90ホワイト企業ですから
救済社の首領・御影在処は気怠げな溜息を零した。灰色の冷たい壁に囲まれた狭苦しい部屋に、あまり似つかわしくないふかふかの椅子を持ち込んでふんぞり返り、若干苛立っているのか、コツコツと肘掛けをしきりに爪の先で突いている。
彼女の前で跪かされているのは万里である。目が覚めてからずっと在処の鋭い視線に刺され続けているが、いったいどれくらい経っただろうか。時間の感覚はとっくに狂っている。そろそろつらくなってきた。苦痛を紛らわせるために唇を噛んでみるが、あまり意味はなかった。
「まったく……私を裏切るとはいい度胸ね、万里」
言いながら、在処が万里を上から下まで舐め回すような目で観察する。どこを痛めつければ一番効果的な拷問になるかを考えている視線だ。
その時、後ろで部屋の扉が開く音がして、重い足音が一つ、中に入ってきた。
「社長」
やってきたのが白鷺であると、万里は振り返らないまま声で判断する。
「予想通りでした。身体検査の際に見つかったUSBに、救済社の遺産の情報が」
「ふうん。成程、言い逃れしようのない証拠ね」
在処は愉快そうに笑う。
どうやら、スタンガンで気絶させられ、この尋問室に連れ込まれた万里は、隠し持っているものがないか余すところなく探られた末に、USBを発見されたようである。あからさまに怪しいUSBは、白鷺が調査した結果、おおかたの予想通り、救済社の機密情報が記録されていた。外に持ち出されたら大問題になる情報である。そんなものを持っていたら、自分が内通者であると白状しているも同然、動かしがたい物的証拠というわけだ。
とはいえ、当然、万里はそんなものに覚えがない。いつの間にか自分が持っていたことになっているUSBの話に、万里は呆然とする。いったいなぜ、そんなものが出てくるのか。内通者でないはずの自分が、なぜか本物の内通者であるかのように急転直下で外堀が埋められていく。どうしてこうなった。
しかし、それをゆっくり考察している余裕はなかった。
「じゃあ、証拠も出てきたことだし、いよいよ遠慮はいらないわけね。悪の秘密結社らしく、諸々の訊きたいことは体に訊くとしましょう……とても残念なことだけれど」
露骨にとってつけたようなことを言い、ちっとも残念そうではない明るい調子で在処がすっと立ち上がる。
逃げ出したいところだが、万里は両手に手錠をかけられているし、足も動かない。這いずっていくにしても、目の前には在処がいて、後ろには白鷺が控えている。どうせ外にも、夜中に不釣り合いなほど大勢のワーカホリックたちがいるに決まっている。逃げ場はなさそうだ。
「洗いざらい、白状してもらうわよ」
女傑は妖しく微笑み尋問開始を宣言した。
「――ッ、ぁ、よせ、在処! あっ、足、今足は駄目ッ! 痺れてっ、あっ、ああああ」
長時間にわたる正座でがっつり痺れた足を容赦なく突っつかれて万里はのたうち回った。忍耐力などというものはどこかに落としてきてしまったので、音を上げるのは早かった。
こうなってしまうと話をするどころではないのだが、在処は尋問というよりも単なる嫌がらせの如く人の足を執拗に虐めてくる。
「こんなものでは許さないわ。金輪際、私に隠し事などしないよう素直なイイ子になるまでお仕置きよ」
「今更いい子になんかなれるわけ……や、ごめんなさい、今のナシ、あッ、無理無理、もう無理助けて、ほんともう無理ぃぃいいい!」
「……社長、もうそれくらいにしてはいかがか。これでは話が先に進みません」
白鷺が呆れた調子で口を挟む。在処は面白くなさそうに頬を膨らませる。
「あら、これからが本番でしょう。いろいろ考えているのよ、全身擽りたおすとか、黒板を爪でひっかく音を延々聞かせるとか、小学校の卒業文集を目の前で朗読するとか」
「地味にえげつないことをするのはおやめください」
白鷺の冷静な判断により、在処の私怨に満ちた拷問の数々は日の目を見ることなく終了した。
既に息を切らして涙目になっている万里は、冷たい床に横たわったままぴくりとも動ける気がしない。会話に参加できる気もしないので、それを悟ったらしい在処が勝手に話を進める。
「まあいいわ。なぜこんなヌルいお仕置きで勘弁してあげたのか教えてあげる。万里を拘束した後、懐にいかにも怪しげなUSBを隠していたのが発見されたわ。もう中を見るまでもなく怪しいそれは、万里が間諜であるという物的証拠……と、言いたいところだけれど、そうではないわ。そんなあからさまなアイテムを、《奇術師の武器庫》の異能者がいともたやすく見つかるように持っているはずがない、《武器庫》に隠しておくのが一番ですもの」
白鷺が一つ頷いて在処の話の後を継ぐ。
「お前を拘束した時点ではそのまま尋問するつもりだったのだが、すぐにUSBが見つかったため話が変わった。念のため、中身のデータを確認したところ、案の定、救済社の遺産の情報という、解りやすく裏切者らしいデータが入っていた。これはますます、碓氷以外の人間が怪しい」
「けれど、万里が敵組織の異能者とこっそりよろしくやっていたのも事実らしいし、なんだか急に話がややこしくなっちゃって。さて、ここで出番となったのが、春に万里が持ち帰ってきた遺産、《機密文書》。対象者の秘密を暴く素敵な代物よ」
そういえばそんなものも手に入れていたっけ、と万里は若干朦朧としながらも回想する。桐子が手に入れたところをいつものように横から掻っ攫って獲得した遺産である。
「ただ、残念ながらこの遺産は暴く秘密を選べず、秘密にしていることは端から端まで暴き立ててしまうの。構成員全員、片っ端から秘密を暴いていって大量のページを読み込むなんて、面倒く……プライバシーの侵害だからやりたくなかったの」
