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76喧嘩を売りたいらしいわね

 美守中学から自転車で五分ほど行ったところにある、旧体育館が問題の現場である。バスケットボールコートが二面取れる広さの町民体育館だが、すっかり老朽化し、数年前に別の場所に新しい体育館が建てられたため、現在は使われなくなり、危険なので立ち入り禁止になっている。

 扉は勝手に開けられないように把手に鎖がぐるぐる巻きにされているのだが、この鎖に鍵がついているわけではないので、根気よくぐるぐるしていれば外せてしまうらしい。さらに窓が割れている部分があったり、非常階段を上がった先の二階の扉はドアノブが壊れていてそもそも鍵がかかっていなかったり、老朽化具合は伊達ではなく、いろいろとザルなのでその気になれば侵入し放題である。ところどころ錆びついていて蜘蛛の巣が張りまくって埃臭い場所なので、そこまで手間をかけて中に入ろうとする輩はいないだろうと高をくくっていたのかもしれない。しかし現実には、最近になって中に入り込んでいる奴がいるらしい。

 それに気づいたのは、旧体育館前の道を通る下校途中の女子生徒たちだった。部活を終えて帰途に就いた彼女たちが旧体育館前を自転車で通りかかると、体育館の中から少年の奇声が聞こえたのだ。不審に思った生徒たちがよくよく見てみると、入り口を封鎖している鎖は解かれていた。誰かが中に侵入しているのは間違いないようだった。健全な人間なら近づかないような場所に忍び込んでやることといえば、と彼女たちが真っ先に思いついたのは、隠れて煙草を吸っているとか、いじめをしているとか、そういう後ろ暗いことだった。

 心配になった女子生徒は恐る恐る中を覗き込んでみる。予想に反して、中にいたのは男子生徒が一人きりで、煙草を吸ってもいなければいじめをしているわけでもない。ただ、なんだか一人で暴れている。とりあえず、近づいたらヤバそうな匂いを感じた生徒たちは、とりあえず学年主任の蜷川に相談した、ということらしい。

「あの子たちに教えてもらって、僕も次の日の放課後は見に行ってみたんだけど、その時は誰もいなかったんだ。いつも忍び込んでいるわけではないようでね。だから、もしまた何か気づいたら、その時に連絡をくれるように言ってあるんだ。最近の子はみんなスマホを持っているから、連絡先は交換してあるからね」

「美守中の生徒なんですか?」

「学生服姿ではあったらしいけれど、男子の制服はどこの学校も同じようなものだから、はっきりうちの生徒かどうかは解らなかったようなんだ。まあ、どこの生徒にしても、立ち入り禁止の危険な場所に忍び込んでいるのはよくないよ。非行をしているような様子ではないようだけれど、侵入自体がダメだからね」

 そこまで言ってから、蜷川は「変な話をして悪かったね」と苦笑した。

 桐子はこの話はこれっきり、という顔をして別れ、しかし校舎を出てすぐに、旧体育館を目指すことにした。

 もし自分の後輩にあたる美守中の生徒が怪しげなことをしているなら尻を蹴り飛ばしてやろうとも思うし、もしそうでなくても、母校の生徒や教師の懸念事項を減らすべくやれることがあるなら、という思いもあった。そしてもう一つ、打算的な話だが、人目を避けて隠れてこそこそ後ろ暗いことをする、といえば、もしや遺産や異能者が関わっているのでは、と考えたのだ。何でも遺産と結び付けて考えてしまうのは職業病だ。

 隠れているといっても一般の生徒に気づかれ不審がられているようでは脇が甘いので、遺産に関わっている人間の行動という可能性はあまり高くはないのだが、様子を見るくらいなら損はない。狭い町内でのことだ、放っておいたらどう転ぶか解らない、自分の方に火の粉が飛んでくる前に状況だけでも把握したいという思惑もある。どうせ帰り道なのだから大した手間ではない。桐子は歩いて旧体育館に向かった。

