第93話 その後の話
セシリアに手紙で呼び出された日、レオンはさんざん迷った末に、後生大事にしていたジャンヌからのプレゼントを使うことにした。
彼女に『竜の仮面の魔導士』が付いている以上、何をしてくるか分からない。
万全の対策をとるため、使用者のあらゆる能力を向上させてくれるという強化薬を予め飲んでいたのである。
その判断は功を奏した。
セシリアがレオンに使った桃色の石は、とんでもない魅了と洗脳の力を有していたからだ。レオン自身、アレを使われたときは、自分の精神が何か他のモノに浸食されたような気がした。
その強力な精神支配に耐えられたのは、ジャンヌがくれた強化薬で、精神系魔法への耐性も向上していたからだろう。
レオンはこの機を利用することにした。
ウィリアムが行方不明になり、騎士団内部にはセシリアによる精神支配を受けた者たちが増加している。
幸い、まだ事が表沙汰になっていないものの、これが公になれば騎士団はおろか、領主の威光にも関わってくる事態だ。
早急かつ内密に、事件を解決する必要があったレオンは、わざと洗脳されたふりをして証拠を集めることにした。
この計画をレオンは、ルネを含む本当に一部の人間にしか知らせていなかった。どこにセシリアの息がかかった者がいるか、分からなかったからだ。
そうやって、セシリアの懐に潜り込んだレオンだが、それは想像以上に苦行の日々だった。
愛していない、ましてや嫌悪感まである相手に愛を囁きつつ、自分が相手に惚れたという意思表示までしなければいけない。
セシリアはあからさまにレオンを誘ってきたが、それに理由をつけて拒否するのも一苦労だった。
ただ、愛の言葉だけでは、セシリアに「レオンが魅了されて洗脳されている」と思い込ませるのは難しい。それで、レオンは彼女の手の甲にキスをすることで、それらしい態度を演じていたわけだが……。
――まさか、それをジャンヌに見られるとは……。
レオンは先日、騎士団本部の中庭で起こったことを苦々しく思い出す。
事前にジャンヌを騎士団から遠ざけていたから、レオンは油断していた。よりにもよって、自分がセシリアの手にキスしている場面をジャンヌに見られるなんて、彼にとって一生の不覚である。
レオンはジャンヌがその場から立ち去る前の、ほんの一瞬しか彼女の表情を見ていないが、その時の顔が瞼に焼き付いて離れなかった。
ジャンヌは今にも泣きだしそうな顔をしていた。
あんな風に彼女を傷つけたくはなかったのに――と、未だ後悔している次第だ。
不幸中の幸いは、セシリアがレオンのことを全く疑わなかったことだ。
彼女はレオンを完全に支配下に置いていると思い込んでいた。そのおかげで、レオンは彼女の悪事の証拠を次々と入手することができた。
ただ、どういうわけか『竜の仮面の魔導士』がセシリアに接触している現場を押さえることはできなかった。
かの魔導士が仲間であることは、セシリアの言動から明らかだったが、レオンの前に魔導士が姿を現すことはついになかったのである。
それは、まるで『竜の仮面の魔導士』がレオンを警戒しているようにも見えた。
――もしかして、あの魔導士の方は俺のことを疑っているのかもしれない。俺が実は洗脳状態にないと見破っているのかも……?
