89信じてもらえないとは思いますが
その後の顛末。
名張に捕まっていた子供たちは無事に警察に保護された。遺産がどうの、人体実験がどうのという裏世界要素がこれでもかと詰め込まれた事案のため、その全容が解明されることはおそらくなく、真相の八割方は藪の中に埋もれていくものと思われる。警察には、真相究明はさておいて、彼らが次こそは遺産など関係のない本物の家族に迎えられるように尽力してもらえれば、というところだ。
元凶であった名張の会社は、半分くらいは万里の手によって、そしてもう半分くらいは行平のせいで、壊滅させられた。首謀者である名張も、破壊庁に身柄を押さえられた以上、先行きは暗く、万里にしてみれば将来安泰だ。
桐子の怪我は幸い軽傷であった。帰りの道中は随分と回復してきたようで、その証拠に口が回るようになっていた。最初のうちはしおらしかったのだが、おそらく自分の失態が今更ながらに悔しくなりそれを誤魔化したくなったのだろうが、次第に「もとはと言えば万里の教育が悪いから輝が危ない目に遭って結果自分がとばっちりを喰ったのだ」というようなことをオブラートに包んでねちっこく追及してくるようになった。万里が言い返せずに辟易したころ、大通りにでて運よくタクシーを捕まえられたので、問答無用で桐子を押し込んだ。
そして万里たちも無事に、救済社の拠点に帰投し、長い一日はようやく終わった。
――と思ったら、大間違いである。
これは終わりではなく、別の厄介事の始まりだ。すなわち、この時点で既に取り返しのつかない事態が進行しつつあったのだ。
救済社の拠点は、夜であってもまだまだメンバーが揃っている。仕事熱心なのか、家に帰りたくない事情があるのか、アパートなんかとっくに解約していつでも職場に泊まり込みなのか、事情は人それぞれだが、夜中まで明かりがびかびかに灯っている会社というのは、傍目にはただのブラック企業にしか見えない。ともあれ、そういうわけで救済社にはそこらじゅうに仲間たちがうろちょろしているので、へとへとになって帰ってきた万里たちは、しかし、自分たちがくたくたな姿はあまり人に見せられないので、目立たないようにひっそりと自分たちの事務スペースに引きこもる。
いかんせん、今回巻き込まれた事件は、仲間たちに説明しにくい要素が目白押しである。遺産を持ち出した上に敵に拉致された輝は当然ながら説教ものであるし、そこになぜか騎士団の異能者が一緒に巻き込まれているというのが意味不明だし、仲間に応援を求めるどころか三人だけでわざわざ桐子を助けるために敵本拠地に乗り込んでいったなどとは口が裂けても言えないわけだ。
負傷の理由を聞かれては答えに窮することが目に見えている。ならばそもそも負傷していることを知られないようにして何事もなかったかのように振舞うのが一番ラクだ。そういうわけで、万里たちはオフィスの隅っこの席に座ってこそこそと傷の手当てをすることになる。
「傷は男の勲章とかアレ嘘っぱちだからね、怪我しない人が一番偉いんだからね」
などと主張するのは琴美である。今回、無傷で帰還したのは彼女だけなので、万里も輝も何も言い返せない。琴美は輝の打撲各所にべたべた湿布を貼りながら機関銃の如く捲し立てる。
「だいたい輝ちゃんはいろいろ迂闊なんだよもう私がしっかりしてないとほんと駄目なんだから今後は勝手にうろちょろしないでそもそも、」
最初のうちはしゅんと反省した様子で大人しく聞いていた輝だが、琴美の説教がエスカレートしていくにつれて表情いっぱいに疲労が浮かぶようになった。輝が仮眠用のベッドで寝落ちるまでに時間はかからなかった。
輝が落ちた途端、琴美は万里の方をじとりと見つめてきた。次の説教のターゲットはよもや自分だろうかと、万里は微かにたじろぐ。
