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『魔物を煮込むな! 外伝 ~規格外の天才料理人に振り回される人々のごちそう回想録~』  作者: にゃん


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死神の休息、あるいは最強の天敵

「……無駄だ。そこにはもう、何も残らんぞ」


王都から数里離れた深い霧の森。


外套を翻した男――ザックは、手にした漆黒の短剣に付着した青黒い血を、無造作に振り払った。


その足元には、本来であれば数十人の精鋭騎士団を差し向けなければならない「上位魔物」の残骸が転がっている。


ギルドからの特級依頼。


内容は、隣国が放ったとされる暗殺魔獣の排除。


誰にも知られず、誰にも賞賛されず、ただ「無」へと還す。


それが王国最強のゴールドランク冒険者「灰かぶりの死神」に課せられた依頼内容だった。


(……けっ。どいつもこいつも、血生臭い依頼ばかりだ)


ザックは鞘に短剣を納め、低く吐き捨てた。


彼の腰にある装飾のない短剣は、一振りで国を救えるが、同時に持ち主を孤独にする呪いのような代物だ。


この短剣の存在を知る者は、彼を神のように崇めるか、化け物のように恐れるかの二択しかない。


「腹が減ったな……」


ふと、ザックの脳裏に「あのおかしな小娘」の顔が浮かんだ。


王宮の地下倉庫という、掃き溜めのような場所で出会ったリゼット。


自分を死神として恐れることも、男として意識することもなく、ただの「素材」として検分し、魔物を煮込んで笑っていたあの少女。


伝説の冒険者として、数多の美女から誘いを受けてきたザックだったが、あんなに「自分」に興味を持たず、「自分の持ってきたトカゲ」にのみ目を輝かせた女は初めてだった。


(……あいつ、まだあそこにいんのかよ)


ザックは王都への帰路、ふらりと足を向けた。


向かったのは中央の貴族街ではなく、煤けた石造りの建物がひしめき合う下町、第十二区だ。


リゼットが一時的に身を寄せているという食堂『ひだまり亭』を、彼は数軒先の建物の影から、気配を完全に断って観察した。


そこには、泥にまみれた労働者たちに囲まれ、太陽のように笑うリゼットの姿があった。


王宮を追い出され、地下倉庫から放り出されても、彼女は変わらない。


どこにいても、彼女の周りだけは温かな光が満ちている。


(……ふん。やっぱりあいつはあいつだな)


ザックは、彼女に声をかけようとして、一度伸ばしかけた手を引っ込めた。


あんなひだまりのような光の中に、自分のような存在が踏み込んでいいはずがない。


「……ま、元気そうならそれでいい。俺は俺の場所へ戻るとするか」


ザックは自嘲気味に笑い、再び闇に溶け込むように踵を返そうとした。


王宮の隠密部隊ですら見つけられない「灰かぶりの死神」の潜伏。


この距離、この遮蔽物。見つかるはずがなかった。


「あ! ザックーーー! どこ行ってたのよ、お腹空かせて待ってたんだから!」


「……ぶっ!?」


背後から飛んできた一点の曇りもない叫びに、ザックの心臓が劇的に跳ねた。


ありえない。


魔導具でも探知できない自分の隠密を、彼女はまるで「夕飯にちょうどいいキノコ」でも見つけるような気軽さで、一瞬で見破ったのだ。


「ちょ、おい! 貴様、なぜ……!」


「なによその顔! こっち来て! 今日はバルドおじさんが特別に『大トカゲの心臓』を分けてくれたの。


ザックのために、とびきりのスタミナスープ作ったんだから!」


「……おい、大声で呼ぶな。俺は今、隠密行動の帰り――」


「いいから早く! 早く食べないと、また私が“下処理”しちゃうわよ!」


リゼットがお玉を剣のように振り回して迫ってくる。


「再会の感動」など微塵もない。


あるのは「最高の食材を、最高の鮮度で食べさせたい」という、料理人としての純粋すぎる、そして暴力的なまでの情熱だけだ。


「……わかった。わかったからその武器おたまを下げろ。……ったく」


ザックは天を仰いだ。


伝説の冒険者。


一軍を凌駕する武力。


王国最強の称号。


そんな大層な肩書きも、この「野生の猛獣」の前では、ただの『お腹を空かせた大きな兄ちゃん』に成り下がる。


店に入ると、バルドが「よう、兄ちゃん。うちの嬢ちゃんが待ってたぞ」とニヤリと笑った。


促されるまま席に着くと、目の前に黄金色のスープが差し出される。


「ほら、熱いうちに! ザック、最近ちゃんと食べてなかったでしょ?」


「……食ってなきゃ、これほど動けるかよ」


文句を言いながらも、ザックはスープを一口啜った。


瞬間、五臓六腑に染み渡るような滋味が全身を駆け抜けた。


戦いで荒廃していた精神が、驚くほど滑らかに解きほぐされていく。


魔導士たちが「調律」と呼ぶその現象を、ザックは単に「美味い」という言葉でしか理解できなかったが、それでも、自分の心が救われていることだけは確かだった。


(……全くだ。こいつと一緒にいると、死神の看板が泣きやがるぜ)


だが、不思議と気分は悪くなかった。


ザックは漆黒の短剣を隠すように外套を丸め、リゼットの喋る「今日の仕入れ」の話を肴に、温かなスープを胃に流し込んだ。


リゼットの笑い声に引きずられるようにして、死神は束の間の、しかし何物にも代えがたい休息へと誘われていった。


「……ザック。私、ここでずっとお料理してても大丈夫かな」


ふと、リゼットが漏らした一言。


ザックは最後の一口を飲み干し、彼女のどこまでも真っ直ぐな瞳を見つめた。


「お前が決めることだろ。……だがなリゼ、ここは少し『狭すぎる』かもな」


ザックのその言葉は、不吉な予言ではなく、彼女という存在がもっと広い世界を照らすべきだという、彼なりの確信だった。


その予感が、翌朝、店を囲んだ役人たちの怒号によって現実となることを、二人はまだ知らない。



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