第61話 凶日
最初、私はその男が誰なのか分からなかった。
スッと鼻筋が通った、端正な顔の男性だ。線の細い優男風で、年齢は四十代くらいか。若い頃は、さぞかし美男だっただろうと思われる。
店内で、その男はカウンターにいる私を見つけると、途端に笑顔になってこちらに近づいて来た。他の客を押しのけてやって来る彼に、私は注意する。
「すみませんが、順番に列になってお並び――」
「久しぶりだね」
「はぁ?」
こちらの言葉を遮って、再会の言葉を口にする男。
――コイツ、誰だ?
私の頭の中で疑問符が浮かぶ。
こんな知り合いはいないと、私は眉間にしわを寄せた。
「失礼ですが、どなたかとお間違いに……」
「大きくなったなぁ、ジャンヌ」
「あの、だから…」
しかし、次の言葉を聞いて私は凍りついた。
「分からないかい?お父さんだよ」
私はヒュッと息を呑む。
*
うちは母子家庭だ。母は苦労しながら、女手一つで私を育ててくれた。
そして、一人で育てざるを得なかった原因が私の父親だった。
正直なところ、父親だなんて思いたくもない最低最悪の男である。
なにせ、この男は病床の母と幼い私を捨てて、いなくなってしまったのだ。後で聞いた噂によれば、別の裕福な女と結婚したらしい。
病気で働けない母に、まだ小さすぎる私。
私たちは明日食べる物にも困る日々を送った。運が悪ければ、そのまま野垂れ死でいただろう。
不幸中の幸いは、母親が回復できたことだ。そこからは貧乏ながらも、何とか生きてきた。
ところで、私の母は――そして、クソ男も――魔導士である。
その遺伝のせいか、私自身にも魔法の才能があることが分かり、私は王立魔法学校へ入学した。むろん、貧乏家庭で入学金や授業料など払えないから、何とか特待生の枠に滑りこんだ身である。
特待生の枠をキープするために、加えて一人で生きていく術を身に着けるために、私は青春時代のすべてを魔法の勉強に費やした。遊びなんてもってのほか。目指すはエリート、宮廷魔導士。
そして、紆余曲折あって今に至る。
結局、宮廷魔導士になれなかったし、ならなかったが、現在の環境に私はとても満足している。魔法学校時代の努力は決して無駄じゃなかったと思えるし、その努力の原動力となったのは反骨精神だろう。
「父みたいなクソ男に頼らず、左右されず、一人で生きていけるだけの力が欲しい」と私は願った。そこには、「自分たちを捨てた父親を見返したい」という想いも入り混っていた。
父を反面教師とし、「今の己があるのは父のおかげ」と、感謝するなんてことはない。そんな気持ちは皆無である。
さて。ならば。
今が幸せだから、その最低最悪男を許すことができますか?
そう聞かれれば、答えはズバリ、
ノーである。
*
私は目の前の男の胸倉を掴んだ。
「なにが『お父さんだよ』ですか」
「え?え?ジャンヌ?」
不安そうに眼を泳がせる最低最悪男。
ああ、そう言えば。こういう顔だったか。
捨てられた当時は幼すぎておぼろげだった記憶――その焦点が合ってくる。
今でこの美貌なら、昔はもっと美しかったのだろう。まったく、母の面食いには困りものである。
――で。
このきれいな顔に『石の礫』の魔法を叩きこんで、真っ赤に染めてもいいだろうか?
と、思ったが……この男のせいで私自身が犯罪者になるのも馬鹿々々しい。
私は自分の理性を総動員させてグッと歯を食いしばり、男の胸倉を放した。
「お帰り下さい。あなたと話すことはありません」
本来ならば、その顔面を吹っ飛ばしたいところを、私は寛大な心で最低最悪男を見逃してやった――にも関わらず、状況を理解できていない男は私に言いつのる。
「そんなつれないことを言わないでくれ。それにしても、ジャンヌ。立派になったじゃないか。流石は僕の娘だ。若くして店を持ち、それがこの国で一番の魔法薬店だと評判じゃないか!」
最低最悪男は、過剰に私を誉めそやした。
突然、現れた私の生物学上の父親。そして、やたらと私を賛美する。
いったい何の目的が?
