地下に住まうは神か悪魔か幽霊か?
「魔物を煮込むな!」シリーズとして短編集を作ってみました。連載形式なので不定期更新になりますが書いてみます。
「……魔導とは、世界の調律である」
王宮魔術師団の筆頭、カシアンは、冷え切った自室で独り、そう自問していた。
本来、魔導とは高度な知性と緻密な計算によって成り立つ学問だ。
乱れた魔力を正し、完璧な術式を構築する。それが王宮魔術師団の矜持であり、すべてだった。
あの日、あの廃棄場で、泥にまみれた銀鍋の底に沈んでいた「それ」を口にするまでは。
宮廷料理長は、あれを『不浄なゴミ』と呼んだ。
だが、私の舌が、脳が、そして激務でささくれ立っていた魔力回路が、絶叫に近い歓喜を上げたのだ。
一口。
たった一口、その琥珀色の液体を啜った瞬間、私の体内で暴走しかけていた魔力波形は、聞いたこともないような完璧な黄金の旋律を奏で始めたのである。
(……救われたのだ。私は、名もなき料理人が作ったであろう至高のスープに)
納得できるはずがない。
あの「至宝」をゴミと呼ぶ宮廷料理人の節穴どもに、この真実を理解させる必要はない。
だが、私は筆頭魔術師の権限を使い、城内で「異変」が起きていないか秘密裏に調査を開始した。
名目は「国家安全保障に関わる、城内地下領域における未知の魔力波動の特定」だ。
しかし、私の執務室に集まった証言は、魔導の専門家としての私の正気を疑わせるものばかりだった。
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【秘密調査ファイル:地下の『食の神』に関する証言録】
※プライバシー保護のため、対象者の音声は魔導具によってに変更されております。
証人A:20代・魔導士レオ(仮名)】
「……私はあの日、魔力抽出の重労働で精神を病み、除隊を考えていました。魔力回路が逆流し、視界は真っ暗。廊下の隅で死を覚悟したその時です。地下倉庫の換気口から、えもいわれぬ『芳香』が漂ってきたのは……」
(音声が興奮で割れる)
「吸い込んだ瞬間、胸の奥に温かい奔流が流れ込んできたんです! 悲鳴を上げていた私の魔力が、まるで母の膝枕で眠る子供のように凪ぎ、みるみる整っていきました。あそこには間違いなく、地下に棲まう『食の神』がいます。私は昨日も換気口に向かって五体投地をしてきました」
【証人B:30代・中堅魔導士(仮名)】
「あれは神の慈悲です。最近、若手の間では噂なんですよ。地下倉庫の扉の前で三回回って『お腹が空きました、救いをお与えください』と唱えると、翌朝の魔力最大値が上昇するって。……え? 私ですか? 私は毎日やってますし、なんなら換気口の隙間に煮干しをお供えしてきました。あ、この報告は内密に。バルトロ料理長に知られたら、神が天に帰ってしまうので……」
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「……正気か、貴様ら」
私は報告書を机に叩きつけた。香りを嗅ぐだけで最大魔力量が上昇するなど、どんな伝説級の聖遺物だというのか。
だが、私の心臓は激しく波打っていた。彼らの話は、私が廃棄場で体験した奇跡と完全に合致する。
証言者たちが一様に、トランス状態のような恍惚とした表情で「地下」を見つめているのがその証拠だ。
(間違いない。彼らを救ったのも、私を救った『琥珀色の主』だ。そして、必ずこのどこかにいるはずだ)
私は独り、冷たく湿った地下へと続く階段を見つめた。
王宮の誰もが「不用品の墓場」と蔑むその先に、王国を根底から揺るがすほどの『祈り』を炊き上げる、名もなき幽霊が潜んでいる。
私は執務室を飛び出した。
手には、調査用という名目で図書庫から強引に持ち出した『王宮地下配管・極秘構造図』と、最新式の魔力測定器。
「閣下! どちらへ! 次の閣議が――!」
「……国家の根幹に関わる調律の乱れを特定しに行く。誰も追ってくるな!」
背後で部下が絶叫していたが、今の私には些事であった。
地下廊下を歩けば、すれ違う魔術師たちの顔色が心なしか良いことに気づく。
奴ら、全員あの匂いで「勝手に」回復しおって。
筆頭である私に報告もなしに、地下の神を共有するとは……。
地下倉庫の扉の前に着くと、私は壁に耳を当てた。
中からは、木べらが鍋の底を叩く小気味よいリズムと、鼻歌が聞こえてくる。
『龍の髭~♪ 雪解けウサギ~♪ 美味しくなあれ、祈りのスープ~♪』
(……ふふ。術式だな。あれは、食欲という人間の根源的な欲求を媒体にした、最高位の調律術式に違いない)
私は感極まり、魔力測定器を握りしめた。
針は振り切れ、もはや計測不能を示している。
「待っていろ。必ず見つけ出してやる、私の幽霊……。いや、我が魔術師団の救世主よ」
私は暗がりに向かって、そう静かに、しかし情熱的に宣言した。
部下たちが「最近、閣下が地下倉庫の壁に向かって『素晴らしい……』と独り言を言っている」という不敬な噂を流し始めていることなど、もはやどうでもよかった。
これが、私を含め、あの野生の料理人に人生を狂わされた者たちの、どうしようもなく幸福な回想録の第一頁である。
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