83借りを返しに
オフィスで輝の帰りを待ちながら宿題を解いているうちに、時刻は午後六時を過ぎた。思ったより遅いな、と万里はさっきからちらちらと時計ばかりを見ている。向かいの席に座る琴美はそれを見て笑う。
「そんなに心配しなくったって、大丈夫だよ。そろそろ帰ってくるって。相変わらず心配性だなあ、お兄は」
「別に心配してないし。仕事の話をしてさっさと帰りたいから、早く来ないかって思ってるだけだし……」
なんとなくムキになって否定しようとする。
と、デスクの上に置いてあった端末が「ビーッ、ビーッ」と、何も知らない人間が聞いても「ヤバそうな音」と判断するであろう緊張感のある警告音を放ち始めた。業務用の通信端末だ。万里はすぐさま端末を手に取ってアラートの内容を確認する。
八月、破壊庁の異能者・行平槐との交戦で窮地に陥った時、端末を壊された万里は救援を呼ぶこともできなかった。その時は、いろいろな偶然・奇跡的な幸運・桐子と帯刀の厚意の三点セットにより何とか助かったが、毎度そんなうまいことが起きるわけではない。ピンチにならないのが一番いいのだが、まかり間違って危機に陥り助けが必要になった時、「端末が壊れて誰にも連絡がつきませんでした」では困るということを身をもって知ったのである。だいたい状況が切迫しているときというのは、通信手段を奪われる可能性も高いという事実もよく解った。そこで万里は、自分の端末が破壊された場合はチームメンバーである輝と琴美に自動で緊急信号が行くように端末を改良した。そして同じ改良を、輝と琴美の端末にも施しておいた。思えば危険な仕事ばかりをやらされる秘密結社所属なのに、そもそもそういうシステムになっていないのがおかしかったのだ。
琴美は今目の前にいる。となれば、アラートの原因は輝の端末が壊されたことに相違ない。帰りが遅いな、とは思いつつも、まあ適当に道草を食っているだけだろうくらいに思っていた万里は、そうではなかったのだと知った。
「輝ちゃんに何かあったの」
琴美が一気に緊張した表情になる。
「そうらしいな」
端末は破壊されると、アラートと同時に、その端末が壊された場所の位置情報を、連携しているチームメンバーの端末に流す。確認すると、輝の端末は、青宿市内の道のど真ん中で壊されたらしい。青宿市というと、舟織市の二つ隣にある市だ。救済社の拠点から行くとなると、車で三十分はかかる場所で、輝の端末の信号は途絶えたということになる。いったいなんだってそんな場所にいて、しかも端末が壊されるような事態に陥っているのだろう。
情報が少ないが、しかし、まったく状況が想像できないわけでもない。輝は会社から遺産を借りて、どこかでそれを使って修練に励んでいたという。近くをたまたま通りかかった異能者が、遺産の気配に気づいて襲撃した、という可能性は、ありえる話だ。
「どこか別の場所にいたところを、捕まって、車で拉致されたってところか」
誘拐犯は輝の端末から情報を盗めないかと奮闘しただろうが、ロックのせいで中が見れず、邪魔でしかなくなった端末を道中破壊したというところだろう、と万里は想像する。
情報が送られてきた場所から、輝は更に移動を続けている可能性があるが、何にしろまずは問題の場所まで行ってみるしかあるまい。万里はさっと立ち上がりオフィスを出ていく。後ろからは琴美が当然のようについてくる。
「お兄、一人で行くとか言わないよね」
「どうせ却下って言ってもついてくるんだろ」
「解ってるじゃん。当然だよ、だって輝ちゃんのピンチだよ? 助けに行くに決まってるし」
その後、琴美がアラートの時刻と位置情報から、近くの防犯カメラ映像をあまり人様には言えないような手段で入手し、人を誘拐するのに便利そうなバンが国道を走行していたのを発見。バンの車体には「C.S株式会社」と社名らしきロゴが記載されていた。調べると、端末が破壊された地点から十分ほどのところに同名の会社があることが判明した。会社をネットで検索してみると、一応法人登録はあるようだが、名前以上の詳しい情報はさっぱりヒットしない。
「怪しいな」
「怪しいね」
二人しかいない多数決の結果、満場一致で怪しいということになり、その会社を目指すことになった。この時ほど、十六歳になると同時に二輪の免許を取っておいてよかったと思ったことはない。万里は琴美を後ろに乗せて、経費で落とした二輪に跨って怪しげな会社を目指した。
ちなみに、免許を取って一年未満のタンデムは当然ながら法令違反である。しかし、悪の秘密結社に所属する万里は、違法行為など今更の話である。
――そうして怪しい会社の近くまで来てみれば、半泣きになった輝を発見したという次第である。輝の様子を見るに、ことは緊急を要する気配。ここまで辿り着いた経緯より、輝の方に何があったか聞く方が先決だと判断し、万里は諸々の説明を端折って単刀直入に問うた。
「で、どういう状況?」
そして万里は、輝の口から、聞いたことを瞬時に後悔するような、想像以上に厄介な状況を聞かされる羽目になる。
「桐子って、あの騎士団の『音速姫』のこと? なんでそんな人と一緒に拉致られてるの、輝ちゃん」
万里が一番ツッコミをいれたかったところを、琴美が先に代弁した。話をいっそう厄介にしているのはまさしくその点である。
「俺の特訓場所を嗅ぎつけてきたんだよ、あいつ。そしたらタイミング悪く巻き添え食って、一緒に拉致されて」
