表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔物を煮込むな! 外伝 ~規格外の天才料理人に振り回される人々のごちそう回想録~』  作者: にゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

『ひだまり亭』の皿洗いと、黄金のトカゲスープ

王都の華やかな中央通りを抜け、石畳が欠け、下水の匂いが漂う下町へと足を踏み入れると、そこには別の世界が広がっていた。


「……お腹、空いたなぁ」


リゼットは、背負った大きな鍋を揺らしながら呟いた。


王宮を追い出されてから三日。手元にあるのは愛用の鍋と包丁、そしてザックがくれた「さらし」だけだ。


バルトロ料理長に「クビだ!」と言われた時は、新しい食材に出会える喜びで胸がいっぱいだったが、いかんせん路銀というものを全く持っていなかった。


ぐぅぅ、とリゼットの胃袋が情けない音を立てる。


その時、鼻をくすぐったのは、微かな、しかし確かな「小麦」の匂いだった。


リゼットは吸い寄せられるように、一軒の古びた食堂の前に辿り着いた。


看板には掠れた文字で『ひだまり亭』とある。


「……あの、すみませーん。……だれか、いませんか……?」


店の中へ足を踏み入れた瞬間、リゼットの視界がぐらりと揺れた。極度の空腹と連日の野宿。野生児といえど、限界だった。


「おい、娘! 大丈夫か!」


奥から現れたのは、煤けたエプロンをつけた、熊のような大男だった。


店主のバルドは、倒れ込んだリゼットを慌てて支えると、カウンターにあった自分の昼飯――食べかけの硬いパンと、ぬるくなった白湯を差し出した。


「ほら、これを食え! 死ぬんじゃねえぞ!」


リゼットは夢中でパンを口に運び、白湯で流し込んだ。


胃の腑が熱を持ち、指先に力が戻ってくる。


「……ふぅ。おじさん、ありがとう! 助かったわ!」


「礼ならいらねえ。それよりお前、その大きな鍋を持って一体どこから……」


バルドが言いかけたその時だ。


「……あうっ!?」


バルドの巨体が、不自然な角度で固まった。


バキッ、という嫌な音が店内に響く。


「おじさん!? どうしたの!」


「ぐ、ギックリだ……。昨日から予兆はあったんだが……。くそ、これから昼の仕込みだってのに……」


バルドは顔を真っ赤にして床に崩れ落ちた。


この店は彼が一人で切り盛りしている。


彼が動けなければ、今日の営業は絶望的だ。


バルドは痛みに耐えながら、悔しそうに拳を握った。


「……お前、飯を食ったらさっさと行きな。……今日の店は、お終いだ……」


その弱々しい声を聞いた瞬間、リゼットの黄金色の瞳に火が灯った。


「おじさん、寝てて! 私、これでも王宮で働いてたの。お礼に、私が今日のスープを作るわ!」


「……は? 王宮? お前みたいな小娘が……あ、おい! 待て!」


制止する間もなく、リゼットは勝手口へと飛び出していった。


食材棚には干からびた根菜が少しだけ。


これでは「明日も生きられる」スープは作れない。


リゼットは鼻をくんくんと鳴らし、店の裏路地にあるゴミ集積所を睨みつけた。


そこには、生ゴミを狙って集まってきた、体長50センチほどの魔物――『一角ヤモリ』が数匹、這いずり回っていた。


「見ぃつけた。……いい出汁、出してね?」


リゼットの目が、ハンターのそれに変わる。


十分後。


厨房からは、バルドが今まで聞いたこともないような、複雑で芳醇な香りが漂い始めていた。


「おい、お前……一体何を煮込んでやがるんだ……。匂いだけで、腰の痛みが少し引いてきたぞ……」


「えへへ、秘伝の隠し味よ!」


リゼットは、さらしの上からパツパツの制服を揺らし、巨大な木べらで大鍋をかき混ぜる。


鍋の中では、丁寧に下処理されたヤモリの尾と、バルドが捨てようとしていた野菜の皮、


そしてリゼットが持っていた「祈りのスパイス」が渾然一体となり、黄金色の輝きを放っていた。


その匂いに釣られるように、一人、また一人と、仕事帰りの労働者たちが店に入ってくる。


「おいバルド、今日はいい匂いがするじゃねぇか……って、誰だその小娘は?」


最初に現れたのは、全身泥まみれの石工だった。


彼は不審げにリゼットを見つめたが、差し出された琥珀色のスープを一口、啜った。


「…………っ!!」


石工の動きが止まる。


次の瞬間、彼の目から大粒の涙が溢れ出した。


「……なんだ、これ……。温かい……。指の先まで、力が……。俺、今日はもう疲れて、明日なんか来なきゃいいと思ってたのに……」


彼は夢中で器を煽り、叫んだ。


「おかわりだ! お嬢ちゃん、これをもう一杯くれ! これがあれば、明日もまた、石を積める気がするんだ!!」


その叫びを聞いて、次々と客たちがスープを注文し始める。


「俺もくれ!」「こっちもだ!」


静かだった『ひだまり亭』が、一瞬にして熱気に包まれた。


床で横になっていたバルドは、その光景を呆然と見守っていた。


客たちが、見たこともないような晴れやかな顔でスープを飲み、笑っている。


「……祈り、か」


バルドは、リゼットがさっき呟いた言葉を思い出した。


「おじさん、見て! みんな、とってもいい顔よ!」


湯気の中で笑うリゼットの姿は、下町の汚れた厨房にはあまりにも不釣り合いで、それでいて、誰よりも神々しく見えた。


これが、後に「王都の隠れた守護聖女」と呼ばれる少女が、路地裏で起こした最初の奇跡だった。

【読者の皆様へお願い】 もしも「続きが気になる!」と思っていただけたら、 下にある【ブックマーク】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をいただけると、執筆の大きな励みになります! よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