しかし、予想に反して、琴美はひとまず何も言ってこなかった。それを意外に思いながらも、今のうちにと、万里は自身の怪我の手当てを済ませ、あちこちぼろぼろになった服を着替える。
オフィスは急にシンと静かになった。いつも騒がしい輝が寝ていて、賑やかな琴美まで押し黙っているものだから、何となくふだんと違う雰囲気が漂い、万里は若干の居心地の悪さを覚えた。疲れ果てて寝ている輝はともかくとして、琴美まで急に静かになってしまったのは、らしくない。
ちらりと妹の顔を窺うと、どうにも、いつになく神妙な面持ちをしていることに気づく。言おうか言うまいか、何か悩んでいるような表情にも見える。
やがて、琴美はベッドの輝が呑気に寝息を立てているのを確認してから、意を決したように言う。
「お兄に訊きたいことがあるの」
鋭い視線は、誤魔化しを許さない迫力があった。
「たぶん、私の勘違いじゃないと思うから」
「何だ、訊きたいことって」
「騎士団の音速姫のこと。あの人が着てたのってお兄の高校の制服だよね」
「え」
「敵と同じ高校通ってるって、どういうこと?」
「――」
これは完全に――しくじった。
救済社の他の仲間には知らせずに、名張を制圧し、桐子を救出する。それ自体は成功だった。だが、想定外だったのは、囚われていた彼女が舟織一高の制服を着ていたことだ。
緊急事態だったため万里は桐子の格好までは意識していなかった。彼女が「敵にもかかわらず自分と同じ高校に通っていることが一目瞭然な制服」を着ていたのを、迂闊にもスルーしてしまったのだ。
女子の制服に疎い輝は全く気づかなかったようだが、琴美の方はそうはいかなかった。琴美は文化祭の時に高校に来てその目で見ている。誤魔化しようがない。
もはや同じ学校に通っていることは隠しようがない。まずい流れだと内心で焦りながらも、万里はどうにか琴美から向けられる疑惑を軌道修正できないかと、上手い言い訳をひねり出す。
「――ああ、それのことか。俺も、あいつが制服着てるのなんか初めて見て、驚いたんだよ。まさか同じ学校だなんてさ」
万里はさも自分も初めて知ったかのようなていを装う。舟織一高には千人近い生徒がいる。全校生徒の素性を把握している奴なんて某生徒会長以外にはいないだろうし、今まで気づかなかったというのも理論上あり得ない話ではない。入学初日から知ってて隠していたなんて爆弾をこんなところで爆発させるわけにはいかない。なんとしてでも、知らなかったふりで押し通すしかない。
「お兄も知らなかったの?」
琴美が呆れたような顔を見せる。どうやら演技は不自然ではなかったようで、疑われている様子はない。
「もう、しっかりしてよね!!」
「痛ったい!」
笑いながらバシンと力いっぱい肩を叩かれ万里は顔を顰める。琴美は安堵したような表情を見せている。上手く誤魔化せたかと、万里の方もひっそりと胸を撫で下ろす。
しかし、その一瞬の楽観を打ち砕くような一言が放たれる。
「――って、そんなわけないよね。お兄に限ってそんなの、ありえないでしょ」
今この状況においては全く嬉しくない信頼感を発揮して琴美が冷ややかに言う。はっとして琴美を凝視する。彼女は先刻見せた笑みなど綺麗さっぱり消し去っている。その瞬間、演技に騙されていたのは自分の方だったのだと悟った。
気づけば、琴美は右手にスマホを持っている。心臓がひやりとするような感覚。万里は咄嗟に懐に手をやるが、そこにしまってあったはずの端末がない。やはり、琴美が持っているのは万里のスマホだ。しかも、プライベートの方の。先刻肩を叩かれたとき、掏りとられていたのだ。
いよいよポーカーフェイスを気取っている余裕もなくなってきた。手が届く距離だ、強引に奪い返すことはできる。しかし、そんなことをすれば、端末の中に後ろ暗い情報があると自白するようなもの。
