめさせた方がいいと思うのですが、まずは兄上の判断を仰ぎたいと」
「アホか! そんなもんワシが知るかっ!」
◇
「ということがあって、我ら全員プロメテウス領に受けていただきたいのです」
ロディアン会頭の話が終わり、そのあまりの想定外の状況に、俺も両親もフリュでさえも理解が追いつかなかった。
シンと静まり返った応接間は、暖炉の火のパチパチと弾ける音だけが聞こえた。
えええっ!
そ、ソルレート領が破産?
なんでやねんっ!
「そ、それで亡命者の件ですが、どのくらいの人数を受け入れればいいんだ?」
「工業ギルドは、170名の職人とその家族935名の受け入れを希望します」
「商業ギルドは、23の商会とその従業員家族をあわせて4674名の保護を求めます」
その他のギルド長たちも引き連れてきた人数を次々と報告していった。
人数が1万人を遥かに超えるとんでもなに人数になっているが、こんなに多くの人材を得られるチャンスはまたとない。
「わかりました。全員の亡命を認めます」
ホッとする一同。
「母上。彼らが居住する家はありますか」
「もちろんある訳ないでしょ」
「だよな。だがここにいる皆さんが力を合わせれば、自分達で新しい街を作ることができる。資金はプロメテウス領が負担しますし、それまでの生活費も渡しますので、街の建設に挑戦してみてはいかがですか」
「自分たちで新しい街を・・・」
「面白い!」
「生活費も貰えるなど、是非もないことだ」
これだけの人数を受け入れるのだから新しい街を作るしかない。ならこちらで用意するより自分たちの好きなように作ってもらった方がむしろ効率がいい。
「アゾート、そんな約束をして大丈夫なの? うちにそんなお金ないわよ」
「大丈夫ですよ母上。これから帳簿売りの反対売買をするので、そこから資金を出しましょう。ロディアン商会さんは大丈夫ですか?」
「ククククク。こちらにはソルレート伯爵からふんだくった補助金がたんまりあるし、価格の下がりきった穀物もダブついている」
「なら結構。母上、今度は買って、買って、買いまくりましょう」
「じゃあ俺は、売って、売って、売りまくるから覚悟しておけよ、若造!」
そう言って、俺とロディアン会頭は不敵に笑いあった。
「ところで領主殿、あの報復関税というのはあんたが考えたのか?」
アウレウス伯爵に提案したのは確かに俺だが、当然ネタ元は前世の記憶。
「俺が考えたというか・・いやそうなるか」
「商人からして見ればかなりえげつないやり口で、こんな性格の悪いことを考えた奴の顔を見たいと思っていたが、まさかこんな学生だったとはな」
「性格が悪いって・・・」
報復関税は、現社や政経、近代史で必ず出てくる頻出問題。
自由貿易体制の反対を行く、20世紀初頭のブロック経済。日本を苦しめたABCD包囲網と石油禁輸政策。
戦争は経済活動の延長にある。
こういった経済政策が、第二次世界大戦を引き起こす一因になったのだ。
特にこの異世界は経済がかなり小規模だから、領内市場で吸収しにくい分効果が大きく出過ぎてしまったのかもしれない。
だがこの状況、とんでもなくまずいのではないか?
俺が嫌な予感を感じ始めた時、使用人が一通の手紙を持ってきた。
差出人はアウレウス伯爵からで、転移陣を使った速達だった。
俺はさっそく封を開け中身を確認する。
「なんだと?!」
俺は家族を近くに呼び寄せて、そこに書かれていた内容を小声で話した。
魔法協会会長のジルバリンク侯爵との駆け引きは順調に進んでいたが、どうしてもあと1枚カードが足りなかった。
だがソルレート伯爵が実にいいタイミングで破産した。彼の債権者が弁護人を通じて清算手続きを王国裁判所に申請したのだ。
伯爵はそれに対抗するため、王国決闘法に基づく清算手続きを申請。自らの爵位と領地を引き換えに、プロメテウス領とロディアン商会に宣戦布告。差し押さえ資産を力づくで取り返すつもりだ。
ちなみに決闘法に基づく戦争は、王国裁判所の調査官による監視下で行われる管理された戦争で、詳しくは娘から聞いてほしい。
もちろん受諾する義務はないが、申し込まれた決闘は受けて立つのが貴族の嗜み。婿殿が賭けるのは伯爵の担保資産なので、負けても爵位や領地を失うことはない。
だが戦争に勝てば、ジルバリンク侯爵との交渉カードが1枚増えてクエストが再開できるし、プロメテウス領の領地も広がるかもしれない。アウレウス派としても利益が得られるので必要な軍事支援は行う。
しかしこの短期間でよくぞここまでの状況を作り出せたな。その見事な手腕には目を見張るばかりだ。さすがは婿殿。これからもそなたの才覚に期待する。
俺がなぜか婿殿と呼ばれていることが少し気になったが、こんな状況になったのは伯爵だけでなく俺自身もびっくりしている。
そんなことよりアウレウス伯爵からの手紙の行間から読み取れる「戦争をしろ」という指示が俺を悩ませる。
「どうしますか父上・・・」
「お前が領主なんだから自分で決めろ。だがやるならサルファーやダリウスたちも巻き込もう。支援要請は俺の方で引き受ける」
「ねえアゾート。あなたは穀物の取引の時に「これは戦争なんだ」って言ってたよね。この戦争はあの取引が作り出した状況なんだから、男らしく最後までやりとげなさい」
「兵力数では劣りますが、わたくしたちにはアゾート様の作り出した数々の魔法や新兵器があります。戦略・戦術面ではわたくしも微力ながらお手伝いいたしますので、何も躊躇することはございません」
「・・・・・」
なんでみんなそんなに乗り気なの?
ていうか戦争反対って言える雰囲気じゃないよね。
しかし、夏休みにダンの見つけてきたクエストがまさかの戦争に繋がるなんて、マジで攻略不可能クエストだよね、これ・・・。
ただソルレート領の現在の経済状況からは遅かれ早かれ戦争に行き着く訳だし、だったら裁判所に管理された戦争の方がまだマシ。
各方面からの支援も得やすいこのタイミングがベストか・・・。
「よし戦おう」
「「「おおーーーっ!」」」
その後、当事者のロディアン会頭だけを残してギルド長たちには帰ってもらい、今後の対応についての議論が交わされた。
俺が王国裁判所に許諾の意思を示せば、調査官がやってくる。
決戦は、冬休みだ。




