78最低最悪の野郎さ
部活を終えた万里は、アパートに戻らず会社に直行した。ただし仕事をする気はなく、職場に堂々と学校の課題を持ち込んでいた。事務室には狭いながらもデスクはあるしWi-Fi環境は整っているしで、とても便利だ。ただ勉強するだけなら別に自分のアパートでやってもいいのだが、勉強は単なる時間潰しみたいなもので、目的はオフィスで妹を待つことだった。
数学の問題集をざくざくと切り崩していると、琴美が中学の指定鞄を抱えて制服姿のまま事務室に入ってきた。
「あ、お兄、もう来てたんだ。とりあえず、宿題手伝ってよ」
琴美は言いながらばさばさと鞄から英語のテキストやら辞書やらワークブックやらを取り出してデスクに積み上げる。もはや机の上には仕事関係のものより学校関係のものの方が多い状態。任務のない時の救済社メンバーは基本的に自由である。
万里はシャーペンを走らせていた手を止めて顔を上げる。
「その前に聞きたいことがある。輝が最近、俺に隠れてこそこそしてるの、何やってるか知ってるか」
輝と琴美は仲がいい。輝が万里に隠していることでも、琴美には明かしている、ということは十分にあり得る。そう期待して問うてみると、琴美はあっさりと答える。
「お兄をぶっ飛ばすために修行に明け暮れてるよ」
「ああ、そういうこと」
白鷺から話を聞かされてから、こういうことではないだろうか、といくつか可能性を考えていた万里は、その候補のうちの一つが順当に的中したことを知った。
「まあ、そんなことだろうとは思っていたが。別に隠すこともないだろうに」
「解ってないなぁ。輝ちゃんはお兄にあっと言わせたいんだよ」
琴美は昔から輝を「輝ちゃん」と呼ぶ。幼い頃はそれでよかったが、中学生になった現在、輝は複雑そうな顔をしているのだが、年齢は同じであってもカーストは「琴美>輝」のため、逆らえないでいる。だが、親し気に呼ぶだけあって、琴美は輝のことをしっかり理解していると言いたげに説明する。
「今はチームのリーダーっていうのもあるけれど、それだけじゃなくて、昔っから輝ちゃんは……私もだけどさ、お兄に頼り切りでしょ? もう中学生になったし、それじゃダメっていうか、もっと力になりたいんだよ。輝ちゃん、男の子だから、いつまでも子供じゃいられないって危機感を抱いちゃったわけよ」
「ふうん……まあ、いいけどさ。とりあえず、あからさまにこそこそしすぎたせいで、輝の奴、スパイじゃないかって疑われてるんだよ」
「スパイ?」
「情報が漏れてるらしいんだよ。個人的には甘利先輩の勘違いだと思ってたんだけど、そういう時期に輝が胡散臭い行動をしたもんだから、上層部に怪しまれてる。タイミングが悪かったんだよ」
「それで、お兄、何て言ったの」
「あのバカにスパイなんか無理って」
「もうちょっとソフトに庇ってあげればいいのに、身も蓋もない」
琴美が呆れたように溜息をついた。
「で、輝は今日も修行とやらなのか」
「そうなんじゃないかな。保管庫から遺産を借りてったみたいだし。輝ちゃん、適合する遺産が全然ないの、気にしてるんだよね。それで、手当たり次第に試してるっていうか」
「遺産と適合率が高くたっていいことなんかないと思うけどね。それで、どこで修行してるって?」
「さあ、場所までは。でも、だいたいいつも、六時くらいには帰ってくるから、そろそろ戻るころじゃない。スパイ疑惑かけられてるようじゃ、輝ちゃんも意地張ってる場合じゃないし、問い詰めれば洗いざらい白状するんじゃないかな」
万里は腕時計で時刻を確認する。現在、午後五時四十分。輝の帰りを待って、くだらない内通者疑惑には今日中にケリをつけてしまいたいところだ。
★★★
