97まったくの杞憂
岸優士と御影在処は基本的にソリが合わない。敵対組織の長同士なのだから当然だろう、と思われるかもしれないが、それは順番が逆である。敵対しているから馬が合わないのではなく、馬が合わないからそれぞれ敵対する組織を設立するに至ったのだ。
遺産を巡る諸問題のそもそもの発端はこの二人である、というのは別に秘密のことではなく、組織の人間なら割とみんな知っていることだ。遺産を封じた目録をこの二人が見つけ、その取扱いについて意見が真っ向から割れたため喧嘩別れし、そのどさくさで遺産が散逸し、相手に渡すまいと躍起になって遺産を集め出した。
岸は「遺産を個人のために使うべきではないので漏れなく回収すべき」派であり、在処は「せっかくあるんだから便利に使っちゃえ」派である。岸は遺産を誰にも使わせないために回収を急ぎ、在処は自由に使うために回収に励んでいる。考え方は正反対なので、二つの組織が休戦するというのは、やはり一筋縄ではいかないのである。
この話し合いの結果によっては、大げさに言ってしまえば桐子の将来が左右される。彼女にいろいろと借りを作ってしまった万里としては、できれば話が円満にまとまってほしいところだ。在処が上手いこと岸を丸め込んでくれることに期待し、この場においては単なる下っ端に過ぎない万里は、流石に口を挟めないので、壁に凭れて黙って会談の行く末を見守る。
開始早々にしょうもない言い争いとなり、危うく何の進展もないまま岸が帰り支度を始めそうになったが、騎士団の部下が「まあまあ」と宥め、今にも岸に掴みかかりそうになっていた在処の方は白鷺が「まあまあ」と宥め。二人が再び席に着いて、話が一歩進む。
「拮抗した勢力である救済社と騎士団が手を組めば、つまらない小競り合いで疲弊しているうちに他のおかしな連中に漁夫の利を持っていかれることもなくなるし、たいていの連中には後れを取ることもなくなり、遺産の回収効率が飛躍的に伸びると考えているわ。悪くない話でしょう」
在処はテーブルに頬杖をついて、休戦を申し出ている奴の態度とは思えないぶすくれた調子で言った。即座に岸が鼻を鳴らす。
「お前はそもそも、私たちがなぜ別の組織を立ち上げたか忘れたのか。私とお前は考え方が違う。それとも、お前は宗旨替えする気になったのか?」
「宗旨替えをするのはそちらよ。私は以前と変わらず、遺産は使うべきだと思っている」
「話にならないな。私は使うべきではないと考えている。平行線だ」
「そうかしら? だったらなぜ、騎士団は遺産を破壊しないのかしら」
口八丁手八丁の在処が、ほんのり愉快そうな笑みを浮かべて、岸を丸め込むために攻めの一手に出た。
「遺産を悪用させない、表世界の平穏を守る。ただそれだけのためなら、破壊庁のように遺産を壊してしまうのが確実ではなくて? 使わせる気のない物を、壊しもせずにコストをかけて保管するというのはおかしいでしょう」
「遺産を保管するのは調査研究のためだ」
「わざわざ調べるということは、遺産の価値を認めているということね。将来的には使うつもりだから壊さないでいるのでしょう。結局のところ、あなたも『使う派』なのよ」
在処の言うことは的を射ている。すぐには反論が思いつかないのか、岸は眉間に皺を寄せて、今にも壊してしまいそうなほどの力で湯呑を握りしめている。その様子を桐子が心配そうに見つめている。会談の行く末を心配しているようにも見えるが、おそらく今一番に考えているのは「その湯呑は備品だから壊さないでほしいんだけど」といったところだろう。
やがて一生分の皺を額に刻み付けたのではなかろうかというくらい不機嫌そうな顔の岸が、地を這うような声で言う。
「遺産には価値がある、壊すのは惜しい、それは認めよう。だが、だからといって、私は遺産を軽々に使うべきではないと考える、それは変わらない。現代の我々は、遺産を使うには欲に塗れすぎている。使うとすれば、先の世代の人間だろう」
「人間が欲望塗れなのはいつの時代も変わらないわ、先の時代になったってそれは同じ」
「だから今使うことを認めろと?」
「恣意的な運用が気に入らないのなら、だからこそ私たちは手を組むべきよ。遺産を管理する側の人間は多ければ多いほど、個人の暴走を止めることができる」
「互いに監視する、ということか」
「その通り。そしてこちらには、『女王』がいなくとも遺産を管理することのできる技術がある」
在処の口から「女王」という単語が出た瞬間、岸が再び桐子を睨んだ。「そこまでバラしたのか」と言いたげな視線に気まずくなったのか、桐子が岸から目を逸らしてそそくさと万里の隣に避難してきた。
「君、口の軽い奴だと思われたね、絶対」
「団長に目をつけられた……さよなら私の出世の道」
