第42話 ジャンヌの覚悟(後編)
ジャンヌが王立騎士団に連行され、レオンが真っ先に向かったのはクローヴィス侯爵家の屋敷――つまり、彼の自宅だった。
少し前、ジャンヌと領主である父が長々と話していたのをレオンはもちろん覚えていて、父なら今回の逮捕について何か心当たりがあるだろう――と、そう考えたのである。
レオンはノックもせず、父親の書斎の扉を開け放った。そこには父の他に、兄のアクセルもいる。
アクセルはレオンの不作法を咎めようとしたが、弟の剣幕に思わず黙り込んだ。
「ジャンヌのこと、何か知っていませんか」
レオンが単刀直入に切り出す。尋ねる形だが、語尾に疑問符はついていなかった。
少しの沈黙の後、クローヴィス侯爵は重い口を開く。
「ジャンヌさんが逮捕されたのは、『ピエトロ商会の営業利益の侵害』を疑われてだ」
「侵害?」
「平たく言えば、ピエトロ商会が極秘にしていたプラジール病の特効薬の作製方法。それを彼女が盗み、本来ピエトロ商会が得るはずだった利益を奪った……ということだ」
「ジャンヌがそんなことするものか!」
ダンとレオンが拳で机を叩く。
その拍子に、ピキッと黒樫の書斎机にひびが入った。
「落ち着きなさい。でないと、話し合いにならない」
「……」
レオンは何とか自制し、父親の次の言葉を待った。
「元々、あのプラジール病の特効薬は学生時代のジャンヌさんの研究成果だった。それを当時の教授だったジョシュアが奪ったらしい。それを手土産に、ジョシュアは教授職を退官後、ピエトロ商会の最高顧問の座を獲得したようだ」
「そんなっ…」
衝撃的な事実を知って、レオンは言葉を失った。
ジャンヌにそんな過去があるなんて、彼は今まで知らなかったのだ。
教授に自分の研究成果を奪われ、宮廷魔導士の道を諦めなければならなかったジャンヌ。その無念を考えると、レオンは胸が締め付けられるようだった。
「無論、ジャンヌさんも黙っておらず、ジョシュアを訴えようとした。しかし、彼女の味方になってくれる弁護士はおらず、それどころか逆にピエトロ商会から警告を受けたらしい。これ以上騒げば、ピエトロ商会からプラジール病特効薬のレシピを盗んだ人間としてジャンヌさんを告発すると」
「なんてやつらなんだ!」
怒りのあまり、レオンの体が震えた。
脳裏に、つい最近会ったジョシュアの顔が鮮明に思い出される。
もし、今この場にジョシュアがいたら、自分は彼を殴り殺すかもしれない――とレオンは思った。
「そういった過去の経緯もあってか、ジャンヌさんは今回のことも予期していた」
「今回って……ジャンヌが逮捕されたことですか?」
「ああ。このオルレアで、ジャンヌさんがプラジール病の特効薬を作製すれば、ピエトロ商会とその背後にいるサヴォイア公爵家が黙っていないこと。それを承知で、彼女は街を救ってくれたんだ」
「ジャンヌ……」
感に堪えないという面持ちで、レオンはその名を呟く。
しかし、次のクローヴィス侯爵の言葉に彼は耳を疑った。
「彼女はこの街の恩人だ。だが、だからと言って、我々が彼女の味方につくことは必ずしも賢いやり方ではない」
「……は?」
いったい、何を言い出すのか。
レオンは目を丸くして、父親を見た。
「おそらく、ピエトロ商会とサヴォイア公爵家は、裏で手を回して、ジャンヌさんがどうやっても裁判で勝てないような状況を作ってくるだろう。彼女が無実を訴えたところで、それが通る目論見は少ない。それはたとえ、我々が彼女の味方についたとしても、だ」
「……父上?」
「我々がジャンヌさんに味方した場合、彼女が有罪になれば、我々も責任を問われる可能性がある。一方で、ジャンヌさん一人の仕業ということにすれば、被害は最小限に抑えられる。損害賠償も平民個人からとれる額などたかが知れている。対して、我々クローヴィス侯爵家相手なら、その金額は計り知れないものになるだろう」
「……」
「さらに言えば。彼女が素直に罪を認めれば、こういう緊急事態だから情状酌量の余地ありとみなされ、執行猶予がつく可能性が十分考えられるし、損害賠償金も減額されるはずだ」
己の父親であるクローヴィス侯爵の話を、レオンは信じられない思いで聞いていた。