このままいくら待っても『竜の仮面の魔導士』は自分の前に現れないのではないか――そんな風にレオンが考え始めた頃、セシリアが暴挙に出た。
なんと、彼女は配下に命じて、ジャンヌと仲の良い子供を誘拐したのである。そして、その子を人質にとり、ジャンヌを自分の隠れ家におびき寄せた。
『竜の仮面の魔導士』の尻尾を掴もうと粘っていたレオンだったが、このままではらちが明かず、セシリアによる被害が拡大するばかり。
潮時だと判断して、レオンはセシリアの逮捕に乗り出したのだった。
*
マリアの知らせを受け、ルネは信頼できる部下を引き連れて、セシリアたちの隠れ家へ向かった。
しかし、そこへ駆け付けたときには、事はすでに終わってしまっていた。
敵方に潜入していたレオンの手によって、セシリアとその配下は氷の魔法で拘束されていて、もはや反撃することも逃げることもできない状態だった。
ルネたちの到着後、レオンは魔法を解除した。そして、凍えるセシリアたちを皆で連行する運びになった。
セシリアが逮捕されたことを受けて、彼女が関わっているあらゆるものが調べられた。もちろん、彼女の両親と、その所有物も捜査の対象だ。
その結果、セシリアの父親であるアランが借りている倉庫で、ウィリアムが見つかった。彼はずっと倉庫に監禁されていたようである。
現在、ウィリアムは騎士団本部の医務室で治療を受けている。少し衰弱していたが、命に別状はないとのこと。
ルネがその旨をレオンとジャンヌに知らせると、二人ともホッと胸を撫でおろしていた。
さて、ジャンヌと誘拐された子供のマルグリットは、騎士団のレオンの執務室にいた。彼女らには目立った怪我もなかったため、今日のところはこのまま家に帰されることになっている。
今回の事件の参考人として調書をとらなければいけないが、それは後日行われる予定だ。
その連絡をしつつ、ルネはジャンヌに謝った。
「レオン様がセシリアさんに洗脳されていると、嘘を言ってすみませんでした」
ルネが詫びたのは、以前ジャンヌとマリアが騎士団本部へやって来たときの件である。実はあの時、ルネは二人に本当のことを告げるかどうか葛藤していた。
つまり、レオンはセシリアに洗脳されたふりをしているだけで、本当は正気だという事実を教えるか否かだ。
しかし、どこでセシリアの息がかかった人間が聞き耳を立てているか分からない。それで心苦しく思いながらも、ルネはジャンヌとマリアを騙したのである。
「いいえ。捜査の都合上、仕方ないことだと分かっていますから」
「そう言っていただけると助かります」
ジャンヌの言葉に、ルネはひとまず安堵する。
すると、レオンもルネに続くように謝罪の言葉を口にした。
「俺もすまない。君を不安にしてしまって」
「い、いいえ……」
このとき、優秀な部下であるルネは、二人をとりまく空気の変化を読み取った。
特にジャンヌの様子がおかしい。いつもよりレオンを意識していて、緊張している風だった。ただ、嫌な感じはない。
ルネは思った。
これは、レオンとジャンヌを二人きりにさせるべきではないか――と。
ルネは空気を読んで、マルグリットを連れて退室しようと考えた。しかし、そんな彼の思惑など知ってか知らずか、するりとマルグリットはルネの手から逃れる。
そして、そのままジャンヌに抱き着いた。
「ジャンヌ。今日はとても怖かった」
マルグリットはジャンヌの胸に顔を押し付けながら言う。その小さな背中を、ジャンヌは優しく撫でた。
「そうだね。怖い思いさせてごめんね」
「でも、ジャンヌが助けに来てくれて嬉しかった」
おそらく、これは感動的で微笑ましい場面なのだろう。そうは思うのに、ルネの心境は穏やかなものではなかった。
彼はそっと、レオンの方を伺う。
そこには形容しがたい表情の上司がいた。
「レオン様……相手は子供ですからね?おまけに女児ですし……」
「分かってる。分かってるぞ」
本当に分かっているのか。そう不安になるルネをよそに、マルグリットはべたべたとジャンヌにくっついて甘えている。
「ちょっ、ちょっとマルグリット!?」
「アハハ。相変わらず、耳が弱いんだ」
そんな恋人同士のいちゃつきまがいな事まで始めて、ルネとしては気が気じゃなかった。
「レオン様!子供ですから!子供のすることですから!」
「……分かってる……分かってるぞ」
まったく。せっかくレオンとジャンヌが良い雰囲気かと思ったのに。
中々ままならないものだと、ルネは心の中で嘆息した。




