第38話 因縁の相手(後編)
昔のことを思い出すと、今でも腸が煮えくり返りそうだった。
今ここで、ジョシュアに殴りかからない私の理性を褒めてやりたいと思う。
拳を握りしめる私に、ジョシュアはなおも穏やかに話しかけてきた。
「なぁ、もう昔のことは水に流してくれないか?君もこれほど成功していることだし。案外、宮廷魔導士になるよりも幸せな人生だったんじゃないかな?」
水に流す?幸せだって?
私がいったい、どんな想いで今の今まで過ごしてきたのか。この男にはきっと分からないのだろう。
この男とは話すのは、時間の無駄だった。
「……言いたいことはそれだけですか?なら、もう帰ってくれませんか?」
「いやいや。もちろん、昔話だけではないよ。本題は別にある。私は君と商談がしたいんだ」
「……商談?」
コホンとジョシュアが咳ばらいする。
「知っての通り、私はもう教授職を退官していてね。今はピエトロ商会の最高顧問を務めているんだよ。そして、残念ながらこの街の支店は潰れてしまった。無能な店長のせいでね」
嘆かわしいと、大げさにジョシュアは頭を振った。
「このまま新たにうちの商会が店を出しても、この街で再出発することは難しいだろう。そこで相談なんだが、うちの商会と君の店が連携して新たな店舗を作らないか?」
「……は?」
私は目を見開く。
この男、何を言っているんだ?
「今回の騒動で、君の店――サカキ魔法薬店は言わば被害者側となった。そんな君とピエトロ商会が手を取り合えば、きちんと和解をしたと世間の方々に思われるだろう。うちの商会の信用も取り戻せるというものだ」
「……」
「もちろん、君にもメリットはある。この話をのんでくれれば、君にはピエトロ商会の特別顧問の椅子が約束される。知っての通り、ピエトロ商会は王国どころか、この大陸で有名な老舗だ。役員報酬にはおそらく満足してもらえると思う」
「……」
「君とて、こんな小さな店で終わるつもりはないだろう?君には済まないことをしてしまったが、これでも私は君の才能を高く買っているつもりなんだ。今こそ長年のわだかまりを越えて、お互い協力しようじゃないか」
この男は……この男は……。
どこまで私をコケにすれば気が済むのだろう。
私は怒りでどうにかなりそうだった。
憤りのあまり、体がスンと冷えるのを感じる。
私が金儲けのためにだけに、この店をやっていると本気で思っているのだろうか?
私は、自分の作る魔法薬に誇りと責任を持っているつもりだ。
私の作る薬が、それを必要とする、できるだけ多くの人の手に届き、役に立つことを望んでいる。
プラジール病について、ピエトロ商会はそこから生じる利益を独占していた。
そのレシピを公開していないため、他に競合相手がいない状態だ。それをいいことに、高値で特効薬を売っていることは耳にしている。
プラジール病の患者たちは助かるために、ピエトロ商会にすがるしかなく、同商会は暴利を貪っているのだ。
医療に携わる者が聖人であるべき――と言うつもりもない。医療従事者も霞を食べて生きるわけにはいかないのだから、正当な報酬は必要だ。
しかし、プラジール病の特効薬はあまりにも高価らしい。
そうやって、生死という人間の最も大きな弱みにつけこみ、利益を過剰に搾取するのはいかがなものか。
少なくとも、私はそれを良しとしなかった。
人の生死を天秤にかけて、金儲けに走るピエトロ商会と手を組む?
冗談じゃない。
「お断りします」
私がきっぱり言うと、ジョシュアはやれやれと肩をすくめた。
「相変わらず、青臭い幻想を抱いているのかい?数年経って、君も少し大人になったと思ったのだが」
「言いたいことはソレで終わりですか?なら、帰って下さい」
「なぁ、ジャンヌ君。もう少し、大人になろうじゃないか。君にも悪い話じゃないはずだよ」
そう言って、ジョシュアは私の手を握ってきた。
ゾッと全身に鳥肌が立つ。
今、ここで。魔法で、この男の頭を吹き飛ばしてもいいだろうか。
半ば本気で、そんなことを考えていると――
「ジャンヌは嫌だと言っている」
レオンの声がした。
彼はつかつかとこちらに歩み寄ると、私からジョシュアの手を離した。そして、私をかばうようにジョシュアの前に立ちはだかる。
「これ以上はしつこいと思いますよ。ジョシュア先生」
「君は――ああ、レオン・クローヴィス君か」
ジョシュアは思い出したかのように言った。
「未だにジャンヌ君にひっついているとはね」
揶揄するような口ぶりだが、レオンはそれに反応しない。ただ、冷たくジョシュアを見下ろしていた。
「あまり迷惑行為を続けられるようなら、騎士団にも考えがありますが……」
「フン。ジャンヌ君の騎士気取りかい」
鼻白んだように言うと、ジョシュアは踵を返した。やっと店から出て行ってくれるようだ。
しかし、彼は最後に嫌な捨て台詞を残していく。
「私の手を取らなかったこと。君もこの街も、絶対に後悔するよ」
*
オルレアは物流が盛んな街だ。
毎日、門からはたくさんの馬車が出入りしている。
この日も、西門でとある若い門番が忙しく働いていた。
彼はまだ新入りで、門番の業務には不慣れだった。それでも早く仕事を覚えようと、日々奮闘している。
若い門番は、街に入る人間の身分証とその用途を確認していた。
今、目の前にいるのは、はるばる王都からやって来た商人だ。この街で売るための商品だろうか、馬車には荷が満載である。
そのときふと、若い門番は眉をひそめた。目の前の荷がわずかに動いているように見えたのだ。
「その荷物は何ですか?」
不思議に思って彼がそう尋ねると、商人はあっさりと答える。
「え?ただの布ですよ。ほら」
そう言って、彼は荷物の箱のふたを開ける。確かに、そこには色鮮やかな布がたくさん詰められていた。
一見、商人の荷物には何の不審点も見当たらない。
しかし若い門番は、やはり先ほど荷物が動いて見えたと怪しんだ。そこで、さらにその荷を詳しく調べようとする――と。
「おい!何ちんたらやってんだ!」
先輩門番からの怒号が飛ぶ。
「あの、この荷物をもう少し調べたくて…」
「あ?ただの布じゃねぇか」
先輩門番はちらりと商人の荷物を見ると、それから軽く若い門番の頭をはたいた。
「今日も忙しいんだ。一人にあまり時間をかけるな。さっさとしろ」
目上の人間からそう言われて、若い門番はこれ以上食い下がることができない。
結局、彼は件の商人と馬車を街の中に入れてしまった。




