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第61話 凶日

 最初、私はその男が誰なのか分からなかった。

 スッと鼻筋が通った、端正な顔の男性だ。線の細い優男風で、年齢は四十代くらいか。若い頃は、さぞかし美男だっただろうと思われる。


 店内で、その男はカウンターにいる私を見つけると、途端に笑顔になってこちらに近づいて来た。他の客を押しのけてやって来る彼に、私は注意する。


「すみませんが、順番に列になってお並び――」

「久しぶりだね」

「はぁ?」


 こちらの言葉を遮って、再会の言葉を口にする男。

 

――コイツ、誰だ?


 私の頭の中で疑問符が浮かぶ。

 こんな知り合いはいないと、私は眉間にしわを寄せた。


「失礼ですが、どなたかとお間違いに……」

「大きくなったなぁ、ジャンヌ」

「あの、だから…」


 しかし、次の言葉を聞いて私は凍りついた。


「分からないかい?お父さんだよ」


 私はヒュッと息を呑む。



 うちは母子家庭だ。母は苦労しながら、女手一つで私を育ててくれた。

 そして、一人で育てざるを得なかった原因が私の父親だった。


 正直なところ、父親だなんて思いたくもない最低最悪の男である。

 なにせ、この男は病床の母と幼い私を捨てて、いなくなってしまったのだ。後で聞いた噂によれば、別の裕福な女と結婚したらしい。


 病気で働けない母に、まだ小さすぎる私。

 私たちは明日食べる物にも困る日々を送った。運が悪ければ、そのまま野垂れ死でいただろう。

 不幸中の幸いは、母親が回復できたことだ。そこからは貧乏ながらも、何とか生きてきた。


 ところで、私の母は――そして、クソ男()も――魔導士である。

 その遺伝のせいか、私自身にも魔法の才能があることが分かり、私は王立魔法学校へ入学した。むろん、貧乏家庭で入学金や授業料など払えないから、何とか特待生の枠に滑りこんだ身である。

 特待生の枠をキープするために、加えて一人で生きていく術を身に着けるために、私は青春時代のすべてを魔法の勉強に費やした。遊びなんてもってのほか。目指すはエリート、宮廷魔導士。


 そして、紆余曲折(うよきょくせつ)あって今に至る。


 結局、宮廷魔導士になれなかったし、ならなかったが、現在の環境に私はとても満足している。魔法学校時代の努力は決して無駄じゃなかったと思えるし、その努力の原動力となったのは反骨精神だろう。

 「父みたいなクソ男に頼らず、左右されず、一人で生きていけるだけの力が欲しい」と私は願った。そこには、「自分たちを捨てた父親を見返したい」という想いも入り混っていた。

 父を反面教師とし、「今の己があるのは父のおかげ」と、感謝するなんてことはない。そんな気持ちは皆無である。


 さて。ならば。

 今が幸せだから、その最低最悪男を許すことができますか?


 そう聞かれれば、答えはズバリ、


 ()()である。



 私は目の前の男の胸倉を掴んだ。


「なにが『お父さんだよ』ですか」

「え?え?ジャンヌ?」


 不安そうに眼を泳がせる最低最悪男。

 ああ、そう言えば。こういう顔だったか。

 捨てられた当時は幼すぎておぼろげだった記憶――その焦点が合ってくる。

 今でこの美貌なら、昔はもっと美しかったのだろう。まったく、母の面食いには困りものである。


 ――で。

 このきれいな顔に『石の礫』の魔法を叩きこんで、真っ赤に染めてもいいだろうか?


 と、思ったが……この男のせいで私自身が犯罪者になるのも馬鹿々々しい。

 私は自分の理性を総動員させてグッと歯を食いしばり、男の胸倉を放した。


「お帰り下さい。あなたと話すことはありません」


 本来ならば、その顔面を吹っ飛ばしたいところを、私は寛大な心で最低最悪男を見逃してやった――にも関わらず、状況を理解できていない男は私に言いつのる。


「そんなつれないことを言わないでくれ。それにしても、ジャンヌ。立派になったじゃないか。流石(さすが)は僕の娘だ。若くして店を持ち、それがこの国で一番の魔法薬店だと評判じゃないか!」


 最低最悪男は、過剰に私を誉めそやした。

 突然、現れた私の生物学上の父親。そして、やたらと私を賛美する。

 いったい何の目的が?

