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82/114

82どういう状況?

 派手に能力を使用した自覚はあるので、薄々嫌な予感はしていたのだが、「それ」は最悪のタイミングで訪れた。

 既に何人もの敵構成員を蹴り飛ばしてきたはずなのだが、今、桐子を取り囲んでいる武装集団はそれ以上にいる。悪の組織なだけあって、人材は無駄に豊富。これを突破する余力はない。

 桐子は溜息交じりにホールドアップしておく。途端に後ろから頭を殴られた。

 両手挙げてんだから殴ることないじゃん! 今まで自分が散々やってきた暴挙を棚に上げて内心で文句を言いながら、暗転。


★★★



 塀を越えた向こう側は、樹が疎らに立つ林で視界が悪い上に、斜面で足元も覚束ないような場所だった。先ほど、桐子に引き上げられてようやく壁を上った輝では、独力で再び上がることは難しい。壁を挟んで反対側、研究所の敷地内には桐子が取り残されてしまったが、彼女を助けに戻るには壁をぐるりと回って再び門から進入する必要がある。

 輝は判断を迫られた。彼女を置いて逃げるか、助けに戻るか。

 迷っている時間はあまりない。ぐずぐずしていると、追手がすぐにやってくる。折角脱出したのに、あっさり捕まるようでは、桐子の苦労が水の泡だ。

 どうすればいいか、と自問する。はっきり言って、輝が戻ったところでたいした戦力にはならない。先刻までもそうだったが、桐子の足手まといになるだけだ。彼女は《神速撃》の異能者で、輝が心配するまでもなく強い。ならば、彼女は自力で脱出できると信じて、ここはさっさと施設から離れるべきではないか。

 行きなさい、と桐子は言い残した。今はそれに従うのが正しい、と輝は判断した。

「ちっ……ちゃんと無事でいろよなッ!」

 悩んでいたのはほんの数秒のことだった。輝は高い壁に背を向けて斜面を下った。

 不規則にでこぼこした土の地面は、焦って走っていくと足を取られて転びそうになる。時に滑って体が傾くのを、所狭しと生えている木の幹に手をついて支え、できる限りのスピードで進む。やがて林が終わり、ようやく舗装された道に出る。右手に向かって上り坂になっているので、おそらくそちらに進むと施設に逆戻りしてしまう。輝は左の方へ、緩やかな下り坂を行く。

 空は徐々に濃い闇に染まっていく。知らない道を暗い中で走るというのは、酷く不安な気分にさせられる。行く先は本当に合っているのか、いつまで走れば知っている道に出られるのか。異世界にでも迷い込んでしまったかのようで落ち着かない。全力で走っている上に、そんな不安と、一抹の罪悪感が混じって、どきどきと動悸が止まらなかった。

 坂は一本道だったが、しばらく走ると二股に別れた。どちらに行けばいいのか考えて、ふと遠くの景色を見遣ると、ライトがぽつぽつと灯るビルが並ぶ街並みが見えた。距離感がいまいち掴めないものの、市街地がこの先にあるようだと解り、輝はできるだけ光の見える方へ、と道を選んで走った。

 時計がないので正確なことが解らない輝だったが、なんとなくの感覚で十分ほど走った頃だった。それまで一切見かけなかったのだが、乗用車が走るのをちらほらと見かけるようになった。研究所に続く一本道は、一般の人間は近づかないような場所だったろうから、道を車が行き来しているのを見ると、普通の世界に一歩近づいたような気がして、僅かに安堵できた。

 次第に住宅や商店がぽつぽつと見られるようになり、車の行き来も多くなる。空は暗くなる一方だが、人工的なライトは増えていく。通り過ぎる電柱に近寄って、そこに書いてある地名を読む。

「青宿市……よかった、そんなに遠くない場所だったんだ」

 遥か遠くの異界に連れてこられてしまったような気でいたが、なんということはない、拘束された美守町の隣の市だ。

 走りすぎてがくがくしてきた膝を叩きながら、だましだましで更に進む。すると、しばらくして前方に見えてきた建物の前に群がる集団が見えた。近づくにつれてはっきりと見えてきた建物は交番で、集まっていたのは研究所にいた子供たちだった。「正体不明の連中の元から命からがら逃げだしてきた子供たち」というのは交番勤務の警察官には荷が重すぎるだろうが、ひとまず彼らが安全な場所まで辿り着けていたことに輝は安堵する。

 しかし、その状況を見て呑気に喜んでばかりはいられなかった。

 実験室で拘束されていたのは六人だったが、今、数えてみると、集団は十人いる。輝が乗り込んだ実験室以外の場所にも、子供は囚われていたのだ。そういえば、名張の部下が通信機で「保管庫」とか「実験待機中のモルモット」とか叫んでいた。その言葉の意味をようやく理解し、輝は衝撃を受けた。

