第58話 師匠との昔話
朝起きると、レオンは見慣れない部屋にいた。
ベッドが小さく、自室でないことだけは分かる。
「んん……」
レオンは伸びをしながら、起き上がり周りを見渡した。
部屋自体はそう大きくない。本棚にはぎっしり本やノートが並び、そこに入りきらなかったものが床にも積まれていた。ただ、物は多いものの、整理整頓はされている様子である。
そんな部屋の中を、窓から差し込む朝日が照らしていた。
「……」
何だか見覚えがあるような部屋だが、レオンはよく思い出せない。そもそも、昨夜の記憶もあやふやで、体が辛いというわけではないが少しダルかった。
レオンはぼうっとしつつ、もう一度ベッドに寝転ぶ。そして、その辺りにあった枕に顔をうずめた。途端に、よく知った匂いが鼻孔をくすぐる。香水などではない。少し薬草っぽい、そんな香りで……。
「――っ!?」
今度こそレオンは飛び起き、覚醒した。まじまじと枕を見る。その枕から嗅ぎ取ったのは、彼が愛してやまない女性の匂いだ。
もし、この場にジャンヌがいたら「えっ……匂いで私だと分かるんですか?」とドン引きしそうだが、幸か不幸か彼女はいなかった。
さて、レオンは己がジャンヌのベッドにいるのだと知る。
そう言えば、この室内も彼女の部屋だった。招かれたことはないが、一度お見舞いをしたときに見かけており、レオンはそれを思い出した。
ジャンヌの部屋の彼女のベッドの上で眠っていた――その事実を知って、動転しながらも、レオンは必死に昨夜の記憶をたどった。ジャンヌが止めるのを聞かず、サミュエルに負けたくない一心で、酒をあおったことを何とか思い出すが、それ以降の記憶がない。
結局、どうして自分がジャンヌの部屋にいるのか、レオンには分からなかった。
「まさか、俺。何かしでかしてしまったんじゃ……」
自分には前科もある。レオンの頭の中に『酔竜の果実』のことがよぎった。
そうして、レオンが顔を赤くしたり青くしたり、忙しくしていたところ、扉を叩くノックの音がした。
「はっ、はい!」
思わず、レオンの声が裏返る。
「レオン様。入ってもよろしいですか?」
返ってきたのは、本来のこの部屋の持ち主――ジャンヌの声だった。
「も、もちろん」
「失礼します」
部屋に入って来たジャンヌを見て、レオンはしどろもどろになる。一方、ジャンヌはいつも通りの様子だった。
「レオン様、体の具合はどうですか?二日酔いとか…」
「だ、大丈夫だと思う」
「そうですか。それは良かった」
「あ、あの……飲み会の後、俺はどうしたんだろう?」
レオンは恐る恐る尋ねる。本当に聞きたかったのは、自分がジャンヌに何をしでかしたかだが、それは聞く勇気はない。
――と、ジャンヌがレオンをじっと見つめてくる。
「覚えていらっしゃらないのですか?」
「えっと……ハイ、ソウデス」
無意識に敬語になり、姿勢を正すレオン。そんな彼の様子を見て、ジャンヌは深々とため息を吐く。
「覚えていないのなら、それでいいです」
「いや……その、俺はいったい君にどんな無礼を……」
「大丈夫です。犬にでも噛まれたと思いますから」
特に怒る様子もないジャンヌを前にして、レオンの中である疑念がよぎった。
ジャンヌが己を責めないのは、腹を立てていないからではなく、すでに見限ったからじゃないだろうか?
それはあり得るかもしれなかった。なにせ、自分は初犯ではない。『酔竜の果実』のときの前科があり、今回で二度目だ。しかも、あれほど飲み過ぎるなと注意されていたのに、この失態。ジャンヌは怒りを通り越して、呆れ果てたのかもしれない。
その考えに、レオンは血の気が引いた。
「ジャンヌッ!すまなかった!もう一度、俺にチャンスを――」
「へっ?えぇ?はぁ!?」
驚くジャンヌに、レオンは追いすがった。
*
私はやれやれと息を吐いた。レオンの妙な誤解を一苦労して解き、これで一件落着か。
――だが、そう思った矢先、レオンはこんなことを言いだした。
「君とサミュエルは、本当に特別な仲ではないのか?」
「……」
私は思わず半眼になる。また、その話に戻るのか。
「……レオン様?」
低い声で尋ねると、レオンは慌て出す。
「だって!君らの距離が近いから!」
それは昨日も聞いた――と思い、そこではたと気付く。
ああ、そうか。レオンは昨夜のことはお酒のせいで何も覚えていないのだ。だから、話が繰り返されても仕方ないのかも…?
