77もう少し忍びなさい
篠崎輝の反応はいまいち遅かった。面識のない敵組織のメンバーのことなどいちいち把握していないものなのかとも思ったが、どうやらそうではなく、記憶を引っ張り出すのに少々時間がかかっただけのようだった。桐子は輝と直接交戦したことはなかったので、おそらく桐子の顔は写真か何かで見ただけなのだろう。
ともあれ、お互いの素性は割れたわけである。桐子が一つ失敗したと思ったのは、うっかり輝の前で舟織一高指定のセーラー服の姿のまま出てきてしまったことである。察しのいい人間なら、万里が通うのと同じ高校の制服を敵組織の人間が着ていたら「あれ?」と思うだろう。しかし、とりあえず輝が察しのいい人間とは思えないので、まあさほど危機感を覚える必要はないだろう、と桐子は結論付ける。万里も、以前、八樫神社で見た女子生徒の制服がどこの学校のものであるかなど、ちっともピンときていなかった。男子から見て、他校の女子の制服に対する認識など、所詮はその程度ということだ。
桐子と万里が同じ高校に通っており、あまつさえ同じクラスで同じ部活であるという恐ろしい事実に、目の前の少年が辿り着くことはないだろう。それについては安堵してから、桐子は話を先に進めることにする。
「そうよ、敵よ。敵にこんなほいほい嗅ぎつけられるようじゃ、秘密基地が聞いて呆れるわね」
桐子が拾った生徒手帳を突っ返すと、輝は屈辱のせいか微かに顔を赤くする。
「俺がこれ以上強くなるのを恐れて特訓を妨害しに来たのか!」
「そんなわけないでしょう、自意識過剰ね」
これ以上もなにも、まず桐子は輝の実力を知らない。とはいえ、だいたいの推測ならできる。輝は特訓して万里より強くなろうとしている、ということは、現時点では万里に劣るということだ。桐子自身は万里より劣っているとは絶対に認めたくないので、必然的に序列は「桐子≒万里>輝」ということになる。まあ、そんな見栄と雑な推測を抜きにしたとしても、一般人にすら特訓を嗅ぎつけられて怪しまれ、敵の素性にもすぐには思い当たらず、なんだかトンチンカンな言動を度々もらし、あと堂々と誤字をやらかしている、等々のポイントから判断するに、身も蓋もない言い方をすれば、輝はあまり優秀ではない。今のところ、桐子が輝を脅威に感じる要素はないのである。
ざっくり言ってしまえば、「別に放っておいても問題なさそう」である。
目の前に遺産があって、それを取り合う必要がある状況ならまだしも、何もないのであれば、桐子が勢い込んで輝と戦う必要はない。特訓を妨害する必要性も特にない。まあ、コンプレックスを侮辱された恨みはあるが、子供の戯言だと思って、ここは水に流そう。
「弱い者いじめをする趣味はないの。特訓でも何でも、好きにすればいいわ。けれど、この場所はやめなさい。近くの中学の生徒が不安がっているの。仮にも秘密結社の一員である認識があるなら、もう少し忍びなさい」
輝がうっと言葉を詰まらせた。それから、しゅんと解りやすくしょげてみせる。
「ここなら絶対大丈夫だと思ったんだけどなあ」
「特訓なんて、救済社の拠点にそれらしいスペースの一つや二つないの?」
「そりゃあるけど、俺は内緒で特訓したいんだよ。いつの間にか強くなってる、って見直されたいのさ」
「まあ、そういう気持ちも解らなくはありませんけれど……」
特に万里は性悪男なので、桐子にも彼をたまにはぎゃふんと言わせてやりたいという気持ちがなくはないので、輝の言いたいこともだいたい解るような気がする。しかし、かといって輝がこんなところできいきい奇声を上げて周りから不審に思われながら特訓を続けることを容認することはできない。
「そこそこ広くて、壊しても怒られなくて、救済社のみんなに知られない場所って、なかなかないんだよなぁ」
この場所も結構苦労して見つけたんだ、と輝は自慢げに言う。確かに、古くても体育館だけあって広さは結構ある。既に使われなくなっている場所なので、多少暴れて傷がついても困る人間は比較的少ないかもしれない。怒られないかというと、微妙だが。
「一応訊くけれど、特訓って何をしているの?」
「そんなの決まってるさ。俺だって一つくらいは遺産を使いこなせるようになりたいからな、どれが自分に合ってるか試してるんだよ」
そう言って輝は右手を掲げてみせる。手首には腕輪が嵌っていて、金色のリングに嵌め込まれた青い宝石が煌めいている。
「俺はまだ相性のいい遺産が見つからないんだ。いくつも試してるけど、適合率が五十を超えた遺産は一つもない。少なくとも七十は超えないと、《奇術師の武器庫》には勝てないだろ。今までは遺産に頼らなくてもできる補助の仕事をメインでやってたけど、目標は打倒万里だから、いつまでもそんな調子じゃ駄目だと思って修行してる……けど、こいつもやっぱりいまいちピンとこなかったなぁ」
