第五話 『一人あそび』
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カチカチカチカチカチカチカチカチ。秒針が、決められた時間を刻む。刻み続ける。
二〇五〇年五月三日。この秒針の音は、ずっと前から、日本国憲法の施行を祝い続けているいるのだろうか。作られたときから、どれだけ時間が経とうとも……。
目の前の事実に、理解が追いつかない。
ネワコンには、現実透視モードがある。モード利用中、コンタクト着用中でも現実の様子がわかるようになる機能だ。
でも、そんな機能、ぼくは使ったことがない。使う理由も無い。一体、なぜこんなことになったのだろうか。なんで、自分の部屋が見えているのだろうか。
「都市伝説だから、なのか?」
ぼくの背筋が、ぶるぶると震える。信じてはいないけど、やっぱり怖い。いや、あんなのは出まかせだ。
静かな水面に石を投げ入れると、全体に波紋が広がる。それと同じだ。都市伝説の噂が石となり、ぼくの心を水の如く揺らしているに違いない。ぼくは、心に言い聞かせることしかできなかった。
「大丈夫、だ」
拳を思いっきり握る。今握力を計れば、過去一の数値が出るだろう。ゴリラには勝てないけど、体力テストで一位を取れるくらいには、強いかもしれない。
手に汗握る展開とは、こういうことなのか。握っているのが、冷や汗なのが少し嫌だが……。
得体の知れない恐怖に竦む体を、無理矢理動かす。木工用ボンドに絡まれたみたいに、動こうとしてくれない。
でも、どうしてだろうか。
――学校に行くときよりは、体が軽い。
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「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって、孤独な声を残す。
行ってまた戻って参ります。そんな意味が込められた言葉に、返答は無い。
そんなのは、いつものことだ。よくアニメとかで、孤独は寂しいものだと言われている。
でも、そんなことは無い。孤独だから寂しい、なんて今までで一度も感じたことが無い。
「ただいま」に返答が無いなんて、当たり前のことだ。
同年代の子とご飯を食べたことが無いなんて、当たり前だのことだ。
フレンド登録をしたことが無いなんて、当たり前のことだ。
当たり前のことが、寂しいと感じるわけがないだろう。一体、何を言っているのだろうか。たく、これだからメディアは。
すごくどうでもいいことなのに、ため息が出てしまう。
「さて、行きますか」
現在は、あくまでゲームのプレイ中のはずだ。
ぼくは、ゆったりとした足取りで、家の敷地を出た。踏みしめたアスファルトは、いつもと同じだった。
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……、……。ひどく、静かだ。
このゲームを始めて、約三〇分。なんとなくだけれど、このゲームの趣旨が把握できた。
『人が、いない』
ファンには悪いが、ネワコン登場後のFPSみたいだ。または、首都圏に若者世代が流れてしまった地方みたいに、完全に過疎っていた。ぼくの部屋より、静かだった。
これが、このゲームの仕様だ。路上はもちろん、公園、カラオケ、さらには駅にまで、誰もいない。とにかく、誰もいない。
現実世界と瓜二つのくせに、人間がぼく以外に存在しないのだ。
牛乳マークが目立つ、青色が基調のコンビニ。三一という文字がロゴに隠されたアイス屋。全国で人気の、M字が書かれたハンバーガーチェーン店。どのお店にも人がいない。
電車も、バスも、無人なのに動いている。自動運転のインフラは、まだ皇居周辺でしかできないはずなのに。
とにかく、誰もいないのだ。
さっき、過疎だとか思ったが、人類滅亡一日目なのかもしれない。これは、過疎とかのレベルでは無い。
広い、広い世界の中で、ただ一人だった。
「これが、都市伝説の、ゲーム……。最高じゃん!」
ぼくの喉から、大きな声が出た。しかも、拳を空に突き出していた。その声が誰かに届くことなど、あり得ることも無かった。
ぼくは、さらに探索することにした。
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あれから一〇分。合計、四〇分ほど遊んだ。
「感想を述べろ」と言われたら、ぼくは、一言を全力で答えるだろう。
「最高だ!」
もう、これ以外の言葉はいらない。余計なお世話だ。
どんなに綺麗な色でも、たくさん混ぜたら泥みたいに汚くなる。それと同じだ。このゲームの感想は、シンプルで良い。飾り気のある言葉なんて、不要だ。
矢作のインフォメーションさんと言ったっけな。本当に、神ゲーをありがとうございます。
顔も知らない、行方知らずの製作者に、心の中で手を合わせる。というかもはや、土下座をしている。