薄暗く埃っぽい箱ががたごとと揺れている。バンの荷室はあまり乗り心地がいいとは言えない狭苦しい空間だった。そこに二人の人間が詰め込まれているともなれば更に快適とは言い難い。ワイシャツ姿の男とツナギ姿の男の二人組は、運転席と助手席に座って悠々としたものだが、荷物の如く雑に扱われ荷室に放り込まれた側は最悪の気分である。
しかし、雑な扱いに対する苦情を申し立てることはできない。桐子と輝の二人はスタンガンで気絶させられ、両手両足を縄で拘束され、文句を言う暇も与えられないままバンに押し込まれた。俗にいう拉致である。
荷室に横たわる桐子は、正体不明の男が運転するバンがどこへ行こうとしているのか知る由もない。目を閉じたままで未だに暗闇の世界にいるのだ。それは隣で転がる輝も同様で、健やかな寝顔とは程遠い苦悶の表情を浮かべている。
助手席のツナギ男は肩越しに荷室を振り返り、転がされた二人がぴくりとも動かないのを確認すると、ほくそ笑みながら隣の運転手に声をかける。
「お前の情報通りだったな、有馬。遺産を持ったガキが無警戒であんなところにいるなんて……最初に聞いたときはまさかと思ったが」
有馬と呼ばれた運転手は愉快そうに応じる。
「最初は偶然通りかかっただけだったが、暫く見ていると、ガキが毎日のように遺産の気配を垂れ流しにしててな……何かの罠かとも疑ったが、ただの馬鹿だと確信が持てたからな、それで曽我にも力を貸してもらったというわけだ」
「女がいるとは聞いていなかったが……」
「ああ、俺も初めて見た。素性は不明だが、遺産を持ったガキと一緒にいるくらいだ、遺産の関係者だろう。捕まえておいて損はない」
「不意打ちで二人とも簡単に捕まえられたのは僥倖だったな」
「二人まとめて研究所に放り込む。名張所長には、そう連絡済みだ」
運転手の有馬と仲間の曽我は、不穏な会話を続けながらどこかへと向かう。
四十分ほど走り続けたバンは、やがて目的地へ辿り着く。「C.S株式会社」と書かれた札が掲げられた門の前で一時停止すると、有馬は運転席の窓を開け、入場管理のセンサーに手持ちのカードを読み取らせる。ピピ、と電子音が小さく鳴り、前方の門が自動で開かれた。バンは滑らかに発進する。
門の先に建つのは灰色の壁の三階建ての施設だ。すぐ前に正面入口があるが、バンは建物の裏手の搬入口の方へ回り込む。搬入口はシャッターが下りていたが、有馬が再びカードを読み取り機に翳すと、がらがらとシャッターが上がった。その奥に進入して、バンはようやく停車した。その後ろでシャッターはまたひとりでに閉じられた。
薄暗い駐車スペースで有馬と曽我はバンから降りる。
「台車が必要だな」
一人ごちながら、有馬は捕虜を運搬するための台車を探そうと近くをうろつきだす。その間に、曽我はバンの後方に回ってバックドアを開けた。
その瞬間――怒りの形相を浮かべた桐子のブーツが曽我の顔面に突き刺さった。
「ぐあっ!」
不意打ちをまともに喰らった曽我が仰け反り頭から床に倒れて、ゴチンと痛そうな音を立てた。異変に気付いた有馬がすぐさまバンの方へ駆け戻ってくるが、その慌てた顔を桐子は黙って蹴り飛ばした。
三秒で敵を制圧した桐子は、いきなりスタンガンをぶち込まれた恨みについては、ひとまずこれで留飲を下げた。
少し前に意識を取り戻していた桐子は、正体不明の男たちの拠点を突き止めるべく、狸寝入りを決め込んでいた。バンが拠点らしきところに停まったところで、大人しくしているのをやめた。両脚はロープで縛られていたが、《神速撃》の異能者にその程度の拘束など無意味である。走行中は助手席の曽我がちらちらと後ろの様子を窺っていたのが解ったのでそのままにしておいたが、二人がバンを降りた瞬間、こちらが気を失っていると思い込んで油断したままバックドアを開けようとする敵を一蹴するべく、素早く縄を引きちぎったのである。両手の方の縄までは手が回らなかったが、桐子としては脚さえ自由ならなんとでもなるのだ。