そう考えたところ、思い当たるのは一つしかない。
「お金ですか?」
私が尋ねると、男の肩がぴくりと動いた。
「じ、実はそうなんだ。新しく始めた事業が上手くいかなくてな。……少しでいいから金を融通してくれないか?この通りだ」
「お断りします」
即答する私に、男は大いに驚いた様子だった。
まさか、断られると思っていなかったとか?
だとしたら、ずいぶんとおめでたい頭の持ち主である。
「頼む!本気で困っているんだ!実は君には異母妹もいてな。このままじゃ、僕も子供も……一家が路頭に迷うかもしれないんだ!」
「そんなの、私の知ったことではないですね」
「どうしてだ?僕たちは血のつながった親子だろう?家族が困っているのを見捨てるのか?」
「寝言は寝てから言ってください。私の家族は母だけです」
一向に折れない私に、男が声を荒げる。
「実の父親がここまで頼んでいるんだぞ!?なんて、冷たい子だ!この恩知らずがっ!!」
その言葉に、私は思わず噴き出した。
「……恩知らず?フフ、笑わせる。私がどうしてあなたに恩を感じると思うのですが?自分のなさったことを一度、省みては?」
「え……」
「先ほどから、父親、父親と耳障りな言葉をよく吐く。女に子を孕ませただけで父親面とは実に滑稽ですね。あなたが私たちを捨て、他の女の所へ行ったせいで、こちらが飢え死にしかけたのはご存じない?」
「それは……」
「私はあなたを恨みこそすれ、恩を感じるわけがない。そんな相手にお金の無心とは、まったくどうかしていますね」
男は愕然とした様子で床に膝をついた。
やられた方は覚えている、やった方は忘れる――とよく言うが、本気で自分が母
と私にしでかしたことを忘れていたのだろうか?もしくは、都合よく記憶を捻じ曲げたか?
いずれにしろ、残念な頭の持ち主だ。
この男の血が私に半分流れているかと思うと、泣きたくなる。
さて、さすがに諦めたかと思ったが、目の前の男はしつこかった。
何を思ったか、彼は床に額を擦り付けてこう言った。
「ジゼルと君には、本当に申し訳ないことをした。どうか許してくれ!」
最低最悪男が詫びる。ちなみに、ジゼルと言うのは母の名前だ。
「顔をお上げください」
私の言葉に、男はパッと明るくして顔を上げ――
「謝ろうと何しようと無駄。あなたの土下座に価値なんてありません」
次の言葉に呆けたようになった。
私と男の様子を見て、周りの客たちがクスクスと笑いだす。
己がどれほどみっともないことをしているか悟り、男の顔が朱に染まった。それから、ブルブル震え出す。
「人が下手に出ていれば……」
拳を握りしめて、私を睨む男。見事なまでの逆ギレだ。
このまま殴りかかってでも来るのか?
そう思っていた矢先、店の奥から悲鳴のような声が上がった。
「まさか……アラン!?」
「ジ、ジゼル!」
騒ぎを聞きつけた母が、店舗の方へやって来たのだ。突然の前夫の登場に、母は目を丸くしつつ、こちらに歩み寄る。
一方、最低最悪男は華やいだ笑みを浮かべると、両手を広げて母を迎えようとした。
瞬間……
――パンッ!
乾いた音が店の中に響き渡った。
母に平手打ちを喰らった男は、「え?え?」と状況がつかめずにいる様子だ。そして、母はというと、どこからか箒を持ち出して来て、それを思いきり男に振り下ろす。
「痛い!ジゼル、何をするんだ!?」
「何をするんだ――ですって!?よくも、おめおめと私たちの前に姿を現せたものだねっ!この恥知らずがっ!!」
「痛い、痛いっ!」
「今すぐ出て行きなっ!じゃないと騎士団に突き出すよっ!!」
母に箒で追い立てられて、男は悲鳴を上げながら逃げるように店から出て行った。
後に残されたのは、私と客。そして、箒片手に憤怒の顔をしている母だ。
「母さん、すごい」
私が思わずパチパチ手を叩く……と、お客さんたちもそれにつられたのか、店内が拍手に包まれた。




