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第110話 昔話(後編)

「サミュエル、マルグリット」


 小さく声がして、気付くとそこにルイーズがいた。


 最初、サミュエルはそれが本物の彼女だと思わなかった。

 彼女を思うあまり、己は幻覚が見えるようになったのではないか――そう考えたのだ。それはマルグリットも同じようで、ポカンとした表情をしていた。


 そんな双子をルイーズは抱きしめる。彼女の頬は涙で濡れていた。

 されるままに抱かれながら、双子たちは実感する。

 ルイーズの温かさ、そして鼻腔をくすぐる薬草の匂い。


 本物だ――やっとサミュエルとマルグリットは確信した。



「こんな所に閉じ込められて…なんて酷い。よく耐えたね」

「うっく……ルイーズ…」

「うわぁあん」


 サミュエルとマルグリットの目から大粒の涙がこぼれる。彼らは顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。

 そんな二人の涙や鼻水を、ルイーズはハンカチでぬぐってやる。


「私、あなたたちを助けに来たの」




 ある日、突然いなくなった双子たちをルイーズはずっと探し続けていた。

 おそらく、屋敷の主人であるクローヴィス本家の当主がこの件に噛んでいるだろうと睨んだルイーズは、彼について調べ始める。


 そして、当主が出資している狂竜病対策の研究所に竜人の双子がいることを突き止めた。双子たちは、狂竜病治療薬開発のための実験体(モルモット)になっていると。


 ルイーズは研究所の雑用係として潜り込んだ。

 この施設では狂竜病のサンプルを扱うため、竜人は怖がって働きたがらない。常時、人手不足だった研究所側は、すんなりルイーズを雇い入れた。


 それから、ルイーズは地道に研究所について調べ上げ、ついに双子たちを救出する計画を実行に移したのである。



 ルイーズが自分たちを単身で救出に来たと知って、サミュエルは「なんて無茶を…」と呆然とした。

 一つ間違えれば、ルイーズもただじゃ済まされない。


「だって、約束したでしょう?」

「約束……」

「皆で逃げるって」


 そう言って、ルイーズはいたずらっぽく微笑んだ。



 ルイーズに連れられて、サミュエルとマルグリットは地下研究所からの脱出を試みた。

 三人は無機質な廊下を小走りに進む。

 施設内は通路が複雑に入り組んでいて、ともすれば迷ってしまいそうだったが、ルイーズの足取りに迷いはなかった。彼女はこの救出に際して、念入りに研究所や周囲の環境について下調べをしていたのだ。


 途中、通路には眠りこけた竜人が数人転がっていて、双子たちは驚く。


「ルイーズがやったの?」


 マルグリットが尋ねると、「ふふ」とルイーズは笑った。


「眠気を誘うお香を焚いただけよ。まさか、こんなに上手くいくなんてね」


 ルイーズは双子を先導しながら、これからの計画について双子たちに話した。


「この研究所は地底湖の近くにあるの。地底湖から続く洞窟は迷路のようになっていて、そこへ逃げこめば、追手も簡単に私たちを見つけることができないわ。ちなみに、洞窟を流れる川はラグレー湖にまで繋がっているの」


 そういうわけで、サミュエルたちはその地底湖付近の洞窟を目指していた。

 ルイーズによれば、非常用出口からそこへ出られるらしい。

 

 サミュエルは遅れないよう、ルイーズの背中を追いながら妹に話しかけた。


「ねぇ、マルグリット」

「なに、サミュエル」

「僕たち本当に逃げられるかもしれない」

「当り前よ。だってボクたちにはルイーズがいるんだもの」

「……うん!」




 長い通路を進むうち、三人の耳に水音が聞こえてきた。おそらく、洞窟を流れているという地底の川だろう。

 出口が近いことを知って、彼らの顔にふと安堵の表情が浮かんだ。



 そのときだ。



「いたぞ!侵入者だっ!ガキたちも一緒だ!」


 男の大声が辺りに響き渡った。それと共に、複数人の足音が聞こえてくる。追手がこちらにやって来ているのだ。


 ルイーズがチッと舌打ちをした。


「急ぎましょう。早く洞窟に逃げ込まなければ」


 ルイーズと双子たちはひた走る。

 そして彼らは、とうとう非常用出口を見つけ、そこから脱出した。



 扉の先にあったのは、地下に広がる大空間だった。

 岩壁には無数の穴が開いていて、細い通路が伸びている。まさに、天然の迷路だ。ルイーズの言うように、そこへ逃げ込めば、追手も簡単には見つけられないだろう。


 ただし、一つ問題があった。


「これじゃあ、渡れないわ!」


 マルグリットが悲鳴を上げる。

 研究所と目指すべき洞窟空間の間には、ごうごうと流れる地下水の川があった。川幅は広く、人が飛び越えられそうな距離ではない。


「大丈夫よ。少し行ったところに渡れるポイントがあるの。そこまで走って行けば……」


 そうルイーズが言ったところで、背後の非常用出口の扉が乱暴に開いた。

 振り返れば、そこに数人の竜人たちの姿がある。ついに、追手がここまで迫って来たのだ。


 ルイーズと双子の顔に、絶望の色が浮かぶ。


「ガキどもを捕らえろ!少々のことでは死なんから、とにかく動きを封じろっ!絶対に確保するんだっ!」


 一人の竜人がそう吠えたと思ったら、何かがサミュエルとマルグリット目掛けて飛んできた。

 ヒュンヒュンと空気を切る音がする。

 それは風でできた刃で、まさに双子たちを斬りつけようと襲い掛かってきた。


 次の瞬間にくる衝撃と痛みが頭をよぎって、双子たちは目を閉じる。

 しかし――。


「――っ!?」


 声にならない悲鳴を上げたのは、サミュエルでもマルグリットでもなかった。

 いつの間にか、ルイーズが二人を守るように覆いかぶさっていたのである。

 風魔法で斬りつけられた彼女の背中からは、どくどくと赤い血が流れ出ていた。


 かふっ。

 息を吐いたかと思うと、ルイーズは吐血した。


「ルイーズ!」

「いやあぁぁぁっ!」


 悲鳴を上げるサミュエルとマルグリット。

 そんな双子たちを見て、ルイーズは微笑んだ。血に塗れた唇で、彼女はこう口にする。


「生きて」


 それからルイーズは双子たちの体をトンと押し出した。

 彼らの体は、ごうごうと音を立てる川の中へと吸い込まれていく。

 追手の竜人たちが焦りだすが、もう間に合わない。

 サミュエルとマルグリットはそのまま川に流されていった。



 こうして、双子たちはルイーズと別れた。

 その後、彼らが彼女に会うことは二度となかった。




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