 蜷川の話では、女子生徒の報告を受けた翌日には、怪しい少年の姿はなかったという。毎日足繁く通っているわけではないのか、忍び込んでいる時刻が一定ではないのか、どちらにしても、今行って問題の少年と遭遇できるかは、運の要素が大きいと思っていた。そういう点からすると、桐子は結果として、運がよかった。



 旧体育館の前を走る町道から建物を遠目に眺めると、正面扉の鎖はぐるぐるに巻かれたままになっていた。今日は誰も来ていないようだと判断して、さっさと帰っても良かったのだが、何かの痕跡が残ってはいないだろうかと、桐子は念のため敷地の中に入ってみた。

 誰もいないはず、と思いながら建物に近づいていくと、思いがけず、割れた窓の隙間から微かに人の声が聞こえてきて、桐子は息を呑んだ。

 どうやら今日は、問題の少年が今まさにここにいるらしい。

 正面扉は閉まっているから、今日は別の経路から入ったということなのだろう。正面から見て「侵入済」と露骨にバレそうな侵入方法は拙いと思ったのか、ただの気まぐれなのかは不明だが、桐子としては好都合だ。遠巻きに眺める分には、中に誰かがいるとは思われないだろうから、美守中の生徒が早々に通報して後から教師がやってくる、という可能性は少ないだろう。

 ここまで来たら、相手の顔くらいは拝みたいものだ。だが、正面扉は重く、古いからかなり軋む。開ければ気づかれるのは間違いない。非常階段を上がり二階から侵入するという手もあるが、この外階段もこれまた古くてあちこち錆びていて一段踏み出すごとにぎいぎい言う。悩んだ末に、桐子は脇の割れている窓から、まず中の様子を覗くことにした。

 近づいていくと、女子生徒の証言のように、確かに少年が叫んでいる声が聞こえた。初めは、大声を上げているらしいということまでしか解らず、何を言っているかは不明瞭だったが、近づくにつれて声はやがて鮮明になってくる。

「――どうだ、これで俺の力が解ったか!」

 おや、と桐子は意外に思う。話によれば、少年は一人で勝手に大騒ぎしているような話だった。しかし今、少年は誰かに話しかけている。相手の声は聞こえないが、少なくとも中には二人以上の人間がいるということだろうか。

「俺を舐めてかかるから、痛い目を見るんだぜ――万里」

 少年の言葉に、桐子は思わず目を見開く。

 万里って、あの万里? こんなところでまであいつがいるのか? ストーカー並みについて回る因縁に桐子はうんざりする。そして同時にかなり驚いた。今の台詞をそのまま素直に受け取るなら、謎の少年が万里を圧倒していることになる。認めるのは大変癪に障るが、万里の実力はそれなりに高い。それを負かすこの少年はいったい何者なのだろう。とりあえず、敵に回ると面倒そうな相手なのは間違いない。

 様子を見るだけのつもりだった桐子は、少年の言葉で急遽予定を変更し、体育館に乱入することを決める。スカートの下に隠していた警棒を手に取り、ガラスが全部抜け落ちて枠だけになっている窓から身を滑り込ませた。

 素早く立ち上がり、少年を視界に収める。学ラン姿の少年は、気配に気づいたのかはっと桐子を振り返った。幼さの残る顔立ちからすると、中学生だろうか。

「な、何だよ、ここは俺が見つけた秘密基地だぞ、勝手に入ってくるなよっ」

 少年は自分の不法侵入を棚上げして勝手なことを言う。今時滅多に聞かない「秘密基地」というワードに、懐かしいような微笑ましいような感慨を抱きつつ、少年の奥を見遣る。少年の陰に隠れているもう一つの人影。まじまじと凝視して、桐子は呆然とする。

