98余計な争いをしている場合では
「問題ない」と言ってるそばから「言わんこっちゃない」な事態になったことが判明し、桐子と万里は目を見合わせて、何とも言えない気まずい気分になった。かなりの緊急事態のはずだが、肝心の岸がフリーズしているせいで、「いたたまれない」とか「さっきの台詞ただのフラグだったじゃん」とかの感想しか出てこない。
ややあって岸は我に返り、八つ当たりに近い怒号で不毛な舌戦を開始した。
「貴様が縁起でもないことを言うから本当に誘拐されたではないか!」
「はぁ? 人のせいにしないでくれる? おたくのセキュリティがガバいのがいけないんでしょうが」
在処は心底馬鹿にしたような調子で応じる。これが完全なる火に油で、岸の苛立ちはますます煽られる。
「よもや貴様の配下の仕業ではないだろうな。私をこんなところへ誘い出して、その裏で、最初から女王を奪取する策略だったのではないか?」
「私がそんなコスい真似するわけないでしょう。あなた、性根が腐ってるからそういう発想になるのよね」
「そういう罵倒が脊髄反射で飛び出してくる貴様の方が根性が腐っているだろう」
「あなたって昔から性悪で人徳がなかったものねえ、だから部下に裏切られて誘拐なんかされるんじゃないの」
「部下が裏切ったと勝手に決めつけるな」
「そうでないならどうして誘拐なんか起きるのよ。警備がよほどガバガバか部下の忠誠がヌルいかのどっちかでなきゃ起きない事態じゃない」
「だから貴様の策謀に違いないと言っているんだ」
「どうせ組織の中にとっくにスパイでも紛れ込んでいたんでしょうよ」
「どこぞの間抜けな組織と一緒にするな」
「スパイ送り込んだ卑怯な張本人のくせに偉そうなことを言わないでほしいわ」
「そちらの部下が勝手に裏切ったんだ、貴様に人徳がないせいだろうが」
「それを言うならそっちだって人徳ないわよ、あのスパイはおたくのことも裏切る気だったんだからね」
仲が最悪に悪いというのは伊達ではないようで、岸と在処の応酬は終わる気配がない。罵り合いというのは傍で見ると醜いもので、時に万里としょうもない言い争いをすることのある桐子は、自分たちもこういう風に見られるとしたら相当拙いなと恥ずかしくなる。人の振り見て、という言葉はこういう時のためにあるのだとしみじみ思いながら、それはともかくとして、今はもっと生産的なことを考えなければと気持ちを切り替える。
すなわち、何者かに女王が拉致されたという緊急事態をどうするかということである。しばらくは相手をどう言い負かすかということしか頭になさそうなトップ二人だが、無理に止めるのは面倒だと解っているのか、周りの全員は二人を華麗にスルーして議論を先に進める。
「大量の遺産を取り込んだ人間が敵の手に落ちるなど、考えられる中で最悪中の最悪の展開だが、その女王とやらがすぐに異能を行使できる状態になるわけではないのだろう?」
岩のような体の男・白鷺文月は、緊急事態であっても岩のように動じず冷静に状況を整理する。敵組織の人間相手に話をするのは躊躇われたようだが、すぐにそれどころじゃないと判断したらしく、永倉は渋い顔で言う。
「女王の異能が行使される事態になりうる、と?」
「敵が何者かは知らんが、騎士団の中枢に手を出す時点でかなりの大勝負に打って出てきている。そうするだけの利点、手に入れた女王の異能を自由に行使できる何らかの算段があると考えて然るべきだ」
甘利静祢がそうだったように、「女王計画」のことを知れば、「女王一人を何とか手に入れてしまえば遺産を自由に使い放題ではないか」と順当に後ろ暗いことを考える奴が出てくるのは、当然と言えば当然だ。岸はそういう事態にならないよう、女王のことを信頼できる最低限の仲間にしか教えていなかったつもりだろうが、その中に残念ながら岸が思うほど清廉潔白ではない人間が交じっていたのか、あるいは他に何らかの事故が起きたのか。なんにせよ、情報は外に漏れ、敵はいよいよ行動を起こしてしまった。
このまま放置すれば、最終的にどういう事態になるかは、言うまでもない話で。
「敵が大量の異能を自由に扱えるようになれば、こちらには勝ち目がない。当然、そうなる前に解決するしかない。問題は、そうなるまでにどれだけの猶予があるかだが、それは凡そ如何ほどと見積もるべきか」
「……今までは薬物を投与して眠らせていた。投与が切れて意識が覚醒するまでに、ざっと三十分から一時間。更に異能力の行使が可能な程度まで意識がはっきりするには、もう少々かかるだろうが」
「つまり、女王が夢うつつのうちに奪還できれば、地獄絵図は避けられるということだ」
白鷺は、岸が頭に血が上っている状態では、次に交渉するとしたら永倉だと判断したようで、これまた頭に血が上っている状態の在処に代わって冷静に提案する。
「あまり時間に余裕はないようだ。ことこうなっては、女王をどちらが先に手に入れるかなどと争っている場合ではないわけだ。救済社は、騎士団が敵勢力から女王を奪還するのに協力するつもりだ」
「君たちは、今、いわばこちらの弱みとなる情報を握っている状況だ。自分たちだけで動いて、先に女王を手に入れるという選択肢もあるはずだが」
