第92話 罠(その弐)
「えっ……」
セシリアは傍から見てもかなり動揺していた。
「レ、レオン様?いったい、どうしたのですか?どうして、私に剣を向けるのです?」
上ずった声でそう問いかけるセシリア。
一方、レオンの方は私とマルグリットを庇うようにして、セシリアたちに向かい合った。
「殺す相手は、その女でしょう!ちょっと、どうしちゃったの!?」
目の前の光景が信じられないのか、セシリアの焦りは加速していく。
「このボンクラッ!!私の命令が分からないの?私はその女を殺せって言っているのよっ!!」
とうとう、セシリアは口汚くレオンを罵りだす。
それに、レオンが冷ややかに応えた。
「俺がジャンヌを殺すなんて、世界がひっくり返ってもあり得ないぞ」
えっ、とセシリアはその大きな目を、さらに見開く。
「だって、だって……あなたは私に魅了されて……」
どんどんセシリアの顔から血の気が引いていき、声も震え出した。
「まだ、分からないのか?そういう風に演技していたって」
「私を騙したの?罠にはめたというの……?」
「責められる謂れはない。そもそも、先に仕掛けてきたのはそちらだろう?」
ショックのあまり、セシリアはその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
彼女はずっと他の配下たちのように、レオンを魅了し洗脳できていたと信じきっていたのだろう。まさか、それが演技だなんて思わなかったのだ。
まぁ、それは私も同様だったが……。
実はレオンが正気なのでは――そう気付いたのは、ほんの少し前のことである。
私たちに近づきながら、レオンは意味ありげにポケットから小瓶を出して見せた。ソレには赤い紐が結ばれていた。
そこで私は、レオンの意図に気付く。
いや、気付いて当然だった。だって、アレは私が彼に贈ったものだから。
レオンが示したのは、私が彼の誕生日プレゼントとして渡した強化薬の瓶だった。
師匠から貰った『竜の輝石』を材料にして作った特別製。使用者の能力や特性の力を全般的に底上げする、とんでもない強化薬である。
その強化の範囲には、もちろん使用者の耐性も含まれていた。
件のプレゼントの瓶は見事に空になっていた。
つまり、すでに使用したということだ。
それで、私は悟った。レオンが何を言いたかったかを……。
――君がくれた強化薬のおかげで、俺は洗脳なんかされていないぞ。
そんな彼の言葉が、聞こえた気がした。
それで私もレオンが正気だと気付いたのである。
おそらくセシリアはレオンを罠にハメたつもりだったのだろう。
だが、実際に騙されていたのは彼女の方だったわけだ。
まったく、今回のレオンは舞台俳優顔負けの名演技だった。
捜査のため仕方なかったのだろうが、レオンがセシリアに洗脳されたと思ってヤキモキしていた私の時間を返して欲しいものである。
おかげで、気付かな良くてもいい自分の想いにまで気付いてしまったではないか……。
今はそんな場合じゃないと思いつつ、私は恨めしい気持ちになった。
「……ウソよ。ウソ。まさかアレが全部、演技だったっていうの!?」
未だ、己の状況が信じられないのか、セシリアが声を張り上げた。
けれども、どんなに叫んだところで現実は変わらない。
「ああ。おかげで、君がどうやって騎士団の団員たちを魅了していたか――その証拠をバッチリ入手することができた。加えて、何の罪もない子供を誘拐したことも知れた」
「――っ!?」
「もう、言い逃れはできないぞ。大人しく逮捕されるんだ」
詰め寄るレオンに、セシリアは青い顔で頭を振った。
「いや……いやよ……。アンタたち、この男を仕留めなさい!」
そう声を上げ、残った配下たちに命じるセシリア。
彼女の命令に男たちが一斉に動く。
一方、レオンはセシリアの抵抗も予期していたようだった。彼はセシリアとの距離を詰めながら、ある魔法を静かに詠唱していた。
そして、ソレが今――解き放たれる。
レオンが放った『氷の枷』の魔法。
魔力で生み出された氷の蔦で、標的を凍らせる魔法だ。
だが、その威力と範囲は私が発動させる『氷の枷』とは比べ物にならない。正直なところ、全く別の魔法に見えるくらいだ。
辺りは凍てつく冷気に包まれた。
レオンを中心として放射線状に、上下左右――全方位に氷の蔦が無数に伸びていく。魔力の冷気が周りのモノを忽ち凍らせた。
もちろん、セシリアも彼女の配下も。
あっという間の出来事だった。
気が付けば、私とマルグリット、そして術者であるレオン以外は全て凍り付いてしまっている。
まさに圧巻だ。
目の前の光景に、私は呆気にとられる。
改めて、レオンの魔力のすごさを思い知らされた。
しかも器用なことに、凍結された人間の首から上だけは無事な様子だ。おそらく、殺さないための配慮だろう。
こうして、レオンはセシリアたちを生け捕りにしたのだった。
「ジャンヌ、怪我はないか?」
馬鹿みたいに呆けていた私は、ハッとする。そっと、レオンの手が私の頬に触れていた。
その温かさを感じたとき、不覚にも私の目頭が熱くなった。今まで我慢していたものが、溢れてしまって、どうしようもなくなる。
涙が自然と零れ落ちた。
こんな風に泣くなんてみっともない、止まれ止まれ――そう思うのに、涙は一向に止まらなかった。
きっと今、私は酷い顔をしているだろう。
綺麗になんて泣けていない。
顔は涙でぐちゃぐちゃで、鼻水まで出ているかもしれない。そんな私の背におずおずとレオンが手を回してくる。
結局、私はレオンの胸で泣きじゃくってしまった。