どうやら輝は救済社が保有する遺産をとっかえひっかえ使ってみて、自分が一番使いこなせる遺産を探し出そうとしているようだ。
それにしても、だいぶ迂闊な少年だな、と桐子は呆れる。一応、敵が目の前にいるのに、遺産を持っているアピールなどしてしまっている。目の前に遺産があって、それを取り合う必要がある状況でなければ戦う必要はないだろうと考えていた桐子だが、思いがけず目の前に遺産が飛び出してきた。
これは輝をぶっ飛ばして遺産を奪っていっても文句を言われないものだろうか。しかしそれはどうも、卑怯というか、大人げないというか、なんだかすっきりしないような気がする。いつも万里に横から遺産を体よく掻っ攫われている身としては、そんな生真面目なことを考えず、たまには逆に掻っ攫いかえしても罰は当たるまいと思う一方で、万里と同じセコイ次元に落ちるのは癪に障るのだ。
まったく悩ましいことだ、と桐子が溜息をついていると、ぎいい、と体育館の扉が軋む音がした。
二人が同時に振り返ると、扉を押し開けて男性二人組が顔を覗かせた。そのうちの一人、半袖ワイシャツに黒いスラックス姿の男は、桐子たちの姿を認めると、眦をつり上げて叫んだ。
「こら、君たち、ここは立ち入り禁止だぞ。危ないじゃないか。どこの生徒だ?」
げっ、と桐子は顔を顰め、咄嗟に警棒を後ろ手に隠す。さっさと輝を引きずって退散しておくべきだったのに、だらだらと喋っているうちに、教師に嗅ぎつけられてしまったようだ。正面扉が封鎖されたままなら、そうそうバレないだろうと高をくくっていたのが拙かった。
頭の中に瞬時に「補導」という不穏なワードが思い浮かび、学校では優等生の設定で押し通そうとしていた桐子は青ざめる。こんなところで、こんなつまらないことで問題児扱いされてしまっては、桐子の計画がガラガラと瓦解する。
どう言い訳しようか、せめて舟織一高の生徒であることだけはバレないようにしたいものだが、と脳内で必死で逃げ道を検索する。舟織一高生というワードが出てしまったら、学校に連絡がいって教師に目をつけられてしまうし、輝がどんなに馬鹿でも万里と同じ高校の生徒であることがバレてしまう。
桐子が軽くパニックになっているうちに、男二人組はずかずかと桐子たちの方に歩いてくる。輝のほうをちらりと見遣ると、彼も彼で泡を食った顔をしている。桐子が告げるまで、ここでの特訓のことは誰にもバレていないと本気で思い込んでいたくらいだから、大人たちが乗り込んできて叱られるという状況は想定外だろう。彼に上手い言い訳は期待できないな、と桐子はひっそりと溜息をつく。
最初に怒鳴った男、それとツナギ姿で眼鏡をかけた男の二人が、並んで仁王立ちをする。それだけでもう威圧感があり、桐子は思わず背筋を正してしまう。
「こんなところで何をしているんだ? 立ち入り禁止と書いてあっただろう」
「学校名と、名前と学年を言いなさい」
野太い声で叱責され、輝が萎れた様子でしおしおと正直に素性を白状する。この流れでは自分も身分を明かさなければいけなくなるのか、と桐子は気が気でない。
しかしそこで、ふと疑問に思う。桐子は勝手に、この状況でやってくるなら美守中学の教師だろうと思い込んだが、よくよく考えるとそうとは限らない。だいたい桐子は、ついこの春に中学を卒業したばかりだというのに、目の前の男二人に見覚えがない。四月に新しく来た教師という可能性も、なくはないが。だが、加えてこの二人は、人には素性を尋ねるくせに、自分たちがどこの所属の何者か、一言も口にしていない。
不審に思う気持ちが脳裏をよぎるのとほぼ同時に、横合いでバチンと何かが弾ける音がした。見ると、隣の輝が声も上げずぐらりと傾いで床に倒れるところだった。
「輝?」
敵なのだから心配する義理などないというのに、お人よしにも輝を案じ、倒れた彼を支えようと傍らに膝をつく。直後、桐子の首筋でバチバチと不穏なスパーク音が響き、全身が硬直する。
完全に不意を突かれて、スタンガンを押し当てられたのだ。それに気づいた時には、桐子は輝と同様に冷たい床に崩れ落ちていた。
音が徐々に遠ざかる世界で、男たちが嘲笑を漏らす。
「思いがけず二人も釣れたな」
「さっさと研究所に運ぶぞ」
九十度傾いた世界で、輝がずるずると男に引きずられていくのが見えた。やがて桐子の体も乱暴に引きずられるが、連れて行かれる先がどこなのか認識する前に、桐子の意識は消失した。




