第19話 浮気疑惑
配偶者や恋人の浮気。
当事者たちにとっては大問題だろうが、よく聞く話である。
そして、夫どころか恋人すらいない私には縁のない話だと思っていたのだが……。
「ジャンヌ!」
私の名を呼びながら幼馴染のアニーが店に駆け込んできたとき、私はちょうどレオンの応対をしているところだった。
彼はいつものごとく、私の仕事の邪魔をしにやって来たのだ。
私とレオンはアニーの方を振り向き、それからギョッとする。彼女がボロボロと大粒の涙を流し、号泣していたからだ。
私は慌てた。感情豊かなアニーだが、こんな風に取り乱すのは珍しい。
「ちょっと、アニー。落ち着いて」
「デニスが……デニスがぁ」
デニスと言うのはアニーの夫だ。
二人は誰が見ても仲の良いおしどり夫婦である。
「デニスがどうかしたの?」
私が尋ねると、アニーの口から衝撃的な言葉が飛び出してきた。
「デニスが浮気しているの!!」
*
アニーの動揺がひどかったので、私は母に店番を頼み、店の奥の部屋でアニーの話を聞くことにした。
レオンは「込み入った話になりそうだから」と帰ろうとしたが、驚いたことにアニーがそれを止めた。
何でも、男性の意見が欲しいとのこと。
それで結局、私とレオンは二人でアニーの相談を受けることになった。
アニーの相談は、夫のデニスがどうやら浮気しているようだ――という話である。彼女はその経緯を説明し始めた。
「ちょっと前に職人ギルドの会合があったの。いつもは義父が参加するんだけれど、都合がつかなくて。代わりにデニスが参加したわ」
アニーの嫁ぎ先は製靴店だ。義父が靴職人で、息子のデニスは父親の下で修業している。
「デニスは夜遅くに酔っぱらって帰ってきたの」
「まぁ。会合の後、付き合いで飲みに行ったりするんじゃない?」
「そのときは私もそう思ったわ。でも……」
問題が起こったのは、それから数日後のことらしい。
アニーがデニスと繁華街を歩いていると、見たこともない女に話しかけられたのだ。
「すっっっごく派手な化粧と服装の女だったわ。露出の高いドレスを着ていて」
その女がいきなりデニスの腕を取って、こう言い放ったのだと言う。
――この前はすごく楽しかった♪また、お店に来てくださいねっ!
「それから、その女どうしたと思う?私を見て、鼻で笑ったの。まるで勝ち誇ったようにね」
当然、アニーはデニスを問い詰めた。
そして彼が白状したのは、会合後に職人仲間に連れられて行ったのは単なる酒場ではなく、そういう目的の店だったと。
いわゆる『娼館』だ。
アニーの話から察するに、娼婦は給仕として酒場で働きつつ、客に気に入られれば性的奉仕もする――この国では特に珍しくもないタイプの娼館のようだ。
そして、デニスに話しかけてきた女は、彼が行った娼館で働く娼婦だった。
「デニスは酒場しか利用してないって言っていたわ。神に誓って、それ以上のことはしていないって。でも、そんなこと信じられる?」
そこでアニーはレオンの方に顔を向けた。
「だって、男の人がそういうお店に行くのってそういう目的があるからでしょう?それが酒場だけで本番はナシとか――そんなことってあり得ますか!?」
答えにくい質問に、レオンはたじろぐ。
「それはちょっと……俺には分からないぞ。そもそも、娼館なんて行ったことがない」
「ジャンヌの前で、言いにくいことは分かりますが……」
「本当に行ったことはない!誘われても全部断っている!!」
レオンは必死に声を上げる。そして彼が見つめる相手はアニーではなく、なぜか私だ。
いや……。
別にレオンが娼館に通おうが、どうしようが、私には関係ないのだが……。
「これは個人的な意見だが、浮気するヤツはするし、浮気しないヤツはしないと思う!」
「でも、男の人ってチャンスがあれば、あわよくば……って思う――なんてよく聞くし」
「俺はない!」
いや、だからこちらを見られても……。
そんな「浮気しない」宣言を私にされても、困るのだが……。
アニーはハァとため息を吐き、今度は私の方に顔を向けた。
「ねぇ、ジャンヌ。自白剤ってあるかしら」
「えっ、どうして?誰かを拷問でもするの?」
「しないわよ!デニスにそれで本当のことをしゃべってもらうの」
自白剤――つまり、相手に本当のことを喋らせる魔法薬か。
