第31話 竜の仮面の魔導士
忌々しいサカキ魔法薬店の女店主ジャンヌ、その悪評を流せば客は簡単に離れていくだろう。
あんな小さな店に元々さしたる信用なんてないはず。最近人気を博しているのは、舞台女優や騎士団にたまたま目を掛けられただけの幸運だ。
そして、サカキ魔法薬店を見限った客たちは、またピエトロ商会に戻って来る……。
ピエトロ商会オルレア支店の店長ドミニクは、そう目論んでいた。
それで部下を使い、街にジャンヌの悪い噂を流布させたのだ。
その結果――、
閑古鳥が鳴いたのはピエトロ商会の方だった。
「クソッ!!」
夜、独り居残った店内でドミニクは叫び、頭を掻きむしった。彼の癖のある髪は余計にあちこちに飛び跳ね、ぼさぼさになる。
「どうして、どれもこれも上手くいかないんだ!?」
サカキ魔法薬店の悪評を広めたにもかかわらず、相手方の店には大したダメージを与えることができなかった。相変わらず、あの店は客で賑わっている。
それだけでもドミニクは腹立たしくてしかたないのに、さらに悪いことに、ピエトロ商会の客離れが余計に加速してしまっていた。
どうも『サカキ魔法薬店を貶めるため、ピエトロ商会がでたらめな噂を流している』ということがバレてしまったらしい。
そのイメージダウンは甚だしく、客が余計に寄り付かなくなったのだ。
「あの無能どもめっ!噂一つ流せんのか!!」
自らの部下を口汚く罵って、地団駄を踏むドミニク。
これはもう、噂なんて手ぬるい手段を選んでいる場合ではなかった。早急に、あの憎きサカキ魔法薬店を叩きつぶさなければ、ピエトロ商会オルレア支店の方が潰れかねない。
「やはり、あの方にお願いしよう」
彼がそう呟いた矢先――、
「それはボクのことかい?」
すぐ近くで声がして、ドミニクは心臓が止まりそうになった。
慌てて振り返ると、彼の真後ろに竜の仮面をかぶった誰かが佇んでいた。赤銅色の長い髪をみつあみにして束ねている。
「先生!驚かさないで下さいよ」
ドキドキしながらドミニクがそう言うと、先生はおかしそうに声を立てた。
先生こと――目の前の人物について、実はドミニクはよく知らない。
いつも竜の仮面をかぶり、顔を隠していて、男とも女とも知れなかった。声は若そうだったが、実のところ年齢さえも分からない。
そんな謎の人物は、ピエトロ商会本部から裏工作用にと紹介された凄腕の魔導士だった。
裏工作というのは、表沙汰にできないピエトロ商会の隠された一面であり、それは専ら、ピエトロ商会の商品をさらに売るための手段だった。
例えば、人間に謎の咳を引き起こすカビ――それが生えた石像を街の人の集まる場所に置き、妙な病を流行させる。
それを感染症だと声高に言えば、ピエトロ商会の治療薬が売れるというわけだ。
また、子供たちの間で人気のおまじない――それは子供のデタラメだが――そこに本物の降霊術用の魔法陣を混ぜてやる。ずぶの素人が降霊術をやってしまうわけだから、子供が霊に体を乗っ取られるという事故も起きるだろう。
そうなれば保護者は怯え、自分の子供を守ろうとして、お守りに手を伸ばす。結果、ピエトロ商会の護符がよく売れるようになるわけだ。
少し変わったところでは、街の一等地を安く手に入れるための工作だ。
土地の持ち主が変わって、今まであった屋敷を取り壊し、高級宿を建てる計画が持ち上がったとする。そんなところに魔物騒ぎを引き起こせば、工事は遅延するし、土地自体にもケチがつく。
魔物が出るホテルなんて縁起でもないから、持ち主は土地を手放したくなるかもしれない。そこに声を掛けて、ピエトロ商会が安く買いたたくのだ。
そういった裏工作をピエトロ商会はやっていた。
ただし、絶対にピエトロ商会がやったとバレてはならない。そんなことしたら、あっという間にイメージダウンにつながってしまう。
だから、ピエトロ商会は金になりそうなネタを探しつつ、秘密裏に事を起こしていた。
この裏工作は何もオルレア支店だけで行っているわけではない。王国各地にある店舗全てでやっていることだ。
こうして三十年間程で、この商会はどんどん大きくなっていったのである。
そしてここオルレア支店では、『竜の仮面の魔導士』が裏工作の手伝いをするために、本店から紹介されたのだ。
前評判通り、『竜の仮面の魔導士』の腕前は確かなものだった。
どこかからともなく謎のカビを見つけ出して持ってきたり、子供のラクガキをマネて本物の降霊術用の魔法陣を作ってみせたり、幻術用の魔法薬を調合したり。
ただ、不幸なことにオルレアの街では裏工作はあまり上手くいっていなかった。
どの計略も途中までは順調なのに、あの忌々しい騎士団がどこからか嗅ぎつけて、問題を解決してしまうのだ。
そうは言っても、この『竜の仮面の魔導士』の腕は折り紙付きだ。信頼できる。
だからこそ、ドミニクはあの憎きサカキ魔法薬店をどうにかしてもらおうと、魔導士に頼むつもりでいた。
しかし……。
「先生。またお願いがあるのですが」
卑屈な目をしながら低姿勢で、『竜の仮面の魔導士』を伺うドミニク。
魔導士は右手でクルミを弄びつつ、あっさりと言った。
「それは無理だよ」
「えっ?」
突然そう言われ、ドミニクはキョトンとする。
「まだ、俺は何も言ってませんが?」
「どんな要望も応えられない、そういう意味だよ」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってください!」
ドミニクは大慌てだった。
「俺が先生に何か粗相をしましたか?急にそんなことを言われても困ります!」
パキン、と『竜の仮面の魔導士』の右手の中のクルミがひとりでに割れる。その中身を口に運びながら、魔導士は肩をすくめてみせた。
「困ると言われてもね。こちらも困っているんだ。最近、騎士団の連中がボクのことを嗅ぎまわっているから」
「なんですって!?」
「だから、しばらくはボクも大人しくしているつもり。ということで、君のお願いも聞けないんだよ」
言うことだけ言ってしまうと、「じゃあ」と『竜の仮面の魔導士』は右手を振りながら、踵を返した。
待って欲しい、というドミニクの叫びなど聞こえていないように、魔導士は出口へと向って行く。
「人が下手に出ていりゃあ、良い気になりやがって!!」
ドミニクは激高し、背後から『竜の仮面の魔導士』に殴りかかった――が。
パチン。
指を鳴らす音がしたかと思うと、ドミニクは後ろの壁に吹き飛ばされた。
「がっ!?」
そのまま強か、背を壁に打ち付けられる。いったい、魔導士が何をしたのかドミニクは理解できていなかった。
魔法だろうか。でも、呪文を詠唱している様子もなかったのに……まさか、無詠唱でこんなことを?
混乱する頭で彼が必死に考えていると、『竜の仮面の魔導士』は振り返る。
「次はないよ」
その仮面の下から覗く視線の冷たさに、ドミニクは震えあがった。