琴美はもはや確信を持っているようで、迷いなくスマホを操作する。ロックをかけてあったはずなのだが、当たり前のように開けている。人の部屋の鍵を勝手に開ける妹は、人のスマホのロックも勝手に突破する。万里は諦観交じりに溜息をついた。
やがてアドレス帳に行きついた琴美は厳しい表情で追及する。
「上原桐子……連絡先、入ってるね」
「……ああ。お互いの連絡先は、入学から二週間で交換した」
これ以上は隠し切れないと思い知り、万里は白状する。琴美は信じられないというように目を見開く。
「何の冗談なの、それ」
「冗談ならよかったんだけどな。本当のことだ」
「まさか、私に文化祭に来るなって言ったのもそのせい?」
「そうだ」
「どうしてそんな……みんなが知ったらなんて言うか」
「頼む、琴美。このことは他言しないでくれ。在処にも黙っていてほしい」
「そんなのできるわけ……」
「――できるわけないっすよ」
突然割って入った第三者の声に、万里ははっと立ち上がり後ろを振り返る。いつからそこにいたのだろう、事務室の入口のところには、砂川時香が立っていた。
間違いなく話を聞かれただろう。砂川はうっすらと嘲りに似た表情を浮かべている。
「たまたま通りかかったんすけどね……いつもさっさと仕事を終わらせて帰るチームのはずなのに、珍しく夜中まで電気がついていると思って立ち聞きさせてもらったっすよ。そこそこ優秀な後輩だと思ってたんすけどね。毎度毎度遺産取り逃してるのも、わざとだったんすね」
「そこまで取り逃してませんって、前にも言いましたよね、砂川先輩」
いつものように適当な調子で会話をしているが、万里は内心気が気でない。よりによって、ものすごく口が軽そうで、「他言無用」という言葉が辞書になさそうな相手に知られてしまった。
砂川がにこりと笑いながら言う。
「正直、甘利先輩の考えすぎだと思って話半分に聞いてたんすけど、まさか本当にいたんすね、内通者」
「信じてもらえないとは思いますが、一応言います。俺は内通者ではありません」
「うん、信じないっす」
そりゃそうだよな、と万里は嘆息する。
「いくら社長のお気に入りでも、こんな重大な造反行為は見逃せないっすね」
「できればちょっと言い訳を聞いてもらいたいんですけど」
「弁解も弁明も一切認めないっすから。プライベートで敵異能者と連絡とり合ってるとか、酌量の余地なしっす。裏切り者は――即・処分っす」
晴れやかな笑みを浮かべ、それに似合わぬ物騒な言葉を吐くと、砂川は懐から銀色に光る銃を抜いた。彼女がそれを照準する前に、万里は《武器庫》から発煙弾を引っ張り出す。
直後、部屋中に白い煙幕が広がった。
砂川が煙幕に怯んでいるうちに、万里は彼女の脇をさっとすり抜けて逃亡を図る。琴美の叫び声と砂川の怒声が重なって響くのを背中で聞きながら、万里は廊下を走った。
こんなところで逃げたら「私が犯人です」と言っているようなもので、自分で自分を首を絞めている状態なのだが、かといって大人しくしていたら事態が好転するかと言えばそんなこともなさそうで、どちらにしても内通者の烙印を押されて散々に痛めつけられる未来しか見えない。砂川は完全に万里を内通者と決めつけて聞く耳を持たなそうだ。まあ、スマホに敵の連絡先を入れている時点でこれ以上ないくらいの内通の物的証拠なわけだから、砂川の判断は正常と言わざるを得ないのだが。
しかし、万里が組織の裏切り者でないことは、万里自身が一番よく知っている。残念ながらそれを信じてもらえる要素が皆無なので、今はとりあえず逃げておくしかない。いずれ捕まるにしても、もう少し説得力のある言い訳ができる材料を手元に揃えてから捕まりたい。
エレベーターホールまで辿り着き、叩きつけるように下りのボタンを押す。数秒の後、籠が下りてきて扉が開いた。
中に乗っていた白鷺文月と目が合った。
「うわ」