 少年の後ろに立っていたのは、万里――ではなく、「万里」と書かれた紙が貼りつけてあるだけのマネキンだったのだ。予想だにしなかった光景だ。マネキンは少年の手によってぼこぼこに痛めつけられたのか、ところどころ擦り切れていたり、関節がおかしな方向に曲がっていたりして、なんだか可哀そうなことになっている。いったい本人にどんな恨みがあるのか、えらく容赦のない痛めつけ具合である。よれよれになった紙には「打到!万里」とマジックででかでかと書いてある。何だかよく解らないが、とりあえず誤字であることは解る。

「あなた、こんなところで何をしているの?」

 不審な行動をとっていることには違いないので、桐子はとりあえず詰問してみる。

「俺はここで特訓の最中なんだ、邪魔しないでくれよ」

 つまり、マネキンが特訓相手というわけか。動かないマネキン相手の特訓がどれだけ効果があるかは解らないが、とりあえずその武者修行は、「万里」を倒すためのものなのだろう。

「誰よ、万里って」

 たぶん碓氷万里のことだろうな、と思いつつも、桐子は知らないふりをして訊く。

「俺の先輩で、俺のチームのリーダーでもある。が、いずれ俺のほうが強くなって、俺がリーダーになるんだ。……とにかく、余計な邪魔をしないでくれ。JCがこんなところに来るもんじゃないんだって」

「は?」

 桐子は少年に詰め寄り、大人げなくも胸ぐらを掴んで恫喝する。

「私のどこがJCに見えるっていうのかしら? こちとられっきとしたJKよ」

「嘘だぁっ。JKっていうのは魅力的な体つきをしてるもんだって兄ちゃんが言ってたぜ。こんな平坦なJKがいるもんかよ」

 言ってから、少年は「しまった」と言いたげな失言を悔いる顔をしたが、もう遅い。

「万里の前に私に喧嘩を売りたいらしいわね」

 年下の戯言にいちいちキレるなど大人げないことこの上ないのだが、こと自分のコンプレックスを抉る奴に対しては容赦という言葉を知らない桐子である。

 胸ぐらを掴んでゆさゆさしていると、少年の懐から手帳のようなものがぽろりと落ちた。桐子は少年を手荒に突き飛ばしてそれを拾い上げる。どうやら生徒手帳のようだった。

「舟織第二中学一年、篠崎輝……」

 手帳の記載を読み上げ、桐子は首を傾げる。

「どうして舟織の中学生が、こんなところにいるの」

 舟織市は美守町の隣だが、バスでまあまあの時間がかかる。中学生が放課後に一人で来るには、距離のある場所だ。

「家の近所で特訓なんかできないだろ。いろいろと尋ね歩いて、ようやく見つけたのがここの秘密基地なんだって」

「立ち入り禁止の場所を勝手に秘密基地認定するんじゃないわよ。見つかったら普通に補導されるわよ」

「見つかるなんてへまをするわけないだろ」

 いやすでに見つかってるんだって。どうやらとっくに問題になっていることを認識していないらしい少年・輝に桐子は呆れ返る。そんな調子で万里に勝つのは難しいんじゃないだろうかとも思う。

「毎日こんなところに来ているの?」

「まあ、二日に一回くらいは。時間が空いているときに来てるぜ」

 輝を発見した生徒たちが教師に報告した翌日は姿が見えなかったという話だが、教師の見回りを察知して身を隠したというようなわけではなく、偶然その日はいなかっただけ、というのが真相のようだ。

 と、そこまでいろいろと打ち明けた後に、輝は今更な質問をする。

「で、結局そっちは、何、者……」

 問いかけた輝が次第に表情を失くしていって凍り付いた。

 桐子の方は、輝の正体に察しがついていた。万里が先輩でチームリーダーということは、まあ十中八九、輝は救済社のエージェントに違いない。そして、救済社の人間なら、敵異能者の顔くらい知っていてもおかしくない。今までリアクションがやたらと薄かったのが不思議だったのだが、どうやらピンときていなかっただけらしい。

 桐子の正体に思い当たったらしい輝は、青ざめた顔で叫んだ。

「……敵じゃん!」

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