第60話 おめでたい日
部屋の中は幸せな空気で包まれていて、その中心に赤ん坊がいた。
アニーとデニスの第一子となる男の子。数日前、アニーはその子を産んだのだ。
初産婦のわりに、アニーは安産だったようで、母子ともに産後の経過は順調だった。それを聞いて、私も彼女を見舞いにやって来たのだ。
通された部屋に入ると、アニーがベッドの上に腰を掛けて座っていた。そのすぐ傍に揺り籠が置いてある。
「ジャンヌ。来てくれてありがとう」
私の姿を見て、アニーはパッと笑顔になった。
「アニー、おめでとう。そしてお疲れ様」
「まったく、散々だったわよ。あれで安産だというのだから、たまったものじゃないわ」
やれやれとアニーが肩をすくめる。やはり、人を一人産むというのは大変なようだ。
「ほら、見てやって。マルセルっていうの」
揺り籠の中を覗くと、まだ生まれて間もない赤子がすやすや眠っていた。
可愛いと思うよりも、その小ささに私は感動を覚える。
「抱っこしてみる?」
「さすがに怖いよ。こんな小さな子、抱いたことないから」
小さすぎて怖いと、私は謹んでアニーの申し出を辞退する。
「もう少し大きくなったら、抱っこさせて」
「ふふ。分かったわ」
穏やかに、幸せそうに微笑むアニーに私はもう一度、
「おめでとう」
そう言った。
*
アニーと彼女の子供マルセルに会った帰り道、私は非常に気分が良かった。なんだか、幸せをお裾分けしてもらった心地である。
それで店に帰る途中、後ろから声をかけられた。
「ジャンヌ!」
振り返らずとも、声で誰か分かる。相変わらず、元気のよい様子だ。
「こんにちは、レオン様。もしかして、店に用ですか?」
「店というか、君に。だって、今日は休業日だろう?」
「よくご存じで」
「俺は君に報告したいことがあって……ん?」
「なにか?」
「いや…。なんだか、今日はとても楽しそうだなぁと思って。何か良いことでもあったのかい?」
レオンに指摘されて、内心驚く。確かにアニーの赤ん坊のことで浮かれた気分だったが、そんなに表情に出ていただろうか?そんなに顔が緩んでいた?
思わず、頬に手をやりつつ、私は幼馴染のアニーに子供が生まれたことを話した。
「アニー……というのは、あっ」
ポンとレオンが手のひらを打った。
「あの浮気騒動のときの子か」
「……そう言えば、そんなこともありましたね」
アニーの夫デニスが、職人ギルドの付き合いで娼館に行ってしまったことがあった。その後、アニーとデニスが彼を接待した娼婦と街でバッタリ遭遇し、娼婦が思わせぶりな態度をとったせいで浮気騒動にまで発展したのだ。
思い返せば、その騒動がきっかけで、アニーのお腹の中にマルセルがいることが分かったのだから、何がどう転ぶか分からないものである。
「そうか、無事生まれたんだな。良かったぞ」
「はい」
「今日は良いことばかりだな」
「えっ、レオン様の方でも何か?」
「それを君に報告しにきたんだぞ」
*
私は母屋の居間にレオンを通した。彼が話してくれたのは、ピエトロ商会の顛末についてだった。ピエトロ商会には、故意にプラジール病をオルレアの街に蔓延させた疑いがあった。
プラジール病の散発的発生地域から感染者をオルレアに運び込んだのがピエトロ商会の関係者ではないか――そのような嫌疑が持ち上がり、オルレア騎士団は王立騎士団と共に捜査していたのだ。そしてついに、ピエトロ商会の最高顧問であるジョシュアが容疑を認めたのだという。
「意外と早くあの男を追い詰められたのですね」
「ああ、王立騎士団の協力もあったからね。でも、ジョシュアが口を割った一番の要因は、やはりサヴォイア公爵家に見限られたことだろう。強力な後ろ盾を失くして、もうどうにもならないと諦めたんじゃないかな」
「なるほど。しかし、それもオルレア騎士団の努力あってのことです。レオン様もお疲れさまでした」
「へへ……」
私が労をねぎらうと、レオンは少年のような笑顔で嬉しそうにした。
「といっても、まだまだ仕事は山積みだ。ピエトロ商会との裁判もこれからだし、例の『竜の仮面の魔導士』については、皆目見当がついていない」
「そう言えば、ピエトロ商会はこれからどうなるんですか?」
「おそらく、倒産することになるだろうな。あの商会はオルレアだけじゃなく、他の街でもあくどいことをしていたようだし、潰れた方が世の中のためだぞ」
確かにそれもそうだと私が頷いていると、レオンが思い出したかのように声を上げた。
「そう言えば、来る途中気付いたんだけれど、この店の隣の空き地に何か建つのかい?資材が運ばれているようだったけれど」
「ああ。それうちの建物です。調合室をもう一つ作ろうと思って」
しばらく前から、私は店の商品を繁華街にあるモルダー薬種屋に卸していた。思いのほか、その売れ行きが好調のようで、経営者であるイザックから「もっと、卸す量を増やしてくれないか」と希望されていたのである。
しかし、今の調合室の規模だとそれは難しい。そこで思い切って、新しい調合室を建てることにした。これに伴って、新しく魔法薬の調合ができる魔導士も雇うつもりである。
私の話を聞いて、レオンはパッと表情を明るくした。
「すごいじゃないか!」
「はい、思いきりました。調合室を増設した途端、うちの商品が売れなくなる……なんてことにならなければ、いいのですが…」
「そんなことはない!絶対大丈夫だぞ!」
力強く断言するレオン。
いったい、なんの根拠があるのだか…と思う反面、彼にそう言われると大丈夫な気もしてくる。
おかげで、私の心は少し軽くなった。