扉が開いた瞬間、白鷺がナイフを抜いた。万里は反射的に飛び退き距離を取る。威圧感たっぷりに足音をたてて白鷺がフロアに降り立つ。エレベーターは白鷺の後ろでそのまま扉を閉めて、無情にも遠ざかっていった。
「砂川から全端末に緊急連絡が入った。お前が内通者だったのか、碓氷」
「うわぁ、仕事はっや……」
砂川はいつも自分の仕事の成績など気にしないマイペースのくせに、なぜ今日に限ってそんなに手際がいいのか。本来なら喜ばしいはずの味方の迅速果敢ぶりが、今だけはこの上なく恨めしい。
「往生際が悪いぞ。もはや、全構成員が裏切り者を追い詰めにかかっている。ここからは逃げきれない」
「一応言いますが、誤解です」
「無駄な抵抗はよせ、さもなくば苦痛が増えるだけだ」
「ちなみに、大人しく投降したらどうなります?」
「苦しまないように一瞬で始末してやる」
「結局始末される奴じゃないですか」
「裏切り者の末路とはそういうものだ」
やはり話が通じない。逃げるしかなさそうだと万里は再確認する。しかし、エレベーターは白鷺の巨体で塞がれている。かくなる上は非常階段から逃げるしかない。
即座に判断して方向転換を図る。が、万里が階段に向かって一歩を走り出すより先に、横合いからワイヤーが飛んできて手に絡みついた。直後、全身に電流が走り抜ける。
「ぁああッ!」
一瞬で体の自由を奪い思考を真っ白に灼く強烈な電撃。立っていることすらままならず、万里は崩れ落ちる。早く逃げなければいけないのに、体ががくがくと震え、ちっとも思うように動けない。
「逃がさないのです」
また別の声が後ろから聞こえてくる。振り返ることはできないが、声で相手が甘利静祢だと解った。その声には静かな怒りが滲んでいるように聞こえる。自分を陥れていた内通者の正体が解ったとなれば、興奮して当然だろう。これまた、弁明を一切聞いてくれなさそうな相手が来てしまったわけだ。
ろくに身動きできない万里を、しかし甘利は油断はすまいと言いたげに、両腕を背中側に捻り上げて完全に制圧した。
甘利に抑えつけられている状態では、痺れた体で拘束を抜け出すのは難しい。奇跡的に振りほどくことができても、目の前には白鷺が立ちはだかっている。更に、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。砂川が追い付いてきたのだろう。幹部クラス三人に囲まれていてはどうしようもできない。
「あ、甘利先輩、捕まえてくれたんすね。よかったっすね、内通者説が先輩の妄想じゃなくて」
「よくはないのです。組織の情報が外に漏れていたなど、由々しき事態です。喜ぶようなことではないのです」
「じゃ、さっさと始末を……」
「――少々お待ちを」
性急に話を進めようとする二人の間に、また別の声が口を挟む。やってきたのは興梠小梅だった。なんでこんな夜中に有能なメンバーがこうも勢ぞろいしているのか。このワーカホリック共め、と万里は内心でこっそり罵倒する。
「始末するのはいつでもできますが、先に情報を引き出すべきかと。救済社の情報がどこまで漏れているのか知る必要がありますし、逆に敵側の情報を吐かせることができればこちらの有利にもなるかと」
「尋問すか。ま、興梠先輩がそういうんなら、いいんじゃないっすか」
「了解なのです」
興梠の意見のおかげで、とりあえず、問答無用で首を掻き切られずに済みそうな流れなのは不幸中の幸いだ。とはいえ、丁重に扱ってもらえる気配はあまりない。
砂川がわざとらしく溜息をつきながらぼやく。
「碓氷ィ、これからデートの予定だったってのに、私に残業させるなんてマジでギルティっすよ」
「……デートの前だっていうのに人の話を盗み聞きした先輩の自業自得では?」
つい虚勢を張って要らん軽口を叩いた結果、砂川によって八つ当たり気味にスタンガンをぶち込まれて万里は意識を失った。




