第105話 馬車にて
準備期間を終えて、私とレオンはオルレアの街を発った。
目指すはメロヴィング地方、クローヴィス侯爵家のルーツがある土地だ。
メロヴィング地方は領内の南端、オルレアの街からは馬車で半日の距離だ。
当初、私は乗り合いの馬車で目的地まで行くつもりだったが、レオンが馬車を手配してくれると言うので甘えることにした。
だが……。
「……何ですか、コレ」
目の前の豪奢な二頭立ての箱馬車を見て、思わず私はうめいた。
黒を基調とした車体には金の装飾が施されると共に、クローヴィス侯爵家を表す竜の紋章が描かれている。
「何って、馬車だが?」
不思議そうに首をかしげるレオン。
どう見ても侯爵家所有の馬車で、平民の私が乗るには不相応な代物だが、レオンはまったく気にしていないようだ。これが一番乗り心地良いんだぞ――なんて言っている。
尋ねてみれば、領主の許可はきちんと取って馬車を借りてきたらしい。
恐縮している私をよそに、御者が私の荷物を馬車に積んでしまう。ちなみに同行者はこの御者だけで、他に護衛の人間などはいないようだ。
クローヴィス侯爵領は他領に比べて治安は良いが、道中盗賊や魔物が出ないとも限らない。護衛役がいないというのは異例だろう。
もっとも、その理由は簡単に想像できた。私はちらりと横にいるレオンを見る。
――この人がいれば、たいていの相手はどうにでもなってしまうからなぁ。
存在自体が非現実的。そんな強さを誇るレオンだ。
彼を見ていると、本当に伝説上の存在である竜人の先祖返りなのでは――?そう、思ってしまう。
「ほら、ジャンヌ。行こう」
馬車へエスコートしようと、レオンはこちらに手を差し伸べる。
私は少しためらった後、その手をとった。
*
レオンが言うだけあって、馬車の乗り心地は良かった。サスペンションが装備されているのだろう、揺れが少ない。
おかげで考え事がはかどった。
私が考えているのは、竜の仮面の魔導士――マルグリットのことだ。
彼女がどうしてクローヴィス侯爵家やレオンを恨むのか、その理由を探るための今回の旅である。
マルグリットがクローヴィス侯爵家を恨んでいるのは本当だろう。
一方で、私はこう思う。
恨みには違いないが、それにしてはまどろっこしい……と。
マルグリットがオルレアの街でしたことを振り返った。
彼女は悪意を抱いている者や欲深い者を唆し、必要な物を与え、そっとその犯行を後押しする。そうして、様々な騒動を街にもたらしてきた。
しかし、マルグリット自身が直接手を下したことはほとんどない。この点が私には疑問だった。
本当にクローヴィス侯爵家が憎くて仕方なく、その支配下のオルレアの街に報復したいのなら、こんな回りくどい方法をとる必要もないだろう。
マルグリット自らが本気で暴れ回れば、オルレアの被害は甚大だ。少なくとも、彼女にはそれだけの実力がある。
本気になれば街一つ滅ぼせるかもしれない。けれども、それはしない。
まるで、子供が嫌いな相手にイタズラをして面白がっているような感覚――そんな風にも見える。
……と、考えていたところで私は視線に気づく。
その主は、対面に座っているレオンだ。彼はこちらをジッと睨んでいた。
「どうかしましたか?」
「……別に何でもないぞ」
何でもなくはなさそうに、レオンは口を尖らせる。
どう見ても不機嫌な彼だが、私にはその理由が分からない。だから、私は内心肩をすくめつつ、またマルグリットの件について思考を巡らせていたのだが……。
「君は本当に、俺のことを好きなのか?」
そんなことをレオンが言いだして、私は困惑した。
「どういう意味ですか?」
「だって、二人っきりの旅行なのに。君は一人で考え事ばかりしているし」
「えっと…?」
「これじゃあ、浮かれていた俺がバカみたいだぞ」
「……」
拗ねたような表情のレオン。
それを見て、私が思ったのは……
――なんだ。この可愛い生き物は。
そもそも、この旅の目的はマルグリットやクローヴィス侯爵家について調べること。
例えば、母の言ったような婚前旅行とは違う。決して違う。そんな浮ついたものではない。
だから、私の行動はおかしなものではないはずだ。
よって、レオンの非難は間違っている。間違っていると思うのだが……
――なんだ。この可愛い生き物は。
こんな風に思ってしまう己がいる。
