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『魔物を煮込むな! 外伝 ~規格外の天才料理人に振り回される人々のごちそう回想録~』  作者: にゃん


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轟音と衝撃、そして崩壊?

商隊が北へと続く難所、『双子岩の急流』に差し掛かったのは、陽が最も高く昇った正午過ぎのことだった。


ここは北の砦へ向かう者が必ず通らねばならない要衝だが、同時に旅人泣かせの場所としても知られている。


雪解け水を含んだ激流が岩を噛んで唸りを上げ、常に冷たい霧が街道を覆い隠している。


視界は悪く、足元は濡れて滑りやすい。


そして何より、この界隈には「主」がいた。


「――っ、旦那! 伏せろ!!」


護衛のカイルが、裂けんばかりの声を上げた。


街道の脇に転がっていた、ただの巨大な苔むした岩だと思っていたものが、不気味な音を立てて「せり上がった」のだ。


岩に見えていたのは、硬質な甲殻に覆われた巨大な蟹の背中――『岩殻大蟹ロック・クラブ』である。


その体躯は馬車よりも大きく、左右に備わった非対称のハサミは、大木をも一撃で断ち切るほどの威容を誇っていた。


「ひいいっ! ロック・クラブだ! 逃げろ、食われるぞ!」


「落ち着け! 陣を組め、足の関節を狙うんだ!」


カイルとルークが剣を抜き、商隊の前に立ちはだかる。


だが、大蟹のハサミが繰り出されるたび、彼らの盾は紙屑のようにひしゃげ、強固な甲殻は鋭い剣先を火花と共に弾き返した。


霧の中に、絶望の色が広がり始める。


だが、その混乱の最中。


ただ一人、頬を紅潮させ、黄金色の瞳を爛々と輝かせている少女がいた。


「……あ! あの蟹! 甲羅の裏に身がぎっしり詰まってて、お味噌が最高に濃厚なやつだわ!」


リゼットは恐怖に震えるどころか、背負っていた大鍋をドスンと地面に置き、バルド譲りの重厚な鉈を勢いよく引き抜いた。


彼女の視界には、もはや死の危険など一片も映っていない。


あるのは、大鍋の熱い湯気の中で赤々と茹で上がる大蟹の完成図だけだった。


「ちょっとごめんなさい! その足、一本・・・・いや、全部貰っていくわね!」


リゼットは大地を蹴った。


霧を切り裂き、弾丸のような速さで踏み出す。


大蟹は自分より遥かに小さな、しかし最も「捕食者」としての圧を放つ獲物を排除しようと、丸太のようなハサミを力任せに叩きつけた。


「危ない、リゼットちゃん!!」


ルークの悲鳴を余所に、リゼットはハサミが地面を砕く寸前、驚異的な身体能力で真上に跳んだ。


一気に数メートルの高度を稼ぎ、大蟹の頭上を取る。


――だが。


その「全力の跳躍」と、獲物を仕留めようと大きく広げた両腕の動きが、運命の引き金となった。


もともと、ザックからもらった「さらし」は、王宮での数ヶ月、そしてこの過酷な旅路を経て成長し続けたリゼットの豊かな肉体に、とっくに限界を迎えていたのだ。


パンを捏ね、魔物を解体し、全力で走り続けてきた布地は、今、彼女の人生最大の跳躍による負荷に耐えきれなくなった。


リゼットは大蟹の眉間に向けて、鉈を全力で振りかぶった。


人生最大の跳躍と、獲物を仕留めようと全細胞に力を込めたその瞬間、物理的な限界が訪れた。


――パギィィィィンッ!!!


