最果ての別れ
「――本当に、ここで行くんだね? リゼット」
女主人マーサの声が、風の音に混じって震えていた。
商隊が辿り着いたのは、王国の最北端にある、標高の高い岩場の峠道だ。
ここから先、馬車が通れる道は途絶え、空の色さえも禍々しく変わる『断絶の森』の入り口が、ぽっかりと口を開けていた。
「ええ。マーサさん、ここまで乗せてくれて本当にありがとう。おかげで北まで来られたわ」
リゼットは、新しく貰った旅装の紐をきゅっと締め直し、満面の笑みで答えた。
背中の大鍋の中には、マーサが「餞別だよ」と詰め込んでくれた大量の干し肉と、いくつかの調理道具が詰まっている。
だが、リゼットにとって一番の宝物は、腰に差したバルド譲りの重厚な鉈だった。
「リゼットちゃん……。もし、あっちが辛かったら、いつでも俺たちのところに戻ってこいよ」
護衛のカイルとルークが、今にも泣き出しそうな顔でリゼットを見つめる。
2週間の旅路を経て、彼らにとってリゼットは、ただの「守るべき対象」ではなく、自分たちの人生に光をくれた大切な家族のような存在になっていた。
「大丈夫よ! 私、もともと田舎で育ったし。それに……」
リゼットは鼻をくんくんと鳴らし、深い森の奥を指差した。
「あっち、すごく美味しそうな匂いがするの。王都では見たこともないような、すごい食材がいっぱいありそう!」
その言葉に、マーサは「やっぱりあんたは、あんたのままだね」と、諦めたように笑った。
「行きな、リゼット。あんたの料理を、その深い森の奥まで届けてきな。……でも、無茶はしちゃダメだよ。死んだら美味しいものも食べられないんだからね」
「うん! いってきます!」
リゼットは一度だけ大きく手を振ると、迷いのない足取りで、不気味な紫色の霧が漂う森の中へと消えていった。
商隊の姿が見えなくなってから、数時間が経過した。
普通なら、絶望と孤独に押し潰されるような沈黙。
だが、リゼットは鼻歌を歌いながら、鉈を振るって道を切り開いていた。
「さてと……。まずは拠点を決めなきゃね」
リゼットの目的は、あくまでバルトロに命じられた「北の地での生活」だ。
彼女は自分が『追放者』であることを忘れてはいなかったが、その解釈は極めてポジティブだった。
(バルトロさん、わざわざこんなに食材の多い場所を選んでくれるなんて。……もしかして、私に『究極の魔物料理』を完成させて、いつか王宮に持ち帰れってことかしら?)
そんな勘違いを真剣にしながら、彼女は川のせせらぎが聞こえる巨大な洞窟を見つけた。
そこは、本来であればこの森の捕食者である『影豹』が住処にしていた場所だったが、リゼットが「ちょっとどいてくれる? ここ、お鍋を置くのにちょうどいいの」と鉈を片手に笑顔で詰め寄ると、豹は本能的な恐怖を感じて住処を明け渡し、森の奥へと逃げていった。
こうして、リゼットの「断絶の森サバイバル生活」が始まった。
チュニックを脱ぎ、動きやすい水着姿になって川へ飛び込めば、そこには王都では金貨数枚はするであろう『銀鱗鱒』が跳ねている。
「冷たくて気持ちいいわね!」と笑いながら、彼女は次々と魚を仕留め、岩場で焚き火を起こした。
「……やっぱり、お外で食べるご飯が一番だわ」
串に刺した魚を頬張りながら、リゼットは夜の森を見つめる。
遠くで響く魔物の遠吠え。冷たく肌を刺す風。
だが、チュニックの下の丈夫な水着が、彼女の活動をしっかりと支えている。
それから数日間。リゼットは森の生態系の頂点に君臨しつつあった。
襲ってくる魔物はすべて「下処理」して保存食に変え、毒のあるキノコは「煮込めば出汁が出るわ」と独自の調理法で無毒化した。
彼女にとって、ここは『断絶の森』ではなく『究極のキッチン』だった。
(……でも、ちょっと作りすぎちゃったかな。一人で食べるには多すぎるわね)
洞窟の中に並ぶ、大量の魔物肉の燻製と、干しキノコ。
自分の胃袋は満たされているが、料理人としての彼女の魂は、少しだけ寂しさを感じ始めていた。
「……誰か、お腹を空かせた人はいないかな」
その呟きが、運命の風に乗ったのか。
森の反対側では、食糧難に喘ぎ、絶望の淵に立たされた「北の砦」の騎士たちが、餓死寸前の状態で彷徨っていた。
リゼットが拠点を作ったこの川の下流に、砦がある。
彼女はまだ知らない。
自分が今日仕留めた巨大な魔魚の血と匂いが、下流にいる「最高に腹を空かせた男たち」を呼び寄せることになるのを。
「よし! 今度はもっと下流の方まで行ってみよう。あっちの方が、お水が冷たくて魚の身が締まってそうだし!」
リゼットは水着の肩紐を整え、お腹をぽんと叩いて横になった。
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