79もう待てるかよ
「俺が研究所に連れていかれたのは、まだ小学校に上がる前だった」
本来ならば平静ではいられないような辛い話だろうが、輝は感情を乱すまいとしているのか、あえて淡々とした口調で語り始めた。
「連れていかれた研究所で、適合実験を主導していたのが名張だ。名張は『斡旋者』って連中と被験体の子供を取引してた。その斡旋者が子供の入手元にしていたのは主に児童養護施設だ」
「児童養護施設……」
「助けを求められる大人がいない子……そういう、施設出身の子は名張にとって都合がよかった。俺の周りにいたのは、みんな施設から連れてこられた子だった。新しい家族に引き取られるはずが、最低最悪の環境に真っ逆さまだ。俺は帆引学園からそこに連れていかれた」
帆引学園――初瀬御世から聞かされた名前に、再びぶち当たってしまった。施設出身の子供を被験体に選ぶという手口からするに、先日帆引学園を襲撃した御子柴たちがまさしく斡旋者の一味だったのだろうと推測される。となると、初瀬が言っていた、被害に遭った後輩というのは、輝のことなのか。
「……あなたも実験を受けたの」
桐子が恐る恐るというふうに問うてみると、輝は首を横に振った。
「俺は研究所に連れていかれたけど、才能がないって思われたんだと思う、実験には使われなかった。落ちこぼれの俺の役目は人質だ」
それまで感情を抑えようとしていた輝が、しかし、耐えきれなかったように、憎悪に満ちた声で吐き捨てた。
研究所に同時に連れてこられたのは、輝と、彼の姉と、兄。名張が才能を見出したのは兄一人だった。実験は幼い子供にとっては地獄のように辛いものだった。子供たちは当然、逃げ出そうとする。ゆえに、名張は輝の兄に吹き込んだ。
「お前が逃げたら、次は弟や妹が同じ目に遭う」と。
「だから兄ちゃんは逃げられなかった。俺たちのせいで逃げることができなかったんだ。大丈夫だからっていつも笑ってたけど、そんなはずないんだ」
きっと一人で、毎日毎日、苦しくて泣いていたに違いない。それを、弟たちの前では見せまいと、気丈にふるまっていたのだろう。
「それで、あなたたちはどうなったの」
「研究所に偶然、遺産を探していた社長が乗り込んできて、俺たちは助けられた。社長は名張が二度と悪さできないようにって、両手両足を切り落としたんだって言ってた。だから、名張がまた同じように研究をしているはずがないんだけど」
「成程ね。もう悪さができないはずの奴と同じ名前を聞いたから、驚いていたのね。偶然同じ名前、と言ってあげたいところだけれど、それは希望的観測が過ぎるわね。おそらく、両手両足を切り落としても異能適合実験に執着するイカレた男だったのでしょう」
桐子は胸糞の悪い気分で吐き捨てた。話のさわりを聞いただけでも、顔も知らない男に対する嫌悪感が溢れ出してくる。直接虐げられていた輝の方は、名前を聞いただけで反吐が出そうなものだろう。
「ひとまず、施設の中を探ってみましょう。通信手段を確保する必要があるわ。外と連絡がつけば、応援を呼んで、この、どうせロクでもないことをしているに違いない施設をぶち壊せる」
「だったら、この遺産が使える」
輝は先ほど取り返した腕輪型の遺産を示して言う。
「これは《鬼の隠れ家》っていう遺産だって。姿を隠す力があるんだ。遺産の気配も消せるから、異能者が相手でも気づかれない」
「あ、それって……」
桐子は五月の学校イベント中に起きた事件の顛末を回想する。あの時、舟織一高の生徒を襲っていた遺産保持者を倒したのは万里だが、彼から敵の手口についてはざっくりと聞いていた。「隠匿」の遺産で生徒の姿を見えなくし、「忘却」の遺産でその人間に関する記憶を消すというのが、「神隠し」のからくりだった。その話を聞いた時に桐子が抱いた感想は「つまりちゃっかり遺産を二つも獲得したのだな」という悔しさ満載のものだったが、その時の遺産とこんなところで巡り合うことになるとは。
「使いこなせるの?」
「ちょっとは練習したからな。適合率が高い人間なら、たくさんのものを隠せるみたいだけれど、俺はそこまではできない。けど、二人の姿くらいなら隠せるぜ」
輝が腕輪を右手に嵌め、遺産を発動する。とはいっても、石が光を放つとか、自分の体が半透明になるとかの、解りやすい「ちゃんと機能してる感」はない。桐子は少し心配になってしまったが、車のサイドミラーを覗き込んでみると、輝の姿も桐子の姿も映っていなかった。同じ遺産の影響下にあるお互いの存在は視認できるが、周りからは見えなくなっているようだ。
「ちなみに、これ、声は隠せるの?」
「うーん、俺の力じゃそこまでは無理」
「オーケー。まあ、姿が見えなくなるだけでも上々ね。静かに移動しましょう」
バンの停まっている先に、施設内部へと続いているであろう、通用口らしき扉があった。桐子は扉を静かに押し開けた。
うっすらと隙間を開けて、その先に誰の姿もないことを確認してから、身を滑り込ませる。輝もその後に続いた。扉の先には長い廊下が伸びていた。
青白い光が照らす廊下をひたひたと忍び足で進んでいく。近くには誰もいないのか、それとも各部屋が防音仕様になっているのか、どこからも人の声や物音などが聞こえてこない。不気味なほど静かだった。
やがて廊下は左右と前方に別れる十字路に差し掛かった。どちらに進もうか桐子は逡巡する。何かしら音がするなどすれば、そちらに行ってみるなどの指標にするのだが、それがさっぱりないのだから、もうあてずっぽうで適当に進むしかないだろう。