戦場に、およそ布が裂ける音とは思えない、鋼の鎖が引きちぎれたかのような衝撃音が轟いた。


「「……えっ?」」


カイルも、ルークも、逃げ惑う商人も。さらには大蟹までもが、その異様な音の正体に目を奪われた。


宙を舞うリゼットの胸元で、限界を突破した「さらし」が、まるで爆弾のように四散したのだ。


弾け飛んだ白い布切れが霧の中に雪のように舞い、それと同時に、これまで鉄の意志で抑え込まれていた「二つの圧倒的な生命力」が、拘束から解き放たれ、初夏の日差しを浴びて激しく躍動した。


その瞬間、彼女の身体は、重力と加速に従って大蟹の眉間へと叩きつけられた。


さらしを失ったことで、本来の柔軟性が完全に解禁されたのか、あるいは弾けた勢いが推進力になったのか。


鉈の一撃は、さきほどまで護衛たちが絶望していた厚い甲羅を、熟した果実のように易々と叩き割った。


「ぎ、ぎぃぃぃぃ……ッ!」


ぬしが断末魔の叫びと共に崩れ落ち、激流の音をかき消すほどの地響きが周囲を揺らす。


……しかし、大金星を挙げたはずの現場に、討伐の歓喜は欠片もなかった。


「………………」


訪れたのは、深すぎる静寂。


カイルとルークは、鼻から熱い液体が垂れるのも構わず、彫像のように固まった。


リゼットが着ていた古い制服は、内側からの「爆発」に耐えきれず、前ボタンが無惨に弾け飛び、左右に大きく開いている。


霧が晴れ始めた川岸に立っているのは、返り血を浴び、半分千切れた服の隙間から、隠しきれない豊かな果実を露わにした、水も滴る「野生の聖女」であった。


「…………へ?」


リゼットは最初、何が起きたのか分からず、自分の胸元に視線を落とした。


そこにあるはずの「さらし」はなく、代わりに今まで感じたことのない、開放的すぎる涼しさと、自分の一部が「ぶるん」と揺れる奇妙な感覚。


一拍置いて、彼女の脳内で全ての状況が結びついた。


「――っ、ひ、ひゃあああああああああああああ!!?」


顔面を沸騰させたリゼットは、咄嗟に両手で胸を隠し、その場にうずくまった。


さきほどまで大蟹を屠っていた勇猛な狩人の姿はどこにもない。そこには、ただただ恥ずかしさに震える一人の少女がいた。


「み、見ないで! どこ見てるのよバカぁぁぁ!! カニばっかり見てればいいじゃない!!」


「……だ、旦那。俺、もう……このまま天に召されてもいいっす……」


「馬鹿野郎、しっかりしろ! ……リゼットちゃん、とりあえず、これを! これを着ろぉぉぉ!!」


ルークが自分の外套を、顔を真っ赤にして裏返った声で叫びながら投げつけた。


ルークが自分の外套を、顔を真っ赤にして裏返った声で叫びながら投げつけた。


リゼットはそれをひったくるように受け取ると、岩陰で素早く、かつ厳重にぐるぐる巻きに羽織った。


(ふぅ……さすがにびっくりしたわ。これでよし、と)


隠すべき場所をしっかりガードしたことで、彼女の心には一気に平穏が訪れた。


数秒前まで涙目だったのが嘘のように、リゼットはスッと立ち上がり、真剣な眼差しで大蟹の死骸を見据えた。


「……よし、落ち着いたわ! 二人とも、呆然としてる暇はないわよ! 早くこの蟹を解体して運ぶのを手伝って!」


「……えっ、あ、もういいの? 立ち直り早くない?」


「何言ってるのよ。恥ずかしいのは恥ずかしいけど、鮮度が落ちるほうがもっと怖いわ! このお味噌が固まっておいしさがなくなったらそれこそ一生後悔するんだから!」


ついさっきまで顔を真っ赤にしていた少女はどこへやら、リゼットは外套の裾を豪快にたくし上げ、鼻息荒く鉈を握り直した。その瞳には、すでにカニの身をほぐす手順しか映っていない。


「……だ、旦那。あの娘、やっぱり大物っすね……」


「ああ……。俺たちの動揺を返してほしいよ……」


護衛たちの理性を粉々に打ち砕いた『さらし爆散事件』。


本人はケロッとしてカニの足を切り分けているが、そのあまりの「野生の生命力」に、商隊の男たちはこれ以降、彼女に敬意(と、拭いきれない下心)を抱かざるを得なくなるのであった

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