「元々、こちらは休戦を申し入れるつもりだった。女王の仕組みについては、社長が散々に問題点を述べたが、欠陥のある制度である女王を、騎士団と争って入手する必要はない。最終的には女王制度を廃することが社長の本意ゆえ、今は事態の悪化を防ぐため、万全の態勢で女王奪還に動くべきだと思うが、如何か」
「……だ、そうですよ、団長」
永倉に話を振られ、ようやく岸は不毛な言い争いをやめた。たっぷり三十秒は険しい顔で悩んでいた岸だが、やがて深く溜息をつくと、心底不本意そうな顔で早口で言った。
「ひとまず女王を取り戻すまで、だ。それまでは、余計な争いをしている場合ではなさそうだ」
一時休戦、ということで、まずは情報共有。
騎士団本部のビルの最上階の部屋で女王・夢咲希は眠らされていたが、その部屋を護衛していたのは遠間仁兵衛という男。遠間は異能者だが、その能力は騎士団の中では異色で、戦闘能力は皆無のものだという。
適合した遺産の名前は《神の密室》。使用者は認識したあらゆるものの施錠・解錠を自由に操作できる。簡単に言えば、どんな扉の鍵も開けられるし、閉められる。更に、この異能で閉じられた鍵は、異能でしか開くことができない。守るべきものを確実に守るために選ばれた異能は、それを狙うものを撃退する力ではなく、誰に狙われようとも絶対に扉を閉ざす完全防御の異能だったということだ。
夢咲の眠る部屋は遠間の異能によって施錠されていた。そして、遠間でなければ部屋の鍵を開けることはできなかった。
「何よ、やっぱり部下に裏切られたんじゃない」
在処が端的にまとめると岸はぎろりと鋭く睨んだ。
「状況の詳細はまだ確認中だ、遠間が裏切ったと決まったわけではない」
「ちなみにそれ、壁をすり抜けるタイプの遺産と競合したらどうなるわけ」
慎重を期すためか、万里が問う。岸は面白くなさそうに補足する。
「遠間の異能は容易くは破れない。適合率の低い保持者であるならばいざ知らず、遠間が異能で鍵を閉ざせば、その部屋ごと完全に閉ざされる。壁だろうが床だろうが天井だろうが破壊不能になる上に、壁のすり抜けや部屋の中に直接転移するような異能も受け付けなくなる。遠間によって閉ざされた部屋は決して侵入できない要塞となる」
「成程、異能相手に雑な突破方法は駄目ってことか」
「誰にも侵入できない部屋、けれど、遠間だけは自由に解錠可能だったわけね。駄目じゃない、中枢の防衛をたった一人に任せた上に裏切られちゃって」
在処が呆れたように言った瞬間、「だから裏切られたと決まってはいないだろうが」と岸がムキになって反駁した。
「希のことは最重要機密、漏洩防止のためには関わる人間は少ない方がいい。だから一番信用できる遠間に任せたのだ。あの男が裏切るはずがない」
「で、その遠間は今どこにいるの」
「……行方をくらませている」
言いにくい事実を苦々しい顔で暴露した岸を、在処は容赦なく失笑した。この状況で「部下が裏切るはずがない」と言い張るのは、なかなか苦しい。
「まあいいわ。敵の正体も規模も不明だけど、手始めにとっちめるべき奴は把握したわ。早速戻って仕事をしましょう。白鷺、車を回して」
「駐車場まで徒歩三十秒ですよ、歩いてください社長」
白鷺に冷たくあしらわれた在処は肩を落として部屋を出て行った。
「じゃ、私もたまには仕事するっすかね」
いつもは仕事をしていないかのような口ぶりの砂川は後に続いていった。
残されたのは、桐子と、騎士団のメンバーと、一人だけ敵陣営の万里。上司たちが出て行ったのにそれについていく気配のない万里に、桐子は首を傾げる。
「あなたは行かないの?」
休戦・協力して女王を奪還するとはいっても、手の内をお互いに解っている元々の仲間たちと一緒の方が動きやすいだろうに、救済社側にくっついていかないのだろうか。不思議に思って尋ねると、万里は首を横に振る。
「そもそも俺、よほどのことがない限りソロプレイ派だし、チームプレイする時は輝と琴美以外受け付けないし、先輩と一緒に行動とか息詰まるし」
真顔で協調性のないことを言われてしまった。悪の組織のメンバーにだって協調性と社交性が求められるのではなかったのか。
「俺のことより、問題は君だよね」
「どういう意味?」
意味深な呟きの意図を問うが、万里はそれには答えず、ただ桐子をじっと見つめている。何事かを考えているようで、腕組みなどして珍しく神妙な顔をしてみせる。あまり楽しいことは考えていなそうだ。
やがて万里は「んー、まあ、いいか」と勝手に納得した。桐子のほうは全然よくないので、万里を問いただそうとする。
「何か言いたいことがあるの?」
「いや、何でもない」
「いやいや、絶対何かあるでしょ」
「ないない。とりあえず、気をつけて。頑張れ」
万里は桐子の肩を叩いて、なんとなく含みのある謎の激励を寄越す。しつこく尋ねようとする桐子を完全に無視して、万里は一人でさっさと部屋を出て行った。騎士団の上司たちの方についていって詳しい状況を聞いておきたい桐子としては、万里を追いかけることもできず、結局、彼のよく解らない独り言についてはうやむやのままになってしまった。




