86ちょっと黙ってろ
先に動いたのは名張の方だった。がっしりとした体つきには不似合いなほど疾く、名張は突進する。真っ向からの強襲、対する万里は、ヘッドショットで迎え撃つ。
敵の額に吸い込まれるような真っすぐの弾道、しかしそれは、着弾の直前、名張が持ち上げた左手に阻まれる。名張は銃撃を避けるどころか怯みさえせず、歩を止めることなく掌で弾丸を受け止め握り潰した。超速機動の少女に避けられ慣れているので、回避されるのはまだいいとして、受け止められたのはそこはかとなくショックだ。足止めにもなりやしない。
どうやら敵の義手は、無駄に頑丈なチート装備らしい。そんな面白くもない分析をしているうちに、名張は間合いを詰めていよいよ眼前に迫ってきていた。黒光りする右手が万里の顎先を狙って掌底を打ち出してくる。
それを半身で躱すと、万里はゼロ距離まで近づいた敵の額に銃口を押し付けた。
指先がトリガーを引く、その寸前、しかし名張の手刀で銃を弾かれる。
手から零れて床を滑るアサルトライフルを尻目に、続けざまに執拗に襲ってくる機械の拳を避けながら、万里は背中側に手を回し、ベルトに差したナイフを抜く。
名張の右手が伸びてくる。それを避け、脇でホールドして敵の動きを止める。すかさず義手の肘部分を狙ってナイフの刃先を突き立てる。名張が顔を顰める。その顔面を、万里は靴底で蹴り飛ばす。
金属同士が擦れる不快な音と、何かの配線が強引に引きちぎられるようなぶちぶちという音。戦闘を想定した義手の装甲を真っ向から叩き割るのが困難であっても、関節部分は比較的脆く刃が通りやすいのではと踏んだが、どうやら当たりだ。弱点部分に負荷がかかった義手は、予定通りに切断された。
名張は反動で小さくよろめき後退りする。右腕は袖が破れ、中途半端に残った義手の上腕部が断線したコードをぶら下げて歪な断面を晒している。
万里は引き千切った敵の右手を放り捨てた。
次は左手を、と狙いを定めたところで、名張は左手を万里に向けてまっすぐ伸ばした。よくよく見ると、人差し指から小指まで、四本の指の先端に小さな穴が開いている。
たとえるなら、銃口みたいな。
「……」
呑気に見ている場合じゃなかった。万里が回避行動を取るのと、敵の左手から鉛玉が飛び出してくるのは同時だった。
ただの義手ではないのは解っていたが、発砲機能を付けるという発想はなかった。小学生が考えたサイボーグみたいな珍奇な機能をつけやがって、などと内心でぼろくそに詰りながら、万里は弾幕から逃げ走る。
不愉快かつ不本意にも意表を突かれた。が、義手に仕込まれた銃の威力は普通のそれより落ちる。奇襲専用のような得物だろう、不意打ちが失敗に終わった以上、大きな脅威ではない。その上、義手に内臓されているからには、弾丸の数はそう多くはないはず。
予想した通り、弾切れまでの時間は早かった。銃撃が止んだ瞬間、万里は今度は自ら名張との距離を詰めて、ナイフで斬りかかる。
右に、左に、絶え間ない連撃。名張はそれを左手で弾く、躱す。
だが、片腕を落としてバランスを崩したのだろうか? 先程までよりも動きが鈍い!
何度目かの攻撃を避けた瞬間にできた敵のほんの僅かな隙に、万里は懐に大きく踏み込み、刃を一気に振り上げる。ナイフは名張の左腕の関節の隙間に滑り込んで、接合部分を強引に断ち切った。
胴体から切り離され吹き飛んだ左手が、がしゃんと床に墜落する。
名張は両腕を失った。畳みかける好機。だが、更に攻め込もうとする万里に、下から名張の膝蹴りが迫って来た。
後ろへ飛び退き、蹴撃を紙一重で躱した。
「……ぅっ!」
紙一重で躱した――つもりだったのだが。
脇腹に焼けるような鋭い痛みが走り、万里は顔を歪める。そこに手をやると、ぬるりと生温かい血で滑った。深くはない、けれど、確かにすっぱり切れている。ただの蹴りで負う傷ではない。
凶悪な機能が盛り込まれた両手、それを破壊して満足している場合ではなかった。名張は義手義足だ。手が危険物なら足だって危険物に違いない。見ると、忌々しいことに、名張の右膝の部分は着衣に切れ目が入っていて、そこから刃が飛び出している。厭らしいところに刃物を仕込んでいる奴だ。
距離を詰めすぎるのが危ないのは理解した。銃弾を弾き飛ばしてしまう厄介な両手がなくなった今なら、離れたところから銃で攻める方がローリスクかもしれない。……さっき吹っ飛ばされた銃を拾いに行く暇があればの話だが。
ほんの数秒の沈黙、逡巡の最中に、
「後ろ!」
桐子の叫び声が背中に刺さる。はっと振り返ると、背後に黒い影が忍び寄っていた。奇襲を仕掛けようと音もなく浮遊し、性格の悪いことに、先程負ったばかりの腹の傷を抉っていくつもりとしか思えない角度で突っ込んできたのは、ぶっ壊して放り投げておいた名張の右手である。
「何でもアリかよ!」