「……なあ、もう終わったのか?」
荷室の中から輝が潜めた声を投げてくる。途中で輝の方も意識を取り戻していたが、黙っているように指示しておいたのだ。敵の命令に素直に従うか微妙なところだったが、緊急事態なのは理解しているようで、輝は大人しくそれに従った。
「もう目を開けていいわ。荷室に、縄とカッターがあるわね?」
輝が目を開き、体を起こし、バンの外の惨状に一瞬だけ眉を顰めてから、荷室を見回した。
「ああ、あるよ」
桐子たちを縛ったロープの残りと、大ぶりのカッターナイフが無造作に転がっている。桐子は再び荷室に上がって、まずは後ろ手に縛られた両手を自由にするべく、手探りで拾い上げたカッターで器用に縄を切断した。次に輝の両手両足を解放する。
「荷物を」
短く指示すると、輝は荷室を下りて助手席の方へ回り込む。その間に、桐子は残っているロープで有馬と曽我の二人を拘束する。騒がれても面倒なので、声が漏れないように猿轡も噛ませておく。
有馬の懐を探ると、最初の門と、シャッターを開けるときに使っていたカードを発見できた。カードは社員証のようだった。顔写真付きで、有馬の名前、それから「C.S株式会社」の名称が記載されている。「株式会社」はともかく、「C.S」の方は何かの略称だと思われるが、それが何の略かはどこにも書いていなかった。とりあえず、後々便利に使えるかもしれないので、社員証は奪い取っておく。それから、二人をバンの荷室に詰め込んでバックドアを閉じた。
「駄目だ、端末が壊されてる」
困ったように呟きながら輝が桐子の方にやってくる。手には黒い巾着袋を持っている。気絶している間に没収された、輝の遺産や桐子の警棒、二人の通信機器が入っていたが、遺産は当然無事にしても、通信端末は既に破壊されたあとだった。
桐子のスマホには、他人が勝手に開けられないようにロックが掛かっている上にGPS機能も付いている。データを取れない、且つ追跡される可能性のある端末など、誘拐犯にしてみれば邪魔以外の何物でもない。壊すことに躊躇はないだろう。輝の端末の方も似たようなものらしく、同様に壊されたというわけだ。
「外部への連絡手段は今のところないわけだけれど、中に行けば何かしらあるでしょう」
桐子はこのままただで帰るつもりはない。あっさりと撤退したのでは、わざわざここまで来た意味がない。施設の中を探るつもりなのだ。
連れ去られるとき、「研究所」という言葉がかろうじて聞き取れた。素直に考えるなら、辿り着いたこの場所が研究所なのだ。遺産や異能者を捕獲して、その先が研究所となれば、桐子は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。どうにも夏休みに破壊庁の構成員・初瀬御世から話を聞いて以降、「異能の研究」方面の不穏なワードがついて回る。
それともう一つ、気になることがある。桐子は厳しい表情の輝に問いかける。
「さっき、あいつらから『名張』って名前が出た時、雰囲気が変わったわね。知っている名前なの?」
気を失ったままのふりをしている最中でありながら、輝が緊張したのが隣で伝わってきた。幸い、敵二人には気づかれなかったものの、桐子はずっと気になっていたのだ。
言うべきか否か迷うそぶりを見せた輝だが、敵同士ではあるものの、勝手の知らない敵地でなし崩し的に一蓮托生の状況になったためか、やがて重い口を開いて告白した。
「名張は昔、子供を使って異能適合実験をしていた、最低最悪の野郎さ」
思ったよりも厄介な場所に辿り着いてしまったのかもしれないな、と桐子は直感した。




