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『魔物を煮込むな! 外伝 ~規格外の天才料理人に振り回される人々のごちそう回想録~』  作者: にゃん


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3/3

下町の太陽と、路地裏の火種

「よし、今日も『祈り』をたっぷり込めるわよ!」


王都の外延、第十二区の朝。


煤けた石造りの建物がひしめき合うこの界隈に、場違いなほど元気な声が響いた。


下町食堂『ひだまり亭』の厨房で、リゼットは鼻歌を歌いながら大鍋をかき混ぜている。


店主バルドのギックリ腰を救ってから、早いもので一週間が経っていた。


「……リゼット。一応聞いておくが、今朝から煮込んでいるその、禍々しいほど赤い実はなんだ。


まさか、昨夜の嵐で裏のドブ板に落ちていた『火吹きトカゲの卵』じゃねえだろうな」


腰にがっちりとコルセットを巻き、ようやく自力で立ち上がれるようになったバルドが、恐る恐る鍋を覗き込む。


「えへへ、おじさん物知りね! そう、トカゲの卵の殻を細かく砕いて煎じたものよ。これを入れると、スープが冷めにくくなって、朝まで夜回りをしていた衛兵さんたちの冷え切った胃袋にガツンと効くの!」


「トカゲを煮込むなぁぁ!! ……と言いたいところだが、お前が鍋を握り始めてから、うちの常連どもの顔色がやけにいい。昨日は、十年来の腰痛が治ったって泣きながら銀貨を置いていった石工もいたし、一昨日は、魔力切れで真っ白だった若い魔導士が、スープの匂いを嗅いだだけで生き返ったような顔で走っていった」


バルドは呆れながらも、リゼットの手元を見つめる。


その包丁捌きは、もはや芸術の域だ。


何より、彼女が料理を作る時のあの「祈る」ような真剣な横顔――。バルドは、この娘がただの家出娘でないことを確信していた。


だが、深くは聞かない。この下町では、誰もが一つや二つの訳ありな過去を背負って生きているからだ。


「おじさん、見て! 準備完了よ!」


昼時になると、『ひだまり亭』の前には、この界隈では見たこともないような長蛇の列ができていた。


日雇い労働者、洗濯物のおばさん、非番の衛兵、果ては道端の浮浪児まで。


「リゼットちゃん、今日も一杯頼むよ! 昨日のスープのおかげで、一日中体がポカポカして、石積みの仕事が三倍速で終わったんだ!」


「私にもちょうだい! 最近、肌のツヤが良くなったって夫に驚かれちゃって。これ、美容液より効くんじゃないかしら」


「はい、お待たせしました! 明日も元気いっぱいに生きられるように、特製の『活力スパイス』入りですよ!」


パツパツの制服の下は、ザック直伝の「さらし」をきっちり巻いたリゼットが、重い大鍋を軽々と持ち上げ、客たちに琥珀色のスープを配っていく。


その笑顔は、太陽の光が届かない下町の路地裏を照らす、一筋の救いのようだった。


だが、その熱狂を面白く思わない視線があった。


三軒隣。最近、派手な看板に塗り替えたばかりの飯屋『大豚の胃袋亭』の店主、グードである。


「……けっ、面白くねえ。なんであんなボロ店にばかり客が流れていくんだ」


グードは店の入り口に立ち、ひだまり亭に並ぶ列を忌々しそうに睨みつけた。


彼の店は、安く仕入れた質の悪いクズ肉を、大量の塩と香辛料で誤魔化して出すスタイルの店だ。


回転率だけで稼ぐのが信条だったが、最近は「ひだまり亭のスープを飲んだら、他所の飯は砂を噛むようだ」という噂のせいで、客足が目に見えて遠のいていた。


「親父さん、あそこの店、最近雇った娘が『魔法のスープ』を作ってるって評判ですよ。なんでも、一口飲むだけで病が治るとか、魔力が湧くとか……。うちの常連だった衛兵たちも、みんなあっちに寝返っちまいました」


「魔法だぁ? 下町の飯屋が寝ぼけたこと抜かしやがって。どうせ、身体に障るようなヤバい薬草か、不浄な魔物の内臓でもぶち込んでるに決まってやがる」


グードは鼻を鳴らし、懐から数枚の銀貨を取り出した。


「おい、衛生局のコネを持ってる知り合いを呼んでこい。あそこの娘を『不浄な食材を扱う犯罪者』に仕立て上げてやる。ついでに、あのボロ店を立ち入り禁止にして、客をこっちに引き戻してやるんだ」


彼が呼び出そうとしているのは

下町の利権を貪り、小銭さえ握らせれば、気に食わない店の一つや二つ、難癖をつけて営業停止に追い込んでくれるような、汚職の末端にいる小役人だ。


グードの薄汚い野心が、煙たい下町の空気に混じって広がっていく。


そんな陰謀が渦巻いているとは露知らず、リゼットは今日最後の一杯を客に手渡し、空になった鍋を洗いながら鼻歌を歌っていた。


「♪トカゲのしっぽ、隠し味~♪ みんなの元気が、私の元気~♪」


「おい、リゼット。お前、少しは警戒心を持て。……あまりに店が繁盛しすぎると、こういう場所では悪い虫が寄ってくるもんだ」


洗い場に立つリゼットの背中に、バルドが心配そうに声をかける。


だが、リゼットは濡れた手をエプロンで拭き、屈託のない笑顔で答えた。


「大丈夫よ、バルドおじさん! 美味しいものは、みんなを幸せにするんだもん。一生懸命作った料理が、誰かを不幸にするなんて、そんなこと起きるはずないわ!」


その純粋すぎる輝きが、逆に危ういことをバルドは知っていた。


この子は、他人の腹の鳴る音には誰より敏感だが、自分に向けられる悪意にはあまりにも無頓着なのだ。


夜の帳が下りる頃。


『ひだまり亭』の小さな灯りの向こう側で、役人とグードが密談を交わす影が、石壁に長く伸びていた。

下町の聖女を襲う最初の嵐は、すぐそこまで迫っていたのである。

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