74妙な動きをしている人間が
月曜日、放課後の部室で、演劇部員五人はミーティングを行っていた。依頼公演が無事に――とは言い難いが、劇自体は成功に――終わったので、その講評と、いよいよ受験勉強に本腰を入れる必要に迫られた三年生の部長からの引継ぎのためである。
「本当ならもっと皆さんと演劇を続けたいのですが、受験に専念するため、三年生はこのあたりで引退となります」
唯一の三年生部員である弓香が寂しそうに告げる。
「通常なら、一年間経験して活動内容を解っている二年生に諸々の役職を引き継ぐところですが、今年は私が抜けた後は一年生しか残りません。通年のスケジュールや事務作業についてはマニュアルがありますので、それをお渡しします。私も余裕があるときは顔を出しますし、顧問の大庭先生にもマメに見に来てもらうようにお願いしてありますので、あとは一年生で協力して、演劇部を守っていってくださいね」
今後の演劇部は、主に新部長となる雪音が引っ張っていくことになる。部長が誰になるかの選定過程にはいろいろな話があった。桐子を推す意見も出たが、「若干、猪突猛進感があるよね」という点を自他ともに認めたため、最終的には冷静かつリーダーシップのある雪音が満場一致で部長となった。
二月ごろになれば、大庭顧問も交えて弓香の送別会を計画することになるわけだが、ひとまず弓香は九月で引退ということになった。短い期間だったが、面倒見よくしてくれた部長の引退に、一年生たちはひとしきり寂しがった。廃部寸前だった演劇部を何とか存続させるため、一年生ながらも部長と一緒に勧誘活動に奔走していた雪音と伊吹は、特にしんみりしていた。それを弓香は、「困ったことがあったら相談に乗るから、頑張って」と励まし肩を叩いていた。
やがて弓香が雪音に簡単に引継ぎをして、ミーティングは終了した。解散となり、弓香は「実は勉強が切羽詰まっていて」と苦笑しながら、いそいそと部室を出て行った。
残された部員たちもそれぞれに帰り支度を始める。そんな中、伊吹がしみじみと呟く。
「それにしても、部長と一緒にやる最後の劇が成功してよかったよなぁ」
「そうね、劇自体は、成功だったものね」
雪音が同意を示す。交通安全教室での劇は、弓香の迫真のナレーション、伊吹の体を張ったスタントなどが功を奏し、評判は上々だった。問題があったのは劇以外の部分だった。もっとも、それについても弓香は「演劇部の公演ってだいたい平和には終わらないんですよねえ」と達観している風だったが。
「俺が休んでた時にそんなことになってたなんて……なんか、悪いな。みんな無事でよかったよ」
土曜日の劇を唯一欠席した万里が申し訳なさそうに言う。
「碓氷君が気にすることないよ。巻き込まれなくて済んだ方がいいものね。あれかな、やっぱり日ごろの行いがいいから災難から逃げられるのかな」
「それ、俺たちの日ごろの行いが悪いことになってないか?」
雪音が万里をフォローしようと適当なことを言うが、適当すぎるので伊吹からツッコミが飛ぶ。まあとにかく、気にすることはない、ということで全員の見解は一致している。
とはいえ、万里だけが災難を逃れた、というのは実は違う。雪音と伊吹は知らないものの、万里もきっちり渦中にいたことを、桐子は知っている。おそらく弓香も解っているだろう。
帆引学園の危機を救った正体不明の救世主「きつね仮面」の素顔は、何を隠そう万里である。いや、何を隠そうというか、たぶん本人は隠す気がない。どこからともなく得物を取り出す能力は、子供たち相手なら「テレビでよく見る光景だ」で済むかもしれないが、桐子にしてみればいつも見慣れた《奇術師の武器庫》の異能である。
バイトが忙しいから劇には参加できないと言っていた万里が、なぜ当日に居合わせていたのか。なんやかんやで劇がどうなったのか気にしてこっそり見学に来ていたのか、仕事をしていたら偶然演劇部と同じところに来てしまったのか、それとも帆引学園が気になって探りを入れに来たのか。
桐子は帆引学園を辞す際に、同い年で施設の最年長でもある少年・柏木悠馬から話を聞いた。かつて施設に入所してた柏木と同級生の少年のこと。小学生の時に里親に引き取られたという少年の名前は、碓氷万里だと、柏木は言っていた。今にして思えば、先日、生徒会副会長の紙村が帆引学園の名前に聞き覚えがあると言っていたのは、帯刀に命じられて万里のことを調べたときに検索されたからだろう。
万里は帆引学園の出身だった。偶然にもというべきか、運命的にというべきか、彼はかつて自分が育った場所に行き着いた。彼があの日あの場所に来た経緯は不明だが、結局のところは、目の前で始まった予定外の事件に柏木たちが巻き込まれてしまい、いてもたってもいられずに、顔を隠して乱入してきたといったところだろう。
万里は、桐子が「きつね仮面」の正体を知っていることは承知しているだろう。だがおそらく、桐子が彼の出自に偶然辿り着いたことまではまだ知らないだろう。副会長からの前情報や、柏木からたまたま見せてもらった写真など、いろいろな偶然が重なったために知ることになった事実だからだ。
当然、周りに吹聴するような話ではないし、「知っている」と面と向かって宣言する話でもない。クラスメイトとして話すには、デリケートでプライベートすぎる話題だし、敵として話すようなことでもない。「知られている」ということを知らないでいたほうがいいこともある。