完全な山勘で桐子は右側の廊下を行く。少し進むと、左右に対称な位置に部屋が複数並ぶ場所に辿り着いた。それぞれの扉を見ると、このあたりのエリアは「実験室A」から「実験室D」まで名前が振られている大部屋と、それに隣接する「観測室」なる部屋で構成されているらしいことがわかる。
今、実験室Aと書かれた部屋にだけ、使用中のプレートが掲げられている。
「まさか……この中で、実験中とか、言わないよな」
輝が顔を強張らせる。かつて非道な実験を目の当たりにしていた輝としては、再び同じことがこの扉の向こうで行われているとは信じたくないだろう。
いきなり魔窟へ突入するのは躊躇われ、桐子はまず隣の観測室に目を付けた。おそらく、実験室の様子を確認するための小部屋だと思われた。
「観測室から、隣の様子を窺いましょう」
勿論、こちら側にも先客がいる可能性は十分にある。これまでよりもいっそう息を殺し。覚悟はいいかと、桐子は目線で輝に問う。輝は緊張した面持ちで小さく頷いた。
ドアノブを握り、ゆっくりと音を立てずに回す。薄く開けた隙間に顔を近づけ、中を窺う。観測室は六畳ほどのごく小さな部屋だった。いくつかの椅子が並べてあるだけのシンプルな部屋で、その椅子には誰も腰かけていないようだ。
桐子は輝に合図を送り、部屋の中へ素早く潜り込んだ。
観測室には、隣室に繋がる扉がついている。そして扉の横は実験の様子を見られるように、腰あたりから上の部分が硝子窓になっている。隠匿の遺産で姿が見えないようになっているため、二人は堂々と硝子窓に近寄ることができた。
硝子越しに見える隣の部屋では、研究員らしき、数人の白衣の男たちが作業をしている。パソコンを操作する者、クリップボードの上の書類に何やら書き込みをしている者、透明な液体が満ちた注射器を手にしている者。そして、彼らが取り囲んで見下ろしているのは、ベッドに横たわる子供だった。
中学生かそこらくらいの年頃に見える少年が、ベッドに仰向けに寝かされ、起き上がれないようにベルトで固定されている。その奥にも同じようにベッドが並び、一様に白い服を着せられた少年少女たちが人形のように横たえられている。人をまるでモノ扱いしているとしか思えない不気味な光景だ。
「同じだ……兄ちゃんの時と同じ……」
輝が掠れた声を漏らす。動揺を隠せない様子で、両手で震える己の体を抱いている。彼にとって、目の前に広がる光景は、かつての悪夢の再現に他ならない。
「大量のコードに繋がれて、訳の解らない薬を打たれて……」
「遺産適合者を作るのが目的の実験なのでしょう? そんな、子供を痛めつけることに、何の意味があるの」
「名張は、異能者は絶望の中から生まれると信じていた。プラスの感情よりマイナスの感情の方が強いから、マイナスの感情が振りきれると、遺産との適合率は上昇するって考えていたらしい。だから、連れてこられた子供たちは全員酷い目に遭わされた」
それから輝は弾かれたように隣の実験室への扉に手をかけようとした。桐子は目を剥き、慌てて輝の腕を掴んで制した。力いっぱい怒鳴りつけてやりたい衝動を抑え、桐子は潜めた声で非難する。
「ちょっと、何を考えているの」
「何って、決まってるだろ。あの子たちを助けるんだ。今なら実験を止められる。目の前で酷い目に遭わされようとしてるのを、放っておけるわけないだろ」
「少し落ち着きなさい」
押し殺した声で、しかし精一杯の気迫を込めて、桐子は輝を押しとどめようとする。
「今あなたが一人で出て行ったところで、どうなるっていうの」
咎めるように言うと、輝は心外そうな顔をする。彼は「どうにかできる」と思って、すぐにでも乗り込みたいのだろう、しかし桐子は冷静に考えた結論として、「どうにかできる」とは到底思えなかった。
中にいる研究員を数えると、五人いる。その五人は今、一番手前、観測室に近いベッドの少年を囲んで何かを話している。そして、ベッドに拘束されている子供はその少年も含めて六人いた。
「こんな実験に加担しているくらいだもの、研究員たちにも戦闘能力はあると考えるべきよ。六人相手に戦えるの?」
「自分より弱い子供を相手に実験するような奴、自分で戦う力なんてないだろ」
「仮に非戦闘員だとしても、子供を人質にとるくらいはするでしょう。そこまで頭が働かなかったとしても、この部屋で戦いになれば、子供に流れ弾がいく可能性は高いわ。危険すぎる。それに……」
「じゃあ、どうしろっていうんだっ」
輝は苛立ち気味に桐子の言葉を遮った。
「……外への連絡手段を探すのが第一でしょう。増援を呼ぶのよ。確実に制圧できるだけの戦力を投入すれば、無駄な抵抗はしないでしょう。子供たちを危険にさらすことなく救出するにはそれが一番よ」
「増援が来るまでにいったいどれだけ時間がかかるんだ? そうしてる間に、あの子たちはつらい思いをすることになる」
「……適合者を生み出すのが目的なら、少なくとも殺されることはないわ」
「死ななきゃそれでいいのか!?」
「私だって、目の前で泣いてる子を放っておくのは心苦しいわ。けれど、無策に突っ込めば死人が出かねないでしょう? そうなるよりは、確実に助けられる方法を採るべきよ」
「俺なら、そんな回りくどいことしなくたって、一人で何とかできる」
低い声を吐き出し、輝は桐子の手を振り払う。
「もう待てるかよ」
桐子が制するのも聞かず、輝は扉を開け放った。