王立裁判所には『真実の証言台』という、証言者が真実を言っているかどうか判別できる魔道具があるらしいが……。
「残念ながら、そんなの店にはないよ」
私が首を横に振ると、追加のため息がアニーの口から漏れた。
正直なところ、今日のアニーはちょっと様子が変だ。
いくら夫の浮気疑惑が持ち上がったとは言え、いつもより情緒不安定すぎる。
私はアニーを心配しつつ、彼女をなだめるように言った。
「アニー。そりゃ私も浮気には否定的だし、そんな下半身に脳みそがあるような輩は人間じゃないとも思うけれど……」
「……すごいこと言うわね」
「ただ、娼館の話。アレ、デニスの言っていることは丸きり嘘じゃないと思うよ。娼婦とお酒だけ楽しんで、そのまま帰る客もいると聞くし」
「どうしてジャンヌがそんなこと知っているんだ?まさか……っ!?」
何を考えたのか、ひとりで勝手に青ざめているレオンを私は無視する。
ちなみに、娼館について少し知識がある理由は、私がそこに商品を納品しているからだ。
「それに街で声を掛けてきた女性の反応から考えて、デニスは彼女と何もなかったんじゃないかな?」
「どうしてそんなことが分かるの?」
「だって、娼婦にとっては客がこれからもやって来て、自分にお金を落としてくれるのが理想でしょう?それなのに、客の都合に悪いこと――今回の場合だと、妻への暴露だけれど――わざわざやったら?そんな面倒な娼婦を買いたがる客がいると思う?」
「……確かに」
少し冷静になったのか、アニーは考え込む。
私は話を続けた。
「おそらく、今回のは嫌がらせじゃないかな。例えば、その女性が猛アピールしたのにデニスがなびかなかったとか、ね」
「うん……」
「もちろん、何が本当かは分からないよ。でも、アニー。あなたの知っているデニスは、平然と嘘を吐ける人なの?」
「……ちがう」
しばらく戸惑った後、キッパリとアニーは答えた。
「そうね……。私、デニスのこと信じるわ」
*
店じまいをしながら、私は昼間のアニーの様子を思い返していた。
最後にはデニスを信じると言っていたし、少し落ち着きを取り戻してはいたが、どう考えても今日の彼女は変だった。
なにか、他に心配事でもあるのだろうか。もしくは、体調が思わしくないとか――?
余談だが、レオンは再度「俺は絶対に浮気はしないぞ」と宣言をして帰っていった。
私にそんなことを言っても無駄だと言うのに……そう呆れていると、店の扉が開いた。店の扉にはすでに閉店の札を出していたのだが、見落としたのだろうか。
「すみません。本日はもう閉店で……って、デニスさん」
驚いたことに、そこに立っていたのは噂のアニーの夫だった。
「閉店後にすみません。妻の好きな魔法薬……確か化粧水?ソレをプレゼント用に包んでくれませんか?」
「プレゼントですか?」
「実は、妻とケンカしてしまいまして。その仲直りの印に……」
ほとほと困ったという顔でデニスが言う。
ふと思いついて、私は彼にかまをかけてみた。
「ケンカのお詫びのプレゼント……もしかしてデニスさん。浮気でもしましたか?」
私の質問に、デニスはふるふると必死に首を横に振った。
「断じて浮気なんてしてませんっ!僕はアニー一筋なんです!!でも僕の行動のせいで妻に誤解されてしまって……はぁ」
デニスのため息は沈痛で重い。
この様子なら、おそらくデニスは嘘を吐いていないだろう。元々、彼ら夫婦は本当に仲が良いのだ。
「プレゼントよりも、もう一度しっかり話し合ってはどうですか?」
「話し合いですか?」
「実は昼間、少しアニーと話したのですが、いつもと様子が違いました。何と言うか、情緒不安定というか」
「確かに……。思い返せば、ケンカする前からアニーは少し変だったかもしれません。感情の起伏が激しいような……」
デニスには思い当たることがあるようだった。
「体調の方はどうでしたか?」
「そう言えば、いつもより食欲がなかったかも……」
「もしかしたら、情緒不安は体調の悪さが原因なのかも。大げさかもしれませんが、一度医者に診てもらったらどうでしょうか?」
「確かに。アニーが病気だったら大変だ。そうですね。そうしてみます」
さて、数日後。
アニーが情緒不安定だった理由が判明した。
この日、店にやって来たアニーは輝かしいばかりの笑顔だった。彼女は嬉しくてたまらないという様子で言う。
「ジャンヌ!私、赤ちゃんができたの!」