正直なところ、師匠とのアレコレを事細かに語るのは気持ちが進まない。一方で、こじらせたレオンに昨夜のような無体を働かれるのは御免こうむる。
二つを天秤にかけ悩んだ末、私はレオンに師匠との関係を今一度説明することにした。
「師匠と出会ったのは、私が王立魔法学校を卒業して、すぐの頃。冒険者の真似事をしていた時期です。その当時、私と師匠はペアを組んで仕事をしていました」
「うん、それは聞いたぞ」
「とある迷宮に潜って、そこで破格の宝物を見つけました。師匠は私に、それを売ったお金を譲ってくれたんです。そのおかげで、サカキ魔法薬店を開店することができました。いわば、師匠は私の恩人であるわけで……」
「――ふぅん。それだけ?」
「それだけって……」
私が師匠と親密である理由は、それで十分だろう。
……そう思うのだが、レオンはさらに追及してきた。
「そもそも君は、信頼していない相手とペア自体組まないし、お金なんて受け取らないだろう?君は俺からのプレゼント、ほとんど受け取ってくれなかった……。それなのに、どうしてサミュエルは良かったんだ?」
「……」
「それに……。サミュエルの前では無防備に寝顔を曝していたみたいじゃないか。やっぱり君はアイツに、特別心を許している気がする。その始まり何なのか。そもそも、どうしてペアを組もうとしたのか――その経緯が気になる」
恨み事を言うみたいにレオンは口を尖らせた。
レオンはずいぶん、私の性格を把握しているようだと感心する反面、私はこうも思う。
――意外にねちっこい……。
普段、快活でさっぱりした性格のくせに、こういう面もあるのか。
レオンは絶対、恋人の浮気をしつこく問い詰めるタイプだろう。
さて。
過去の自分の恥を知られたくなくて、話をぼやかしていたが、どうやらそれではレオンは納得してくれないようだ。
私は諦めて、全て白状することにした。
「師匠と初めて出会った頃、私は自暴自棄になっていたんです。ジョシュアに自分の研究が奪われ、宮廷魔導士にもなれず、もうどうでもいいや……って。魔物と戦うのも、自分が傷つくのを厭わないような……今振り返れば無茶な戦い方をしていました」
「君が……?」
「そんなとき、師匠に出会ったんです」
――そんな戦い方をしておったら、いずれ死ぬぞ。そんなに死に急ぎたいか?
――……別に。自殺願望はありません。
――そうか?少なくとも、生きたがっているようには見えないが?
――……。
「あの時も別に死にたかったわけじゃない。けれども、確かに生きようともしていなかったな――って気付かされて」
「……」
「それでいつの間にか、師匠が私の周りをウロチョロするようになったんです。断っても断っても、しつこくついてきて。いつの間にかペアを組むことに。今思えば、自棄になった私を心配してくれていたのでしょう」
師匠のあの無神経さと陽気さに、当時の私が確かに救われていたことを思い出す。
「自分の一番情けない部分をすでに知られてしまっていることへの開き直りや、それを受け入れてくれる師匠への甘え――が今の私たちの関係性に繋がっているかもしれません。師匠に恋愛感情なんてないけれども、頼りにならない兄ができたような……そんな感じです」
これでレオンが納得してくれたかは分からない。チラリと横目で彼を伺うと、なんだか複雑そうな顔をしていた。
「どうして、サミュエルは君をそこまで気にかけ、助けたのだろう?」
「なんでも、亡くなってしまった知人に、私の雰囲気が似ているそうです。それで放っておけなかったと、いつだったか酒の席でこぼしていました」
「……そうか」
レオンはまだ何か言いたげにしていたが、結局それ以上追及してこなかった。




