第60話 フリュオリーネの涙
ここに監禁されて、もう何日が経ったのだろうか。
暗くて何も見えない地下牢の中で、カサカサと地を這う害虫の音があちらこちらから不気味に聞こえる。
蒸れるような暑さと異臭の中で、わたくしはこうしてジッと耐えるしかない。
一日に2度訪れる護衛兵が食料と水を持ってくる以外は、誰もここに寄り付かない。
どうしてわたくしはこんなところに閉じ込められているのだろう。
そしていつまでここにいれば、外に出してもらえるのだろうか。
サルファーに婚約を破棄されたわたくしは、自分の考え方が間違っていたことにようやく気がついた。
そして新しくなったわたくしは、今度はフォスファーの婚約者として騎士団に合流し、みんなとともに必死に戦った。
あのまま行けば間違いなく戦いには勝利していたし、フォスファーが爵位を継ぐことができたはず。
なのにわたくしはなぜ、こんな地下牢に入れられているのか。
今度はどこで間違えたのか、ずっと考えているけどその答えがまだ分からない。
あの決闘の時、サルファーがセレーネを命がけでかばっていた。
サルファーも、そしてフォスファーも、わたくしのことはおそらく命がけで守ろうとしないだろう。
セレーネがわたくしの立場なら、地下牢に閉じ込められることもなかったのかな。
セレーネのようにふるまえば、わたくしは失敗しなかったのかな。
でもわたくしにそんな真似はできそうにない。
◇
俺は護衛兵を倒しつつ、地下牢と思われる場所にたどり着いた。
「うわっ・・・ひどい匂いだ」
真夏の地下牢は換気が悪く熱も籠っており、蒸し暑くて腐ったようなにおいが鼻をつく。
あの氷の女王が本当にこんな所にいるのだろうか。
騎士学園では取り巻きたちを従えていた悪役令嬢。
俺と会う度に貴族としてのあり方がなっていないと説教をするような、王国貴族の模範たらんとする名門貴族のお嬢様。
そういえば、いきなり平手打ちされたこともあったっけ。
俺は独房をひと部屋ずつランタンで照らして中を確認していく。
つい先日まで敵として俺たちの前に立ちはだかっていた、セレーネをも上回る恐るべき戦闘力を備えた最強の敵。
だけど俺はそんな彼女を助けるために、今ここにいる。
これは俺たちが生き残るための作戦。
どんどん奥に向かって一部屋ずつ独房を調べていくと、ついに人の気配のする部屋が見つかった。
「誰かいるのか?」
そう言うと俺は、独房の窓から中を覗き込んだ。
◇
わたくしは声がする方向を振り返った。
「!」
窓の外にアゾートの顔を見た瞬間、わたくしの心の中に様々な感情が一度に流れ込んできた。
その中でも最も強い感情は、羞恥心だった。
「嫌っ!」
◇
「こっちにこないで!」
フリュオリーネの声だ。
「こんな所に閉じ込められていたのか。今助けてやるぞ!」
「お願いだから、わたくしを見ないでっ!」
「アウレウス騎士団がお前のことを探している。みんなの元に返してやる!」
「お願い・・・来ないで・・・」
「フォスファーは倒したから、もう大丈夫だ。安心しろ」
俺は鍵を取り出すと、独房の扉を開け放った。だが、
「うっ!」
なんだこれは・・・。
独房の中はひどい悪臭が立ち込め、食器にはネズミや害虫がたかっている。
そしてフリュオリーネは、壁にもたれ掛かるように座り込んで顔を伏せていた。
「わたくしを見ないで、お願い・・・」
寝ているところを拉致されたのか、ひどく汚れたネグリジェ姿のフリュオリーネ。
肌は浅黒く汚れ、普段は綺麗に整えられていた長い金髪も今は乱れてツヤを失っていた。
魔力を封じる手かせ足かせを付けられ、囚人以下の酷い扱いをされた彼女を見た瞬間、フォスファーへの怒りが爆発した。
なんてひどいことを。
自分の婚約者じゃないか。
一緒に戦った仲間だろ。
決闘の時もお前を助けてくれてたじゃないか。
こんな目にあわなければならない何を、彼女がお前にしたというのか。
フォスファーが何を考えて彼女にこんなことをしたのかとても理解できないが、まともな人間のすることではない。
とにかく今すぐ、彼女を出さなければ。
俺はフリュオリーネに駆け寄ると手かせ足かせを破壊し、汚れたネグリジェを隠すために制服の上着を彼女にかぶせた。
「ダメっ! 制服が汚れる!」
「そんなの気にしなくていいよ」
俺はフリュオリーネを抱きかかえると、急ぎ独房を後にした。
「すぐに下ろして! あなたが汚れる!」
「だからそんなこと気にしなくていいよ。それよりちょっと急ぐから、落ちないように俺にしっかりつかまってくれ」
「・・・ごめんなさい」
俺の首筋に腕を回したフリュオリーネ。
腕にぎゅっと力が入ると、彼女の顔が俺の胸元に押し当てられた。
彼女は俺の胸の中で小刻みに震えている。
俺は階段をかけ上がると、上階にあるはずの客間を目指した。早く彼女を保護しないと。
先ほどフォスファーと戦った広間の近くを通りかかる。