誰かの嫌がらせも、うるさい借金取りも、誰もいないのだ。
ここでなら、叫んでもいいかな。
ぼくは、自ら絞めていたサイズ違いのチョーカーを、やっとの思いで外した。その実在しないチョーカーは、ぼくの心の栓とも、言い換えることができた。
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「うわゎぁぁぁ! あんな点数、満足できるわけねぇだろぉ!」
いつもと違い、口調が悪くなってしまう。この前の、平均点と同じくらいを取ってしまった課題。思い出しただけで、とても悔しい。
「ぼくが、ぼくが頑張らなきゃなのにぃぃぃ!」
誰もいない世界で、一人の男、ぼくの声が響いた。
その声が届くのは、発声主の鼓膜と、黒い空だけだった。
その空は、泣くことも、励ますこともしない。ただ、微妙な顔で、ぼくを見下ろしていた。
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……、……。静まり返った路上には、もう誰もいない。
あれから、約二〇分程経った。再びチョーカーを着けて、ゆったりとドアを開ける。
「ただいま」
誰もいない世界、誰もいない家で、何を呟いているのか。自分自身の行動に、鼻で笑ってしまいそうだ。
そもそも、普段から返事はないじゃないか。人間が存在しない世界とか関係無く、そもそも、返事をくれる人がいないじゃないか。
今日はログアウトするか。
ぼくの頭には、そのことだけが残っていた。
モクモクとぼくらを見下す、巨大な入道雲のように、ただただ大きく、ぼくの心には穴が開いていた。
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詰んだ。
正直、バッドエンドが見えた。だって、ポーズ画面を開けないのだから。ゲームの中断の仕方が、何一つわからないから。
「あはは、終わった」
正直、もっとやりたいこともあった。もっと、頑張るべきことが、たくさんたくさんあったのに。
「このまま、何もできずに、ゲームの中で死ぬのか……」
青色だった木の葉は、色を茶色に染め、地面に落ちる。そして、ひとりぼっちで朽ちていく。
まるでぼくのようだ。
「あはは、仲間じゃん……」
思考が上手く働かない。突如現れた事実が、絶望という名のプレス機になっている。
ただ単に、真冬の乾燥した空気よりも、からっからの声。そんな声が、誰にも気づかれないように、か細く漏れる。
ずっと言ってるじゃんか。どうせ、誰もいない。気付かれるとかの概念が、存在していないのだ。
頭では理解していても、体はどうしても反応してしまう。
別に、怖がるような相手がいないのに。植物動物みたいに、怯えながら生活する必要がないのに。
「はぁ」
ため息混じりで、やけくそで手を突っ込んだ。もちろん、制服のズボンのポケットにだ。
予想通り、何も無かった。
「奇跡、起こりませんかね?」
ぼくは、自分についている、ありとあらゆるポケットをひっくり返した。一心不乱に、お金に飛びつく怪盗のように。
ズボンの前ポケット、後ろポケット。ブレザーのポケット、裏ポケット。シャツの胸元のポケット。
夏本番が早く来ないかと、首を長くしている冷たいシャツ。ごめんね、衣替えで君は夏に使えないんだ。そんな謝罪をしつつ、一つの箱を取り出した。
見覚えのある、某英語四文字の会社の消しゴムみたいな大きさだ。
純黒の母体に、七色に輝くライトが張り巡らされ、照り輝いている。
「こんなところにあったのか」
安堵に満ちた声は、静寂だった部屋に、静寂だった家に、一瞬の安心感を匂わせた。
「よし。今日は帰ろう」
カチ。
静寂に包まれたなんにも無い部屋に、ボタンが押された音が、空間を切り裂くように響いた。
ゲーム機のライトが、青緑色に輝く。その光は、ぼくの周囲を包み込む……、なんてことはせず、部屋全体を照らし尽くした。
白色の壁も、青緑色になり、視界がどんどん奪われていく。
さっきも見た景色と、全く同じものが広がっていた。違っていたのは、ただ一つだけだった。
さっきは光に閉ざされたのに、今回は闇に閉ざされた。
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「はぁ、はぁ」
あの後、ゲームは無事にログアウトできた。
疲れたので、ネワコンに戻った瞬間に、現実へと意識を復活させた。
「はぁ、はぁ」
この息切れは、激しい運動をしたからでも、楽しいゲームを見つけたからでも無い。
ただ、目の前の現実が信じられなかったのだ。
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二〇五〇年、五月四日。火曜日と言う文字が、デジタル時計にも、アナログ時計にも記されている。
「一日くらい、経っているだ、と?」
ぼくの暗い呟きは、埃に負けじと、ゆらゆらと積もる。
その日。秒針が、一日を噛んだ。