運が悪いにもほどがあるな、と万里は頭を抱える。もっとも、そのおかげで輝が無事だったわけだから、文句ばかりも言えない。輝も戦えないわけではないのだが、身内贔屓に見積もってもLv20程度、桐子の方はだいたいLv90くらいのトンデモ少女なので、敵組織に拉致されるという窮地から脱出するのは、輝の力だけでは難しかっただろう。
しかし、代わりに桐子が捕まった。その上、桐子を捕えた怪しい組織の元締めは名張ときた。ダブルコンボだ。
「てか、名張がいまだにピンシャンしてるってところも驚きなんだけれど。しかも相変わらず子供ばっかり虐めてる。ああいう性癖って死ぬまで治らないものなの?」
「手足落として治らないんじゃ、そういうことだろ」
「なあ、どうすればいい? 会社に言えば、連中を制圧するのは難しくないだろうけれど……」
輝が言葉を濁す。彼の言う通り、救済社の力を全面的に借りられれば、名張たちを一網打尽にするのはさほど難しいことではない。名張の名前を出せば、かつて彼の手足を切り落とした張本人である在処などは嬉々として精鋭部隊を送り込んでくるだろう。だがその場合、敵である桐子の身の安全は保障されない。救済社の人間が、騎士団の人間の身を顧みるはずがない。
たとえば名張が桐子を人質に取ったとしても、救済社は「そんなの知るか」と武力行使をするし、流れ弾が当たろうと構わないわけだし、運よく無事に桐子を確保できてもそのまま家に帰してくれるはずもなく当然ながら拘束されるだろう。
救済社所属の人間としてはそのやり方で問題はないはずなのだが、輝はそれでは厭だと思っているから歯切れ悪く言うのだ。
「俺のせいでこんな目に遭ってるわけだし、俺を助けてくれたし……だから、できるなら助けたいんだよ。こんなの会社には言えないけど、何とかならないかな」
輝は基本的に馬鹿だ。だが悪い奴ではない。寧ろお人よしというか、義理堅いというか、そういう部類に入る人間だ。自分のような性悪男と同じチームなのに、よくもここまで優しい人間に成長したものだ、と万里は感心する。
状況は厄介極まりない。普通なら、最悪に厄介な敵の元に、リスクを冒してまで、わざわざ敵である少女を助けに行くなどありえないだろう。しかし、困ったことにいうべきか、万里と桐子の関係は普通ではない。輝が願い出ずとも、万里の中で桐子を見捨てるという選択肢はない。なにせいろいろと借りがあるし、クラスメイトが拉致されているのを放っておいては寝覚めが悪い。
とはいえ、そんな事情は内緒なので、万里は渋々といったふうに溜息をつきながら言う。
「名張の好きにはさせられない。あいつは確実に潰す。……まあ、桐子のことはついでに助けてやるよ、腐れ縁だしな。在処には内緒だぞ?」
途端に輝がぱっと明るい表情を見せた。
「ありがとう、兄ちゃん」
そう素直に言ってから、輝は失言を悔いるような苦い顔になった。思春期真っ盛りの男子中学生であるところの輝は、昔みたいに「兄ちゃん」と呼ぶのが恥ずかしいらしい。ゆえに普段は大人ぶって人のことを勝手に呼び捨てにする。ただし気が緩むとその呼び方が復活するのでかなり脇が甘い。平時なら弟の可愛らしい一面をイジり倒してやるところだが、時間がないのでそういうくだりはカットする。
「さて、話は口で言うほど簡単じゃない。会社を頼れないってことは、ここにいる三人で何とかするしかないってことだ」
「超リスキーじゃん。三人だけで、規模不明の謎組織を襲撃するわけでしょ?」
「琴美は反対か」
「超燃えてきた」
妹は逆境で俄然燃えるタイプらしい。
「で、具体的にどう行く? 三人で正面から乗り込むわけにはいかないよね」
琴美が悩ましげに言うと、輝は「え、そうなの?」と首を傾げた。馬鹿正直に正面突破する気でいたらしい。これだからうちの単純エージェントは、と万里は眉根を揉む。
「まあ、常識的に考えて、待ち構えられているに決まってる。なんたって、敵はあの名張だからな」
誰かが桐子を奪還しにやってくるくらいは、当然向こうは想定しているだろう。それを迎え撃つための手は打たれていると考えて然るべきだ。圧倒できるほどの頭数が揃っているわけではない状況で、正面玄関からインターホン鳴らして突入するのは危険すぎる。
「性悪野郎が考えそうなトラップの候補はいくつか考えられるけど……」
少し考えてから、万里は作戦を言い渡す。
「まあ、いつも通りの、プランAで」
「えぇ、結局それ? あれ、たいてい私の出番ないから面白くないんだけど」
適当な理由をつけて、二人をできるだけ安全圏に置いておき、本気でヤバくなった時だけ力を貸してもらうのがプランAの概要である。今まで「本気でヤバくなった時」は殆どないので、琴美が出番がないとぼやくのはそういうわけだ。さて、今回も今までのように上手くいけばいいが、今日ばかりは相手が厄介すぎるかもしれない。果たしてどうなることやら。
「俺が侵入するから、琴美は離れた場所で待機して、いざという時はサポートを。輝は琴美と一緒にいろ、琴美の護衛だ。そうだな……三十分経っても戻らなかったら……」
「いつもの通りに、ね」
「頼んだ」
てきぱきと指示を飛ばして、作戦会議を終える。輝と琴美は、万里と別れて潜伏場所を探しに行く。二人には敵に見つからない場所で隠れていてもらい、その間に万里は敵地へと向かう。
「さて――借りを返しに行くとしようか」