飼い主に構ってもらえず、拗ねている大型犬を彷彿とさせるレオン。
侯爵家の子息を犬に例えるなんて不敬に他ならないが、どうしてもそう見えてしまうのだ。垂れた耳と尻尾の幻覚まで見えてきそうである。
――最近の私はどうにかしている。
そう思って額に手をやったとき、馬車が大きく前後に揺れた。
席から投げ出されて、前のめりになる私の身体をレオンが受け止めてくれる。
「ジャンヌ、大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「……」
「……」
私のすぐ近くにレオンの顔がある。
図らずしも、私はレオンと見つめ合う形になった。
レオンの琥珀色の瞳から目が外せず、思わず私が見入っていると、彼の顔がどんどん近づいてくる。
私はデジャブを覚えた。こういうことは前にもあった。
口づけしようとするレオンの顔を、私は問答無用で両手で押しのける。
「だから!ダメですって」
「……」
すると、レオンはムッとした表情をした。非難の目をこちらに向けてくる。
しかし、マルグリットの件がある以上、私も退くわけにはいかない。それで、ジリジリとレオンと睨みあっていたとき、何かがぬるりと手のひらを這った。
「ひゃっ!?」
思わず、甲高い声が私の口から洩れる。
ぞわりとした感覚が身体を駆け抜けた。何が何だか分からない私だったが、一拍遅れて状況を理解する。
私はレオンのキスを阻止するために、彼の顔を両手で押しのけているのだが、その手のひらをレオンが舐めているのだ。
「ちょっ…」
この変態がぁ――と、叫び出したいところだが、背筋がぞわぞわして仕方ない。私は堪らず、両手をレオンから離した。
レオンは自身の唾液で濡れた私の手に、自分の手を絡め、もう片方の手を私の後頭部にやる。そのまま頭を掴まれて、強制的に私の顔はレオンの方に向けられることになった。
恐々といった様子で、レオンの唇が私のものに触れる。まるで、壊れ物に触れるみたいだ。
その優しい口づけに、私は毒気が抜かれてしまった。
過去に二度ほど、レオンからキスされたことがあるが、そのときとは雲泥の差である。
だが、これは罠だったのかもしれない。
最初はソフトだったのに、口づけはどんどん深くなっていった。
流されてはいけない……そう思いつつも、私は恍惚とされるままになっている。
って……おい。
――恍惚ってなんだ!?何をうっとりと、キスを受け入れている?
自らの異常さを自覚し、私は覚醒した。
このまま流されるわけにはいけない、そう思ってレオンから体を離し、そして……
ゴチン。
思いっきりレオンに頭突きした。
けん制のつもりだったのだが……
「――っ!?」
私は声にはならない悲鳴を上げる。痛い。めちゃくちゃ、痛い。
レオンに頭突きをかましたところ、その痛みに私は涙目になった。そのまま額を抱えて、うずくまる。
この石頭……と、自分で仕掛けておいて、私はレオンを呪った。
「ジャンヌ!?大丈夫か?」
一方のレオンは、何のダメージもないようだった。
私の渾身の頭突きなどなかったように、彼は痛がるそぶりを見せない。それどころか、私を心配してくれている始末だ。
――何をやっているんだ、私……。
自分自身の間抜けさに、私はため息を吐いた。
*
竜の仮面の魔導士の一件があるから、レオンとしてもずっと我慢してきた。
けれども、愛しい人と密室で二人きり。しかも両想いときている。
そこに、ジャンヌと密着してしまうアクシデント。
キスくらいなら良いのではないか、とレオンは魔が差した。
実際、キスなんて十代の子供同士でもやっている。そんな風に己を正当化する。
さて、その口づけは、ジャンヌの頭突きにより中断されたわけだが、そのことにレオンは内心安堵していた。
――あ、危なかったぞ……。
レオンがジャンヌにキスしたときの、彼女の反応といったら……。
赤く染まっと目元と、潤んだ瞳。くぐもって聞こえる小さな声。
その煽情的なジャンヌの姿に、レオンはそのまま彼女を押し倒しそうになった。それに耐えた自らの理性を、彼は自画自賛する。
しかし、ジャンヌの頭突きがあと少し遅かったら、自分は何をしでかしていたか分からなかった。
レオンは思う。
これはある意味で、ジャンヌに片想いしていた時よりもキツい。
互いに想い合っているのに手が出せないとか、生殺しじゃないか……と。




