第53話 新しい取引
母屋で遅い昼食を取りながら、私は調べ物をしていた。
それは『酔竜の果実』についてである。
先日のレオンとの会話で、『酔竜の果実』の一件を思い出し、あの果実を食べて精神的異常を訴えた人の報告例がないかどうか、確認しようと思い立ったのだ。
『酔竜の果実』はリラックス効果があるくらいで、人には無害のはず――という私の認識だったが、何か記憶に誤りがあるかもしれない。
しかし、手持ちの書物を調べても『酔竜の果実』で精神的異常が認められた症例は見当たらなかった。
これは図書館に行って調べた方が良いだろうか――そんなことを考えていた矢先、急に何かが私の腰に抱き着いてきた。
「っ!?」
私は驚き、そのまま椅子から転げ落ちそうになる。
「へへっ」
「その声、マルグリット?」
慌てて振り返ると、そこには見知った少女がいた。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見上げてくる。
それにしても、いつのまに母屋に入って来たのだろう。この少女は時折、神出鬼没に現れる。
マルグリットはその行動といい、少し吊り上がったヘーゼル色の大きな瞳といい、何だか猫を彷彿とさせる少女だった。
そして、私は猫が嫌いではない。犬も可愛いと思うが、どちらかというと猫派だ。
ふと、私は思った。
マルグリットが猫なら、レオンは犬。大型犬っぽいなぁ――そんな失礼なことを考えながら、私はマルグリットに向き直る。
「勝手に他人の家に入っちゃだめだよ」
「ごめんなさい」
口では謝っているが、おそらく反省はしていないだろう。
私はやれやれと肩をすくめつつ、マルグリットにお茶とビスケットを出してあげた。
嬉しそうにビスケットを頬張っていたマルグリット――だったが、気付くと彼女はじっと何かを見つめていた。
その視線の先にあるのは、先ほど私が調べ物をしていた本だ。
「酔竜の果実……?」
開いてあったページから、マルグリットはそこに何が書かれてあるか読み取っていた。彼女はちゃんと文字が読めるようだ。
「どうしてコレについて調べているの?」
マルグリットが私に尋ねてくる。
彼女は魔法薬や薬草に興味があるようだから、気になるのかもしれない。
「その果物が体に合わない人がいてね。それで、今後のためにも詳しく調べているの」
「へぇ。合わないってどうなるの?」
「う~ん。酔っぱらったような感じかな……」
こんな年端のいかない子供に、以前レオンがどのようになったか……なんて詳しく話そうとは思わない。それくらいの分別は私にもある。
「ふぅん。その合わない人って、もしかして騎士団長のお兄ちゃん?」
「よく分かったね」
私がマルグリットの勘の良さに驚いていると、
「……だって、あの人なんか変だし」
彼女がそう言い切ったので、思わず私は吹き出しそうになった。
*
コルネイユに指定された街中のカフェに行くと、そこには彼の他にもう一人男性がいた。白髪交じりの彼には見覚えがある。
男の名はイザック、モルダー薬種屋の店主だ。
先祖代々、魔法薬の商いをしていて、ピエトロ商会がなくなってしまった今、モルダー薬種屋は街で一番の大店だった。イザック自身、この街の魔法薬店の顔役でもある。
私が彼と初めて話したのは、プラジール病の特効薬作製に協力してもらった時だ。その時に、確かな技術と知識のある魔導士だと知った。
それにしても、コルネイユとイザックが知り合いだったとは……驚きである。
「わざわざ来てもらってすまんね」
コルネイユが朗 らかに言った。
「知っているかと思うが、こちらはモルダー薬種屋のイザックさん。彼はわしのところのワインを気に入ってくれているお得意さんでね」
「嬢ちゃん、久しぶりだな」
「はい。お久しぶりです」
そうやって互いに簡単に挨拶を済ませたわけだが、私はどうして此処にイザックがいるのか理解できていなかった。
コルネイユからの話だから、店の経営に関することだと思うけれども……。
「今日、こうして集まってもらったのは他でもない。どうだろう?サカキ魔法薬店の商品をモルダー薬種屋に卸 してみては?」
「……え?」
コルネイユの提案に、私は目を瞬かせる。
それはつまり、モルダー薬種屋でうちの商品を売ってもらうという意味だろうか?
「モルダー薬種屋は繁華街に店を構えている。お客も、そこでサカキ魔法薬店の商品を買うことができれば、君の店の前で行列を作る必要はなくなるだろう。それに、商品を卸すという形なら、君自身で別店舗を開くよりも負担が少ない」
「それは、そうですが……」
私は戸惑っていた。
コルネイユの話が実現すれば、願ったり叶ったりだ。うちの店の負担が少ない条件で、行列問題を解消できるかもしれない。
しかしこの取引、モルダー薬種屋には何のメリットがあるのだろう?そこが疑問だった。
「商品を卸すと言っても、卸値はそれほど安く設定できませんよ?となると、うちの商品が売れても、そちらの利益にはあまりならないかと……」
「無論、それは分かっている」
私の疑問に対して、イザックが口を開く。
「おたくの薬は、モルダー薬種屋にとって、いわゆる客引き用商品だ。今までうちに馴染みがなかった客が訪れるきっかけになってくれれば、それでいい」
「客引き……。そこまで効果があるかどうか……」
「いいや、あるさ。プラジール病の件で嬢ちゃんの人気がすごいこともあるが、嬢ちゃんの魔法薬は俺だって認めている。アンタのところの魔法薬は良いもんだ」
「あ、ありがとうございます」
意外な言葉に、私は内心驚いていた。
イザックから見れば、私なんて小娘と思われても仕方ない年齢であり、モルダー薬種屋に対してサカキ魔法薬店はずっと規模の小さい店だ。にもかかわらず、うちの店の魔法薬を真っ向から認めてくれるなんて、思いもしなかった。
「だから、モルダー薬種屋としても是非取引させてほしい。まぁ、嬢ちゃんが大切な商品を俺に任せたくないと思うなら仕方ないが……」
「いいえ!そんなことはありません!」
プラジール病の一件で、魔導士としてのイザックの力量は十分知っているし、モルダー薬種屋が堅実な仕事をしていることも承知している。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!」
そう言って、私は差し出されたイザックの手を握った。




