第33話 元上司の脅迫
今日はもう夕飯は要らないかな。
サカキ魔法薬店からの帰り道、ニナはそんなことを考えていた。
仕事が終わった後、たらふく甘い菓子を食べたのでお腹がいっぱいなのだ。
閉店後、ふらりとやって来たのは、この街の騎士団長レオンだった。ニナの飛び降り自殺を止め、サカキ魔法薬店を紹介してくれた――彼女にとっての恩人である。
レオンは店主のジャンヌに好意を抱いている……というか熱烈な想いを寄せているらしく、彼はいつも足繁く店に通っていた。
そして、今日は花束と籠に山盛りの焼き菓子を持って現れたのだ。どうやら、ジャンヌへの見舞いの品らしい。
――だから病人じゃありませんし、レオン様じゃないんだから、こんなに食べられませんよ。
呆れたような困ったような顔をしていたジャンヌだが、最後には笑っていた。
それで一人では食べられないからと、閉店後に皆でちょっとしたお茶会をすることになったのだ。
「ふふ。お菓子、美味しかったなぁ」
幸福な気持ちで、ニナは家路についていた。
その時、物陰からニュッと手が伸びて、誰かがニナを捕まえた。彼女は手で口をふさがれ、叫び声を上げる暇もなく路地裏に引きずり込まれる。
怯えるニナの後ろから聞き覚えのある声がした。
「俺だっ!静かにしろっ!!」
おそるおそる首をよじって背後を見ると、そこにはピエトロ商会の店長ドミニクがいた。
彼の眼は血走り、尋常ではない様子だった。さらに、ニナの恐怖に拍車をかけるのは、その手に握られている銀のナイフだ。
「いいか?絶対に声を上げるなよ?」
ドミニクはナイフをちらつかせながら、そう言った。ニナには頷くしか術がない。
「お前、あの店でも薬の調合を任されているんだよな?」
「は、はい」
「それは好都合だ」
にやりと笑いながら、ドミニクはごそごそと左手で懐を探った。中から出てきたのは手のひらに収まるくらいの丸薬である。
「この丸薬をお前が作っている魔法薬に入れるんだ」
「こ、これはいったい……」
「中身などお前は知らなくてもいい!とにかく、これを薬に入れろ!いいなっ!!」
「……」
「まさか、お前。この状況で断れるとでも思っているのか?」
ドミニクは手にしたナイフをニナの頬に向けた。ナイフの先端が当たり、皮膚を浅く切る。赤い血がにじんだ。
「俺は本気だ。断れば命はないと思え」
「わ、わたしは……」
カタカタと歯が鳴る。ニナは震えていた。
恐怖で声が思うように出ない。
「どうした!?早く『はい』と言えっ!!丸薬を入れるんだっ!!」
丸薬というが、その中身が何かは分からない。ただ、ロクな物でないことだけはハッキリしている。
ドミニクはサカキ魔法薬店の評判を落とすことしか考えていないのだ。もしかしたら、丸薬とは名ばかりの毒かもしれない。
怖い。この場からすぐに逃げ出したい。解放されたい。
でも、自分を受け入れ認めてくれたジャンヌを裏切るようなことだけはしたくない。
それだけは死んでも嫌だ――ニナはそう思った。
「さぁ!早く『はい』と言うんだっ!!」
「私は……」
ニナは震えながらも、片手でポケットに忍ばせていた小瓶をとった。ドミニクには気付かれないよう、その蓋を開けようとする。
「早くっ!!」
ニナはギュッと目を閉じて、あらん限りの声で叫んだ。
「絶対に嫌です!!」
同時に瓶の蓋が開き、魔法薬に込められていた『灯り』の魔法が発動する。薄暗い路地に眩い閃光が放たれ、それは突き刺すようにドミニクの目を射抜いた。
「ぐあぁぁ!?」
強烈な光に目がくらみ、たまらずドミニクは持っていたナイフを取り落とす。カランと乾いた音が鳴った。
その拍子に、ニナはドミニクから離れる。そして、一目散にその場から逃げだした。
*
私はニナを連れて、騎士団を尋ねていた。
目的はもちろん、被害届を出すためだ。
帰宅したはずのニナが、震えながら店に飛び込んできたとき、いったい何事かと思った。そして怯える彼女の口から出た話は、信じられないものだった。
ピエトロ商会の店長ドミニクがニナを刃物で脅迫し、店の商品に怪しい丸薬を入れるよう迫ったと言う。
まさか、そこまでやるとは思わなかった。
不幸中の幸いは、ニナに護身用の魔法薬――閃光タイプの目つぶし――を持たせていたことだ。彼女はソレを使って、何とか窮地を脱したのだった。
夜も遅い時間帯だったが、騎士団での対応はルネが行ってくれた。
「被害届は確かに受理しました。さっそく、こちらでも調査します。ただ……」
「なにか?」
言いにくそうにルネが話す。
「何か証拠がないと、ピエトロ商会の店長は犯行を認めないかもしれません。こちらも目撃者を探しますが……」
すみません、とニナは消え入りそうな声で謝った。
「私、怯えて何もできなくて。もっと賢いやり方ができたら、ドミニク店長を追い詰められたかもしれないのに……」
「いえ!私の方こそ配慮の無い言い方をしてしまって申し訳ありません!あなたに非はありませんよ。何より女性の顔にそんな傷をつけるなんて許せません」
ルネはニナの頬の傷を見ながら言う。
被害届を出すためにあえて消毒しかしなかったものだ。店に帰ったら痕が残らないよう、しっかり治療しようと私は考えていた。
「しかし、その店長。どんどん行動が過激になっていますね。手段を選んでいない様子だ。そして、これで諦めるとは思えない」
そう、ルネが言う。私は彼の意見に同意した。
あのドミニクとかいう店長。完全に頭のネジが一本外れてしまったような印象を受ける。
「これは余計なお世話かもしれませんが、しばらく休業されてはいかがでしょうか?その…サカキ魔法薬店は女性ばかりですし……何かあると危ないのでは?」
ルネの忠告はもっともだった。ドミニクの嫌がらせが犯罪レベルにエスカレートしている中、次に何をしでかすか分からない。
ドミニクをこれ以上刺激しないよう、休業するというのは安全のために賢い選択だと言える。
しかし、私は「なぜ?」と思う。
こちらは悪いことなど、何一つしていない。
それなのにどうして、訳の分からない逆恨みに怯え、店を休まなければならないのか。
「ご忠告ありがとうございます。けれども、休業するつもりはありません」
「えっ」
「私は逃げません。そして、従業員も店も守って見せます」
ケンカを売って来たのはあちらの方。
良いだろう、そのケンカ買ってやろうではないか。目にものを見せてやる。
私の中で闘志が沸き起こった。