 他の場所にも子供が捕まっているかもしれない、などと輝は思い至りもしなかった。一方で、見えない場所に隠されていた子供もまとめて、研究所から脱出できている。それを手助けしたのは、桐子に他ならないだろう。輝が実験室で暴れている間にいつの間にか姿を消していて、輝の危機には戻ってきていた桐子。輝が見ていなかったその空白の時間に、彼女は迅速に、別の部屋に拘束されていた子供を発見、救出した。そして、追手の手の届かない場所まで連れ出したのだ。

 ここまで来るのに、輝の足で走って二十分ほどはかかっただろうか。それを、車も運転できない桐子が、十人もの子供を連れてどうやって、あの短い時間で辿り着いたのか。少し考えれば想像はつく。《神速撃》の異能を全開にして、子供を抱えてここまで走ったのだ。救出すべき人数を考えると、何度か往復はしたかもしれない。他ならぬ《神速撃》の異能者だからこそ成しえたことだ。結果、「子供の足では遠くまでは逃げられないだろう」と高をくくって、施設内かせいぜいその近辺を捜索するくらいが関の山だった敵の包囲網から首尾よく逃げ出し、一般の人間の目もあり比較的安全な場所まで連れ出すことに成功したというわけだ。

 まったく凄まじい逃げ足であり、敵ながら感心してしまうが、輝は呑気に拍手喝采する気にはならず、むしろ背筋がぞくりと冷えた。

 いくら異能を使いこなせる異能者とはいえ、そんな無茶な使い方をしたらすぐにへばる。そういえば、戻ってきた桐子は明らかに疲労した表情を見せていた。そして、あっさり撤退を決めて名張たちとの徹底抗戦は避けた。そして何より、研究所を囲う三メートル程度の壁を超えるのに踏み台を必要とした。

 彼女は今、満足に異能を使えないのではないか。そんな疑念が噴出し、輝は血の気が引いたのだ。

 あんな連中、彼女なら蹴散らしてこれるだろう、そう思って、一人逃げてきてしまった。しかしそれは間違いだったのではないか。桐子が満足に戦える状態なら、今頃彼女はとっくに敵を全員蹴り飛ばし、音速で駆けてここまで追い付いてきていてもいい頃だろう。だが、そんな気配は微塵も感じない。

 だいたい、桐子は子供を全員救出した時点で、わざわざ研究所に戻ってくる必要などなくなっていたのだ。取り残されていたのは、敵である輝一人だけだったのだから。それなのに、彼女は戻ってきた。輝を放っておけずに助けに来てくれた。彼女が来なければ、輝は今頃どうなっていたか解らない。

 それなのに、輝は万全の状態ではない桐子を置いてきてしまった。

「嘘、だろ……」

 桐子は最初から、二人だけで子供を強引に救出する作戦には反対していた。こうなることがきっと解っていたのだろう。だから、さっさと救援を呼んで確実に助けるべきだと主張した。それを押し切って勝手に輝が暴れた。そのせいで厄介なことになったのに、結果窮地に陥った桐子を見捨ててきてしまった形だ。

 間違えた。目の前に次々と立ち現れた選択肢を、輝は尽くに間違えた。

「助けないと、でも……」

 今更一人で戻ったところで、輝の力では名張たちを突破して桐子を助け出すことはできない。ならば、救済社に増援を求めるか? 敵である桐子を助けたいから、という要望が通るとはとても思えない。

 どうしてこんなに自分は馬鹿なんだろう、と輝は自身を呪う。強くなりたい、けれど強くなれない。短絡的で、事態を引っ掻き回して、ロクな結果にならない。こんな調子で兄の助けになりたいだなんて、どの口が言うのだ。

 罪悪感がじわりと滲みだすのと同時に、鼻の奥がツンと熱くなって泣きそうになった。慌てて目をこする。泣いたって事態はどうにもならない。子供じゃないんだから、泣いてる場合じゃないんだと、自分に言い聞かせる。


 ――その時。

 肩に後ろから手がかけられ、輝はどきりと跳ね上がる。まさか追手が? 輝は反射的に手をはねのけながら振り返る。

 そして予想していなかった人物と目が合って瞠目する。

 こんなところにいるはずがないのに――

「なんで……」

 輝が掠れた声で呟くと、呆れたような声が返ってくる。

「なんでって……通信端末がぶっ壊れたら俺にアラート来るようにしてあるじゃん」

 端末壊されて苦労したことあるからさぁ、とぼやくのは、万里であった。

 どうしようもなくヤバい時に、必ず駆けつけてくれるのは、いつだって万里だった。地獄で仏に会うというのは、こういう気分なのかもしれない。いつも生意気ばかり言っている輝だが、一番頼りにしている相手がまるで奇跡みたいに目の前に現れたことに、不覚にも、先ほど耐えたばかりの涙がまた溢れてきた。強がるのも忘れて、言葉が零れる。

「助けて……兄(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)」

 頼れる長兄はにっと笑って頷いた。

「――で、どういう状況?」

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