第91話 誘拐(後編)
物陰から、私はそっと様子を伺った。
広い玄関ホールの右手に正面玄関、左手に二階へ続く階段が見えた。
その二つの中間あたりの天井に、朽ちた巨大なシャンデリアがある。
玄関の方には、やはり見張りの男たちがいた。その数は七人。そして、その中には見知った顔もあった。
――セシリア!
己が洗脳した配下の男を付き従えるようにして、セシリアは立っていた。ただ、その中にレオンや『竜の仮面の魔導士』の姿はない。
これは、チャンスだろう。
彼らが不在の内に、この屋敷から逃げなければ――私はそう思い、ちらりとマルグリットを見る。彼女はコクンと頷いた。
「走って」
その言葉と共に、私とマルグリットは玄関ホールを走って、二階に続く階段に向かった。私たちの存在に気付き、正面玄関の方から声が上がる。
「捕まえなさいっ!」
セシリアの甲高い声が響くと共に、私はすでに詠唱し終わっていた魔法を解き放った。
『疾風波』――凄まじい衝撃波が繰り出される。しかし、その標的は、こちらに襲い掛かって来るセシリア配下の男たちではない。
ガシャンッ!
衝撃派が激突して、頭上のシャンデリアが不吉な音を立てた。
そもそも朽ちて不安定なシャンデリアは、衝撃に耐えきれず簡単に落下する。派手な音を立てながら地上に激突し、そのままセシリア配下の男たちの行く手を塞いだ。
シャンデリアによって、私と男たちの間に隔たりができる。
急に足止めを食らい、戸惑って動きを止める男たち。彼らに向かって、私は魔法薬を散布した。
みるみる、男たちの動きは鈍くなる。
「何をしたのっ!?」
セシリアの悲鳴が聞こた。
魔法薬の中身は、対象の身体を痺れさせる効果のあるものだ。
麻痺によって敵の動きが緩慢になったところで、私はさらに『氷の矢』の魔法を放つ。
空中に楔形の氷が二十近く現れ、それらは敵に向かって飛んでいく。
矢が男たちに突き刺さると、触れたその場所から、あっという間に彼らの体は凍っていった。
セシリアにも『氷の矢』で攻撃したが、あいにくソレらは届かない。配下の男たちが身を挺して彼女を庇ったのだ。
だが、そんな風に自分を守ってくれている相手に対して、セシリアは怒りに顔を歪めた。
「女ひとりに何やっているの!?さっさと、捕まえなさいよっ!!」
セシリアの怒号が飛ぶ。
配下の男たちは懸命に命令を実行しようとするが、痺れていたり凍っていたりでロクにその体を動かせなかった。
――今なら、いける!!
私はマルグリットの手を引き、玄関ホールの奥にある階段へと走った。
そのまま、二階に上がろうとしたとき、階段の上にスッと影が差す。
階上に誰かが現れたのだ。
その姿を見て、私は思わず足を止め、息を呑んだ。
そこに居たのは間違いなくレオンだった。
彼は無表情のままこちらを睨んでいる。
その視線の鋭さに、私は心臓が波打った。こんな風に、レオンに睨まれたのは初めてだ。
「レオン様!」
一方、セシリアの方は歓喜の声を上げた。
「その女を捕まえて――いいえ、ヤっちゃて!!」
私は必死に考えた。
レオンに催眠や麻痺の効果がある魔法薬を投げるか?しかし、彼の反射神経なら易々とそれを避けてしまうだろう。
なら、魔法で何か仕掛けるか?いいや、魔法の詠唱をしている間に、距離を詰められ斬り伏せられるだろう。
――だったら、正面玄関の方を突っ切ろう!
私は早々にレオンの攻略を諦めた。
先ほどの攻撃で、玄関を守っていた見張りはあらかた動きを封じたはず。レオンを相手するよりも、残りの見張りとセシリアを相手する方がまだ勝機はある。
そう考えた私だったが、その判断は少し遅かった。
振り返ってみると、裏口からやって来たセシリアの配下たちがぞろぞろと玄関ホールへなだれ込んでくる。
彼らはセシリアを守るように、正面玄関へ走って行った。
――しまった!
悔やんでももう遅い。
正面入り口には、セシリアと新たに現れた彼女の配下たち――その数、十人弱が立ちはだかっていた。
一方で、階段の方にはレオンがいる。彼はゆっくりと階段を降り、こちらへ足を進めていた。
絶体絶命のピンチである。
「ジャンヌ……」
不安そうなマルグリットの声。この子だけでも、絶対に守らなければならない。
イチかバチか――閃光タイプの魔法薬でレオンの目をくらませて、その隙をついて階上に逃げるか。
「さぁ、レオン様!その女をやっつけて!!」
セシリアの命令が玄関ホールに響き渡った。
私とレオンは互いに睨み合う。
ドクン、ドクンと心臓の音がうるさい。
蛇に睨まれた蛙の心地で、私は彼の隙を伺った――と、その時。
レオンはフッと私から視線を外した。その目の動きを追えば、彼自身の左手で……。
――?
レオンは左手で、上着のポケットから何かを取り出して、また仕舞った。
ほんの僅かな時間だったが、彼が手に取った物が何なのか。私にはちゃんと見えていた。
それは中身のない小瓶だった。その瓶の首部分には赤い紐が巻かれていて――。
――あっ……!
レオンが一歩、また一歩と距離を詰めてきた。
私は緊張しつつも、その動向を見守る。
やがて、彼は私のすぐ目の前までやって来た。
完全に、剣の間合いに入ってしまっている。
「レオン様、殺っちゃって!」
セシリアの言葉に反応したかのように、レオンが動く。
彼は剣を鞘から抜き放った。きらりと光る刀身が露わになる。
レオンは剣を構えた。
そう、セシリアに向かって。