 そう考えたところ、思い当たるのは一つしかない。


「お金ですか?」


 私が尋ねると、男の肩がぴくりと動いた。


「じ、実はそうなんだ。新しく始めた事業が上手くいかなくてな。……少しでいいから金を融通してくれないか?この通りだ」

「お断りします」


 即答する私に、男は大いに驚いた様子だった。

 まさか、断られると思っていなかったとか?

 だとしたら、ずいぶんとおめでたい頭の持ち主である。


「頼む!本気で困っているんだ!実は君には異母妹もいてな。このままじゃ、僕も子供も……一家が路頭に迷うかもしれないんだ!」

「そんなの、私の知ったことではないですね」

「どうしてだ?僕たちは血のつながった親子だろう?家族が困っているのを見捨てるのか?」

「寝言は寝てから言ってください。私の家族は母だけです」


 一向に折れない私に、男が声を荒げる。


「実の父親がここまで頼んでいるんだぞ!?なんて、冷たい子だ!この恩知らずがっ!!」


 その言葉に、私は思わず噴き出した。


「……恩知らず?フフ、笑わせる。私がどうしてあなたに()を感じると思うのですが?自分のなさったことを一度、(かえり)みては?」

「え……」

「先ほどから、父親、父親と耳障りな言葉をよく吐く。女に子を(はら)ませただけで父親面とは実に滑稽(こっけい)ですね。あなたが私たちを捨て、他の女の所へ行ったせいで、こちらが飢え死にしかけたのはご存じない?」

「それは……」

「私はあなたを恨みこそすれ、恩を感じるわけがない。そんな相手にお金の無心とは、まったくどうかしていますね」


 男は愕然とした様子で床に膝をついた。

 やられた方は覚えている、やった方は忘れる――とよく言うが、本気で自分が母

と私にしでかしたことを忘れていたのだろうか?もしくは、都合よく記憶を捻じ曲げたか?

 いずれにしろ、残念な頭の持ち主だ。

 この男の血が私に半分流れているかと思うと、泣きたくなる。


 さて、さすがに諦めたかと思ったが、目の前の男はしつこかった。

 何を思ったか、彼は床に額を(こす)り付けてこう言った。


「ジゼルと君には、本当に申し訳ないことをした。どうか許してくれ!」


 最低最悪男が()びる。ちなみに、ジゼルと言うのは母の名前だ。


「顔をお上げください」

 

 私の言葉に、男はパッと明るくして顔を上げ――


「謝ろうと何しようと無駄。あなたの土下座に価値なんてありません」


 次の言葉に呆けたようになった。


 私と男の様子を見て、周りの客たちがクスクスと笑いだす。

 己がどれほどみっともないことをしているか悟り、男の顔が朱に染まった。それから、ブルブル震え出す。


「人が下手に出ていれば……」


 拳を握りしめて、私を睨む男。見事なまでの逆ギレだ。

 このまま殴りかかってでも来るのか?

 そう思っていた矢先、店の奥から悲鳴のような声が上がった。


「まさか……アラン!?」

「ジ、ジゼル!」


 騒ぎを聞きつけた母が、店舗の方へやって来たのだ。突然の前夫の登場に、母は目を丸くしつつ、こちらに歩み寄る。

 一方、最低最悪男は華やいだ笑みを浮かべると、両手を広げて母を迎えようとした。

 瞬間……


――パンッ!

 

 乾いた音が店の中に響き渡った。


 母に平手打ちを喰らった男は、「え?え?」と状況がつかめずにいる様子だ。そして、母はというと、どこからか(ほうき)を持ち出して来て、それを思いきり男に振り下ろす。


「痛い!ジゼル、何をするんだ!?」

「何をするんだ――ですって!?よくも、おめおめと私たちの前に姿を現せたものだねっ!この恥知らずがっ!!」

「痛い、痛いっ!」

「今すぐ出て行きなっ!じゃないと騎士団に突き出すよっ!!」


 母に(ほうき)で追い立てられて、男は悲鳴を上げながら逃げるように店から出て行った。

 後に残されたのは、私と客。そして、箒片手に憤怒の顔をしている母だ。


「母さん、すごい」


 私が思わずパチパチ手を叩く……と、お客さんたちもそれにつられたのか、店内が拍手に包まれた。




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