そちらからは騎士数人が何かの会話をしていたが、いずれも聞き覚えのある声だしフェルーム騎士団が城の制圧に成功したのだろう。
たがフリュオリーネのこんな姿を、誰にも見せられない。
俺はそのまま広間を通りすぎると、上階の客間を目指す。
「・・・うううう」
フリュオリーネが声を押し殺して泣いていた。肩が小刻みに震えている。
氷の女王と呼ばれた姿はもうそこにはなく、俺の腕の中では一人の少女がただ泣いているだけだった。
あんな辛い目に会ったのに、ずっと今まで我慢してたんだな。
・・・かわいそうに。
「安心していいよフリュオリーネ。誰にも見られないよう、どこか部屋を探すから」
この部屋が使えそうだ。比較的きれいな客間だ。
フォスファー騎士団が使っていたのだろうが、今は誰もいない。
「アゾートっ!」
後ろから声がした。ネオンだ。
「フリュオリーネを救出した! 誰か大人の女性がいれば呼んできてくれ!」
「アゾートのお母様が来てるよ」
「ちょうどいい。じゃあ女性用の着替えをもってこの部屋に来るよう母上に伝えてくれ」
「分かった!」
「酷い! 何よこれ・・・」
母上はフリュオリーネの姿を見て、怒りに打ち震えた。
「母上、彼女のことを頼む」
「もちろんよ! この子は私がちゃんときれいにしておくから、あなたもその汚れた服を着替えて来なさい」
これでひとまず安心だ。ほっとしたら急に力が抜けてきた。
俺の着替えは・・・あ、そうだ、マールの家に置いて来た。
今から取りに行くのは面倒だし、その辺で軽く洗うしかないな。
「フリュオリーネは眠っているのか」
「あんな状態だったから、ほとんど眠れてなかったんでしょうね。かわいそうに・・・」
「彼女はこれからどうなるのかな」
「そうね。アウレウス騎士団に保護されて、実家に戻るんじゃないかしら」
「婚約者のフォスファーも討たれたし、フリュオリーネがボロンブラークにいる必要はなくなったからな。あれ? そうすると戦争は俺たちの勝ちということか」
「でも領都ボロンブラークは占領されているし、これから話し合いになるんじゃないかしら」
「なるほど、そうなるのか・・・」
母上と俺の話し声が聞こえたのか、フリュオリーネが目を覚ました。
「悪かったな。うるさくして起こしちまって」
「いいえ。その・・・アゾートが助けてくれたのですよね。感謝の言葉もございません」
「構わないさ。それより疲れてるんだし、もう少しここで休めばいいよ。アウレウス騎士団はまだ到着しないから」
突然パタリと扉の閉まる音がした。母上がそっと部屋を出ていったようだ。
「こんなことを聞いていいのかわからないが、どうして監禁されたんだ」
「わたくしにもわからないわ。気がついたら捕らえられて地下牢に連れていかれたの」
それからフリュオリーネは、自分の身に起こった出来事を俺に話し始めた。
客観的に物事を見つめ、考察するように淡々と語る彼女。その紡ぎ出す言葉には何の感情も見いだせない。
いつもこんな風に世の中を見ていたんだ、このフリュオリーネという少女は。
普段は氷の女王とか悪役令嬢とか呼ばれて、ボロンブラーク騎士学園の上位貴族の頂点に君臨していた彼女。だがそこに、他の貴族にみられるような欲望や嫉妬心などといった感情が一切感じられず、まるでサイボーグのような人だった。
そしてそれは、学園で会うたびに感情をむき出しにして俺を罵倒していたフリュオリーネとも全く違う印象。
一体どれが本当の彼女なんだろうか。
「決闘の時、サルファーがセレーネをかばっていたのを覚えてますか」
「ああ。俺の婚約者をまるで自分のもののようにかばっていたよな、あいつ」
「うふふふ」
俺はフリュオリーネが笑うところを初めて見た。
「そうやって笑えるんだな」
「そうね、自分でも驚いてる。こうして笑ったのは生まれて初めてかも」
笑ったことがないって・・・。
「なあ、そんなに辛い人生にどうして耐えられるんだ。俺なら我慢できないよ」
「そう育てられたからだと思う。けれどこれでもう終わり。たぶんわたくしに次はないと思う。・・・2回も失敗したから」
「それが自分のせいでなくてもか?」
「ええ。結果がすべて。そして汚点は女であるわたくしに付くの」
「・・・理不尽だな」
「もしあの決闘でわたくしがあなたの婚約者だったら、セレーネみたいに助けてくれた?」
「当たり前だろ。それに婚約者でなくても君を助けただろうな」
「・・・そう」
フリュオリーネはそれから黙って、俺の服のシミを見つめた。
「それはわたくしの・・・」
「適当に洗っただけだから今はシミが残っているけど、後でちゃんとしておくから気にしなくていい」
だが彼女は服についたシミをそっと手でなでて、そこに顔をうずめた。
「・・・うあああああああああ!」
そして大きな声を上げて、肩を震わせながら泣き始めたフリュオリーネ。
俺はその背中にそっと手をやり、彼女が泣き止むまでただ抱き寄せていた。
「もう我慢なんかしなくていいんだ。俺がいるから安心しろ、フリュオリーネ・・・」