幸い、桐子の警告のおかげで奇襲に気づくことができた。襲ってきたロケットパンチみたいな攻撃を避け、ひとりでに飛行する意味の解らない右手を後ろからナイフの切っ先で突いて黙らせる。内部機構が露出した肘側から刺突したことで、今度こそ壊れたはず、と思いたい。
床に落ちる義手を見下ろして、万里は一つ息をつく。
本体である名張から切り離しても遠隔で動く義手、指先から放たれる弾丸、義足には仕込み刃。まったく信じられないようなおかしな危険機能ばかりだが、いい加減ネタは出尽くしただろう。
これ以上はそうそう驚かされるべくもない。手札が割れた状態での正面きっての近接戦なら、こちらに分があるはず――
「――お前は元実験体か?」
出し抜けに呟かれた言葉に、万里は取り繕うのも忘れた。
義手も、義足も、種明かしは済んで、もう不意打ちを喰らうことはないと思っていたのに、最後の最後に言葉で不意を衝かれた。鼻で笑って聞き流してやればよかったのに、なぜバレたのかに意識がいって、誤魔化す余裕がなかった。
沈黙は肯定と同じだ。解答を得た名張は勝手に満足そうに頷く。
「こんなところまで、異能者の仲間を助けに来るということは、お前も遺産の関係者のはずだ」
実のところ桐子とは仲間ではないのだが、そんな細かいところで揚げ足をとっても何の役にも立たないだろう。
「そのくせお前は能力を使おうとしない。遺産を持っている様子はないから、異能者なのだろうが、ではなぜ異能を使わないのか……異能を使うことで、私に致命的な情報を与えてしまうからではないか。能力を知られることで状況が悪化するとすれば、素性には見当がつく、元被験者だ」
ぼろを出さないように細心の注意を払っていたつもりだったが、あまりよくない流れになってきた。情報を与えまいと異能を使わないでいたが、情報を与えないことが情報になってしまうのでは、もうどうしようもない。
ことこうなっては、面倒なことになる前にさっさと片を付けるに限る。
「異能を使えば正体が露見する……それくらい、お前の異能は特徴的なのだろう。さて、何の異能者か」
「さっきっから、独り言が煩いんだよ、ちょっと黙ってろ」
万里は苛立ち交じりに、懐に隠してあった手榴弾を放り投げる。名張は表情を少しも変えず、踵であっけなく蹴り飛ばして何事もなかったかのように仁王立ちに戻る。
手榴弾は一拍置いて名張の後方で爆発。その爆風に乗るように加速して、再び名張の方から距離を詰めてきた。
両腕を失くした名張は足技を多用するようになった。打撃よりも膝の仕込み刃でのヒットを狙ってくる。そのうち爪先とか踵あたりからも刃物が生えてきても驚かない。万里は警戒を怠ることなくナイフで敵の攻撃を捌く。
剣戟の合間に、名張は注意深い視線を向けてくる。こちらの正体を探ろうとする厭な目つきだ。鋭い一撃が降ってこないのは、両手を失くしたことで少なからずバランスを取りにくくなっていることもあるだろうが、それ以上に、片手間の攻撃の間に考察を進めていることが理由だろう。名張の行動は武力による制圧よりも、策謀で優位を取る方向にシフトしつつある。
お互いに決定打にならない斬り合いが続く。
だがその均衡もいずれ崩れるだろう。
「初めから異能を使わずに私を相手にするつもりなら、どこかから遺産を調達してくるなりするべきだが、そうしていないのは、敵が私だとここに来てから知ったということだ。急遽、異能を使わずに戦うことになった……その割には、慣れた調子で武器を使う。異能者はたいてい異能頼りで、異能を使わなければ戦えないものだが、お前の場合はそうではない。おそらく、普段からそういう戦い方をしている。武器を使った近接戦……それを前提にした異能が、お前の能力だ」
思案ののち、やがて名張がはっと驚いたように目を見開く。そして直後に、唇を歪めて邪悪な笑みを浮かべた。
「そうか、お前……《武器庫》の少年か」
名張は答えに辿り着いた。
それと同時に、万里はその手にショットガンを召喚している。
「正解」
称賛の代わりに、名張のどてっ腹に大量の散弾をぶちまけた。
正体がばれてしまったのなら、もう能力を隠す必要もないわけで、万里が開き直るのは早かった。
最初から素性が割れていたら、こう上手くことは進まなかっただろうが、もう十分にアドバンテージは取った。今更ばれたところで痛手ではない。
散弾を間近で喰らった衝撃で、名張は大きく後ろに仰け反りよろめく。常人ならそのまま倒れて起き上がれないくらいの威力だったはずなのだが、名張は踏みとどまる。やはり頑丈だ。
これで倒れないなら、もう一発。万里は名張の胸に向けて、再度照準を合わせる。
名張は依然として戦意を保ったままの鋭い目で、引き金に指をかけた万里を睨み返す。
それから、
「087、Code:Juliet」
何の前触れもなく、理解の出来ない音の羅列が名張の口から紡がれた。
――その言葉は、さながら毒のように。