今明らかに、面倒くさいと言おうとしていた。三行以上の文章を読みたくなかっただけなのが明白である。とはいえ、救済社の大勢のメンバーを順番に《機密文書》で調べていくというのは、あまり現実的ではなかったというのも事実だ。この遺産の力は、内通者探しには不向きだったのだ。
しかし、答えを探すのには不適であっても、答え合わせをするのには向いているのが《機密文書》だ。
「内通者の存在が確実ではなかった時点では使用できなかった。けれど、特定の人物がシロかクロかを確かめるためには割かし使える能力なのよね、これ。そういうわけで、あなたが転寝している間に全部暴かせてもらったわ。その結果、暴かれた秘密の中に敵組織への情報漏洩は含まれていなかった。万里は内通者ではなかったことが判明したわ。ああよかった、あなた口が堅そうだから、もし本当に内通者だったら急いでインテリアショップで各種椅子を調達しなければならないところだったもの」
その椅子というのは言葉の前に「電気」とか「水責め」とかが付く類のものだろうから、絶対にインテリアショップでは売っていないし、使われなくて本当に良かったとしか言いようがない。
それにしても、桐子から強引に奪っておいた遺産のおかげで疑いが晴れたというのだから、日頃の行いが悪くても幸運は降ってくるという皮肉な話である。
無論、ただの勘違いでした、ではこの話は終われない。敵に情報を流していたわけではないのだとしたら、一体全体、何のために騎士団の異能者とこっそり連絡先を交換し、仲間にその関係を隠していたのか、という話になる。そのあたりの事情を、《機密文書》により一から十まで知ることになった在処は興奮気味に要約する。
「つまり、敵組織の可愛い女の子といちゃつくためだけに同じクラスになったことを隠していたということね。敵同士、仲が悪いふりをしながら実のところは超仲良くしていたということ。ああ、組織の長たるこの私にこんな隠し事をして毎日毎日薔薇色の青春を送っていたなんて、言語道断よ」
要約にだいぶおかしな脚色が加わっている。
「別に、いちゃついては、いない」
「誤魔化しても無駄。あなたに可愛い彼女がいるということは、とっくに琴美から聞いていたのだからね。それがまさか騎士団の子だったとは、今の今まで夢にも思っていなかったけれど……」
息も絶え絶えになりながらかろうじて否定してみた万里だが、在処には一蹴されてしまった。というか、彼女などいないと散々言ったのを全く信用せず、その上内緒にしておくと言っていながら、さらっと在処に伝えていたのか、琴美は。
「情報を漏らしていたわけではないとはいえ、敵組織の人間と好き合うのはあまり感心しないな、碓氷」
「だから、別に彼女ではないですって、白鷺先輩」
「では、何故黙っていた」
「仕方がなかったんです……偶然クラスメイトになって、部活まで一緒になって……うっかり友達になっちゃったんですよ」
初めは、桐子を学校から排除してしまおうと考えた。向こうも同じように考えていた。しかし、それを実践するには思いのほか苦労することが解って、とりあえず休戦ということで手を打った。公私混同はしない。違う想いを抱えた敵同士であっても、貴重な高校生としての青春の時間を奪う必要はないはずだから。できることなら、何事もなかったふりをして卒業したかったところだが、万里が抱えた休戦協定という最大の秘密は、あっさり半年で露見することとなってしまった。
「社長、この後の始末はどうされますか」
白鷺に問われ、在処は心底面倒くさそうな顔をする。
「大事になってしまったから、少なくとも幹部たちには説明しないといけないわね。説明しにくいけれど」
「俺を処分しないのか、在処。こういうのは、甘くすると下から煩く言われると思うけど」
「情報は漏れていないし、彼女からも遺産は容赦なく横取りしてたみたいだから、まあいいんじゃないの。基本的に、うちは社員のプライベートにまでは口出ししないホワイト企業ですから。とはいえ、元通りに舟織一高に通わせられるかどうかは微妙だけれど」
要は、万里と桐子が最初に行きついた選択肢に立ち戻る必要があるわけだ。万里が消えるか、桐子が消えるか。流石に今までどおり同じ学校に通い続けるわけにはいかないだろう。
そうなれば、ぎりぎりの人数でやっていた弱小演劇部の未来も危うい。そう思ってから、こんな時まで部活のことを考えている自分がおかしくて、万里は小さく苦笑した。
「まあ、そのへんはおいおい考えるわ。今はあなたをどうするかなんて些末な問題にかかずらってる暇はないっていうか。真の内通者をどうやってボコボコにするかの方が重要っていうか」
さらりと在処から飛び出してきた言葉に、万里は目を見開いた。
「内通者の正体が解ったのか? というか、本当にいたのか、内通者」
「ええ。今回のことが起きるまで内通者の存在は不確かだったけれど、USBが出て来た時点で、あなたに罪を擦り付けようとした真犯人がいたことは確定した。そして、あなたにUSBを仕込むことができた人間は限られていた」
琴美に桐子の連絡先の入ったスマホを見つけられ、その話を砂川が聞きつけ、万里はすぐさま逃亡を図った。その後、各所から追手がやってきて、逃げ場を失い追い詰められ――そのどさくさでUSBを万里の懐に隠すことができた人間。それは、万里を真っ先に取り押さえた人間だ。
万里がその想像に辿り着くのを見計らったように、白鷺が告げた。
「あの時、一番最初に碓氷を拘束したのは甘利だった。内通者は甘利静祢だ」