「……それはつまり、クローヴィス侯爵家はジャンヌを見捨てるということですか?助けてくれた恩人を?」
「それがクローヴィス侯爵家にとっても領民にとっても、賢い選択だ」
今度こそ、レオンの怒りは爆発した。
「見損なった!まさか父上がそんな非道な男だと思わなかった!!」
「公私を混同してはいけない。私たちは領地を治める立場の人間だ。何よりも考えるべきは、領民のことで――」
「何が民のためか!その民の一人を人柱にして見捨てようとしている男がよく言う!」
「レオン……」
「クローヴィス家がジャンヌを見捨てると言うのなら、俺はこんな家なんていらない!俺一人でも彼女の助けになるっ!!」
顔を真っ赤にし、怒鳴るレオン。
そんな彼を見て、侯爵とアクセルは顔を見合わせた。
「だから、父上。こうなると言ったでしょう?レオンも少し落ち着きなさい」
「兄上も父上の肩を持つのか?」
「違う、違う。そもそも、今までの発言は父上の考えではないんだ」
「なんだと?では、誰の?」
「ジャンヌさんだよ」
「……えっ?」
レオンは目を瞬かせた。
*
時はしばらく前に巻き戻る。
クローヴィス侯爵の邸宅で、ジャンヌと侯爵が話し合っていた時のことだ。
「ただ、いくつか懸念点が……」
ジャンヌは侯爵に、自分がプラジール病の特効薬を作製した場合、ピエトロ商会が訴えてくる可能性を説明した。
そして、ピエトロ商会は自分たちの訴えを通すため、裏で手を回してくること。場合によっては、証拠もねつ造してくるだろうと。そうなると、ジャンヌが裁判で有罪になる可能性は高い。
「分かった。我がクローヴィス侯爵家が全力で君を擁護し、支援しよう」
その侯爵の言葉に、ジャンヌは返事せず話を続けた。
「おそらく、それが事実でなくとも、魔法薬の製造方法を盗んだ……そう認めるのが賢い選択なのでしょう。そうすれば、私は反省していると見なされ、今のこの急場も考慮すれば、情状酌量の余地ありと判断されるかもしれません」
「ああ、確かにそうだろうな……。ん?もしかして、君は――」
「ええ。私は賢い選択を選びません。ピエトロ商会の訴えは間違いであり、むしろ私はジョシュアに研究を奪われた被害者だと法廷で発言するつもりです。たとえ、有罪になった場合に罪が重くなるとしても」
私はわざと賢い選択を選ばない。だから、自分のことは構わないでくれ、そうジャンヌは言った。
もし、クローヴィス侯爵家がジャンヌの味方をすれば、侯爵家にまで罪が及ぶかもしれない。領主の失墜は、領民たちの生活にもダイレクトに影響するだろう。
だから今回の一件は、ジャンヌ一人の責任であり、侯爵家は無関係――それが皆にとって良いはずだ、と。
ジャンヌはそう説明したのである。
「しかし、君一人に責任を押し付けるなんて……」
そんなことが人として許されるのか。侯爵は渋った。
すると、ジャンヌは薄く笑う。
「これは私のわがままなんです。他に良い道があるのに、ソレを無視して茨の道を自ら歩むのですから。けれども、その負け戦に皆まで付き合う必要はありません」
「だが……」
「どうか領主として、一人への義理立てのために大勢を犠牲にしないでください。あなた様は賢い選択をしてください」
ジャンヌの顔はいっそ穏やかで、すでに彼女が覚悟を決めていることは侯爵にも分かった。
ジャンヌが侯爵に願い出たことは一つだけ。後に残される母親と従業員の世話だった。それさえ保証してくれば、喜んでプラジール病の特効薬を作ると彼女は言った。
最後に、侯爵は問いかけた。
「君は負け戦と知りながら、戦いに挑むのかい?」
それに、ジャンヌはきっぱりと答える。
「ええ。もう逃げるのは嫌なんです」
*
その話を聞いて、レオンの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
思い出されるのは、プラジール病を克服したと浮かれ、自分が彼女を抱きしめた時のこと。
あのとき……驚いたことに、ジャンヌはレオンに抱擁を返してくれた。
――君はいったい、あのとき。どんな気持ちだったんだ?
そんなジャンヌの想いなどつゆ知らず、浮かれていた自分が恥ずかしい。
レオンは片手で顔を覆った。