まあ、女王候補にされた時点で出世も何もないのだろうが。
万里が桐子の弱気な泣き言を聞き流しているうちに、在処は更に畳みかけていた。
「こちらとしては、現在そちらが擁立している女王の死後は、お互いが持っている目録のページを合わせることで、多くの遺産を安全に封じる、そして、封じきれない分は私たちの技術で管理することを提案するわ。無論、その監視にはそちらから好きなだけ信用できる人間を出していただいて結構」
「お前の言い分は解った。だが、簡単には頷けない話だ。まず、二点ほど物申したいところだ」
まず一つ、と岸は指を一本立てる。
「お前の話を信用できる根拠がない。上手く言いくるめて、我々の遺産を奪って終わり、ではないと証明できるか?」
「できないわね」
在処は笑顔できっぱり言い切った。
「こればかりは、信用してもらうしかないわ」
信用するかしないか、それには答えず、岸は中指を立てる。
「二つ目、そのような嘘か本当か解らない怪しい話に乗ってまで休戦するメリットがこちらにはない。現状我々は、女王による管理に問題を感じていない。つまり、現状維持で構わない」
「現状維持、ねえ。無論、うちだって完全無欠の方策というわけではないけれど、そちらの超絶問題だらけの制度よりはずっとマシなのに」
「問題だらけだと?」
「ええ、とりあえず三つほど言わせてもらおうかしら」
在処はしっしとハエを払うような仕草で手を振って岸に指を下ろさせ、代わりに今度は自分が指を立てていく。
「一つ、女王計画は女王の体質を持つ希少な人間が偶然出現することに頼った、実に不安定な制度よ。とりあえず次の女王は候補がいるようだけれど、この先そんな特異な人間が必ず都合のいい時に現れるとは限らない。持続可能性という点で非常に心許ない」
岸はひとまず反論しない。おそらく彼も自覚はあったのだろう。今は桐子がいるからまあいいとしても、その次のことは考えていない。岸は問題を先延ばしにしているだけで根本的な解決策を見いだせていないと言ってもいい。
「二つ目は、女王と融合した遺産は任意に取り出せない、という点。いざ使いたいときに使えない、少なくとも代替わりの時期まで待たなければいけないというのが大問題」
「使うことを前提にしていなかったからな」
「けれど、うっかり未曽有の大災害でも起きて、遺産があればなんとかなるかもしれないってなったら、さしものあなたの宗旨替えしたくなるでしょ。そんなときに使えないなんて間抜けな話だわ。厄介事はいつ起きるとも解らない。いざ何かが起きた時に使えないのでは、あなたの言うところの『いずれ使うべきとき』なんて永遠に訪れないのと同義だわ。ああ勿論、あなたが『その時』にすぐさま女王を壊せるなら話は別だけど」
意地の悪いことを言う。金庫として使っておきながら、遺産を使いたくなったらそれを――女王を壊して遺産を取り出すなんて、できるはずがない。解っていて嫌味な言い方をするものだから、岸の方は今にもちゃぶ台をひっくり返しそうな顔をしている。
「それと最後に、人間という比較的奪取が容易なものを金庫扱いしているのが超問題。いくら厳重な鍵をかけた金庫でも、軽くて小さなものだったらどうなるかしら。泥棒は厳重なセキュリティを慌てて解く必要はない、金庫ごと持ち去ってしまって後でゆっくり開ければいいのだわ」
在処が決定的だとでも言わんばかりの強気な調子で言い切る。すると、それまで反論できずに苦しい状況だった岸が少しだけ余裕を取り戻したように言い返す。
「女王は、騎士団の拠点の最奥で厳重に守られている。信頼できる部下に護衛を任せてある。いわば遺産は二重の金庫で守られている状況だ。お前のいう問題点は、まったくの杞憂、心配するには値しないな」
まあ、女王を敵組織に奪取されれば致命的なのは誰でも解る。さすがに警備は固く、簡単に手出しできるわけがないわけで、岸が自信ありげに言うのももっともで、在処は鼻白む。
これで在処はカードを全て切ったことになる。今の話で岸を押し切れなければ休戦交渉は暗礁に乗り上げるわけだが、さてどうなるか――
万里が成り行きを見守っていると、岸の護衛でついてきた永倉が俄かに慌ただしげな気配を出した。
「団長、本部から連絡が」
永倉が岸に端末を差し出す。重要な会談中にもかかわらず本部から連絡が入るということは、のっぴきならない事態が起きたのかもしれない。岸は怪訝な顔で端末を受け取る。
そして、通話の相手と一言二言、言葉を交わすや、この世の終わりみたいな顔で呟く。
「今、何と言った……? 女王が誘拐されただと?」
その場の全員が凍り付いた。
女王は厳重に守られているため敵組織に奪取される心配はない――などと言ったそばから、これである。




