第71話 再び忍び寄る影
翌日から、私は香炉の調査を手伝いにオルレア騎士団本部へ通った。
店での仕事もあるから非常に忙しく、睡眠時間がガリガリ削れた――が、自分で言いだしたことなので仕方ない。
ただ、私には睡眠時間よりも、もっと気がかりなことがあった。
それは異母妹――セシリアだ。
セシリアは私と交流したいと言う。
しかし、彼女と繋がれば、その父親であるアランとも接点ができてしまうのは必至だった。その点を懸念して、私はセシリアの申し出を丁重にお断りさせてもらっていた。
騎士団への魔法薬の納品についても、セシリアに会わないよう、今はニナにお願いしている次第である。
しかし今回の一件で、私は頻繁に騎士団本部を訪れなければならなくなった。その際に、図らずともセシリアと遭遇してしまうかもしれない。
私には用心が必要だった。
我ながら、ここまでセシリアを警戒するのは相手にも失礼だとは思うのだが、どうにも私は彼女に引っかかりを感じていた。おそらく、父親がああだから、色眼鏡で見てしまうのだろう。
ただ幸い、今のところはセシリアと会わずに済んでいた。
*
騎士団所属の魔導士であるウィリアムと共に、私は『眠り姫』で使われていた香炉を調べた。
余談だが、ウィリアムは私以上に忙しいようで疲労困憊の様子だった。それでもやるべきことはやらねばならない。
私たちは互いに労をねぎらいつつ、調べを進めていった。
さて、お香に使われていた香木は、市場にも出回っている東の国からの輸入品で、特に怪しいところはなかった。
問題があったのは香炉本体だ。
エキゾチックな雰囲気の香炉の内側を調べると、そこには何かが描かれていた。一見、紋様のように見えるソレを精査したところ、神秘文字だということが分かった。
神秘文字は、今は失われた魔法――古代魔法で使われた文字である。
私とウィリアムは古代魔法についての文献を片手に、さらにそれを詳しく調査していった。
その結果――。
「『魅了』の古代魔法?」
「はい。正確には魅了の魔法をベースにした精神支配――いわゆる洗脳の魔法といったところでしょうか」
私とウィリアムは二人そろって、レオンとルネに例の香炉の調査報告をした。
香炉の神秘文字で描かれていたのは、とある術式で、それは文献にある『魅了』の古代魔法と酷似していたのだ。
「魅了と言うと、ウィリアムが持っているあの力か?」
「それに近いですね。ただし、香炉の方は精神支配の作用が強いですが…」
ウィリアムが説明する。
香炉に使われていたのは、女性のみに働きかけ、目の前の男性に惚れさせる魔法だと推測された。香を焚くことで魔法は発動し、その匂いが届く範囲に魅了の効果を及ぼすのだろう。
そして質の悪いことに、この魔法は相手への恋愛感情を利用して、対象者を洗脳に近い状態にしてしまう。邪悪だが、高度な古代魔法だった。
ちなみに、古代魔法の文献には今回とは逆で、『男性を女性に惚れさせる魅了魔法』なるものも存在することが記載してあった。
「言うなれば、あの香炉は『魅了の香』というわけか。『魅了の香』を焚かれて、『眠り姫』の客たちは魔法にかかり、目の前の店員の言いなりになるよう洗脳された……と」
レオンの言葉に、すぐに部下のルネが反応する。
「件の店を調査しますか?」
「ああ、そうしよう。被害が広まる前に」
二人の会話を聞いて、私はホッと胸を撫でおろした。
あの『魅了の香』を接客業に使うことは、間違いなく法律に抵触する。香炉が証拠になって、『眠り姫』の件は解決に向かうだろう。
一方で、手放しには喜べないこともあった。
私はこの場の皆の顔を伺い見る。その顔は一様に曇っていた。
その理由は聞かなくても分かる。おそらく、私たちが考えているのは同じことだろう。
「古代魔法か……」
苦々しくレオンが呟く。
このオルレアの街では、以前にも古代魔法によって事件が引き起こされたことがあった。
あの『竜人サマ』事件だ。
そして、その背後にいたのは――。
「竜の仮面の魔導士……」
シンと静まり返った部屋の中で、その一言は大きく響く。
また、この街に例の魔導士の影が忍び寄っていた。
*
ひとまず、香炉の調査が終わったということで、私は騎士団の手伝いから解放された。あとは、レオンたちが『眠り姫』の摘発に向けて動いてくれるだろう。
自分の役目は果たせたと思う。それなのに一向に気分が浮かないのは、やはり『竜の仮面の魔導士』のことがあるからだ。
ピエトロ商会の手先となって、多くの悪事に加担していた例の魔導士。今度はこの街で何をする気だろうか?
それを考えると、ますます滅入ってしまう。
――せっかくの休みなのに、これでは勿体ないな。
そう、今日は休業日なのだ。
何か気晴らしになることをしようか。
そう思っていたところ、私を尋ねる者があった。
マルグリットだ。
「あ!ジャンヌ、いた!」
彼女は私を見ると、目を輝かせた。
「ねぇ、あの秘密の場所に行こうよ。ボクだけで行ったらダメなんでしょ?だったら、ジャンヌがついてきて」
秘密の場所と言うのは、以前マルグリットが私に教えてくれた洞窟である。
大樹の洞から続く地下空間で、そこにはアカリ草と水晶茸が自生し、キラキラと煌めく幻想的な光景を作り出していた。
「一人で街の外には出てないんだね?えらい、えらい」
「えへへへ」
私が頭を撫でると、マルグリットは気持ちよさそうに目を細める。何だか、子猫を撫でているみたいで微笑ましい。
マルグリットの提案を、私は一考してみた。
前に一度行ったきりであるが、とても美しい洞窟だった。あそこに行くことは、気晴らしにはもってこいかもしれない。
「じゃあ、一緒に行こうか?」
「やったぁ!」
私の言葉に、マルグリットは元気よく跳ねた。
*
今回はきちんと母に行先を告げ、私とマルグリットは東の森に向かった。
手にはバスケット――簡単な昼食が入れてある――を持ち、何だかピクニック気分である。マルグリットもずっと機嫌が良かった。
洞窟の中は相変わらず、神秘的な美しさで満ちていた。
何をするわけでもなく、その光景を眺めるだけで退屈しない。『竜の仮面の魔導士』の件で、ささくれたっていた気持ちが凪ぐ。
私とマルグリットはその場に座り、サンドイッチと水筒のお茶を片手に、しばし目の前の景色を楽しんだ。
「ねぇ、ジャンヌ」
おもむろに、マルグリットが口を開くと、彼女は確かめるように聞いてきた。
「この場所のこと、誰かに言ってないよね?」
「うん。マルグリットの秘密の場所なんでしょう?」
「そうだよ。ココを教えたの、ジャンヌが初めてなんだから」
「それは光栄だけれど、私に教えても良かったの?」
「うん。ジャンヌは特別だから」
ふふ、と忍び笑いしたマルグリットは、その小さな頭を私の肩に寄せてきた。そのままこちらに体重をあずけてくる。
「ジャンヌと一緒にいると、懐かしい気分になれる」
マルグリットはまだ小さな子供だ。正確な年齢を聞いたことはなかったが、おそらく七、八歳くらいだろう。
そんな子供が『懐かしい』なんて言うから違和感があった。
「マルグリット。それはどういう……」
どういう意味なのか――問おうとしたところ、マルグリットがすぅすぅと寝息を立てているのに気付いた。その幸せそうな寝顔を見れば、起こす気にもなれない。
そうして緩やかに時間は過ぎて行った。