加えて、帆引学園については、初瀬御世が語った「人身売買」やら「人体実験」やらの話が絡む。万里は里親に引き取られたと、柏木は言っていた。この里親が「本物」だったのか「偽物」だったのかで、彼の出自の話はどう転ぶか解らない。里親とやらが実は偽物で、万里が行き着いた先が新しい家庭ではなく後ろ暗い組織だったのだとしたら? 彼は初瀬が語っていた、異能の実験の被害者だったのだろうか。
『俺、知られるとマズイ秘密、結構抱えてるもんでさ』
『俺を実験台にするのはやめてくれよ。そういうのあんまり好きじゃないし』
いつだったか万里が言っていた言葉が脳裏に蘇る。ただの軽口だと思っていた言葉が今更ながらに意味深に聞こえてくる。
……今はまだ、触れるべきではないだろう、と桐子は判断した。
まったく、敵のことを、どうしてこうも気にかけてやらないといけないのだと、桐子は釈然としない気分である。一方で、敵であっても踏み荒らしてはいけない領域というものはあるだろうとも思っている。しかるべき時が来るまでは、触れずにそっと、自分の記憶の片隅に封じておこうと、桐子は決めた。
★★★
夕飯を簡単に済ませた後、万里は救済社のオフィスに赴いた。社長の在処からの呼び出しだったのだ。長い一週間が始まり、むしむし暑いし、明日までの授業の課題は山積みだしというところに、仕事の話となると、憂鬱さに拍車がかかる。正直面倒だな、と思いながら、そして思うだけでは飽き足らずさりげなく表情にも出しながら、万里は社長室を訪ねた。
デスクでパソコンと睨めっこして、高速でタイピングをして「ものすごく仕事が早い女性社長」感を醸し出す在処は、ちらりと顔を上げて万里を見遣ると、困った部下を窘める調子で言う。
「万里。土曜日の件の報告書はどうなっているのかしら。任務についての報告書は基本的に翌日までにお願いしているでしょう」
「翌日までって……いやいや、土曜日ったって、あれは解決までに日を跨いだんだよ。今日中でいいっしょ」
土曜日の件とは、在処から直々に命じられた「斡旋者」に関する事案だ。
異能者について研究しようとする者は一定数いる。彼らが求めているのは研究に必要な、なるべく多くのサンプルだ。つまり、大量の遺産と、大勢の人間。遺産の方は所詮はモノでしかない。失敗したら、モノが壊れるだけだ。しかし、人間の方はそうはいかない。ゆえに研究者は、失敗しても文句を言わない、問題の起こらない、都合のいい人間を求めている。
そんな研究者たちに、サンプル向きの人間を売りつけるのが「斡旋者」である。要は人身売買組織なわけだが、斡旋者が主に狙うのはまだ年端もいかない子供だ。その昔は、あちこちの児童養護施設に善良な里親を装って近づき、里子として子供を引き取り、密やかに標的を捕獲していた。
今回は顧客が無茶な発注をしたせいで、斡旋者はのんびり時間を費やしている余裕がなかった。ゆえに、警察沙汰になることも承知で誘拐という手段を用い、短期間で目標数の子供を仕入れようとした。事件化したところで、迷宮入りしてしまえば関係ないという理論だ。
そして斡旋者・御子柴の動きを追跡しているうちに、彼が帆引学園に目を付けたことを、万里は知った。諸々の事情により近づかないようにしてきたかつての古巣を避けて通れない事態になり、苦渋の決断で施設を見張りに行った。そうしたら、知ってはいたことだが桐子たちがいるし、予想以上に御子柴は荒っぽい手段を用いていて怪我人が出かねない勢いだったしで、しばらく御子柴を泳がせておこうと考えていた万里は計画を変更し、正体を隠して御子柴を撃退することにした。もっとも、《武器庫》の異能を遠慮なく使ったので、桐子には正体を隠せていないことは理解しているが。
ともあれ、御子柴を追い払い、施設は守られた。そしてそこから先が万里の仕事の大詰めのところであった。在処の要求は、御子柴のような末端を一人蹴散らすことなどではなく、その先にいる斡旋者の組織を壊滅させることである。間抜けにも発信機を付けたまま拠点に帰投した御子柴を追跡し、仲間を引き連れ拠点に夜襲をかけたのが土曜日の夜九時のことである。胡散臭い組織は夜こそ仕事に励んでいるようで、構成員が見事に揃っていて一網打尽には好都合だった。
二時間くらいで済むかな、と適当に見積もっていた万里は、意外と組織を一つ潰すのは大変だということを知った。素直に投降してくれれば話は早かったのだろうが、思いのほかしぶとく抵抗を続けられたものだから、全部片づけて家に帰ってこれたのは日付が変わってからのことだった。疲れていたし、報告書などを仕上げている暇などなかった。そして翌月曜日は高校生らしく真面目に学校に来たわけなので、やはりそんな暇はなく、今からやろう、そのうちやろう、適当にやろう、と思っているうちに、しびれを切らした在処に呼び出されたという次第だ。
「あなたが疲れているうえに忙しいことは重々承知よ。けれど、こんな重要案件を、『とりま終わったから』の一言で済ませられるわけないのは当然よね?」
「ですよねー」
「それと、もうちょっと静かに片付けられなかったの?」
疲れたような顔で、在処はデスクの上に広げてある、今日の朝刊をばしばしと叩いてみせる。一般企業を装っていた斡旋者の拠点は大規模火災に見舞われ、本日朝刊の地域面では小さくひっそりと「原因不明の工場火災」などという見出しが躍っていたわけだが、原因は万里の大暴れに因るところである。曲がりなりにも秘密結社の一員なら、もうちょっと秘密裏に何とかしろ、新聞に載るような事件を起こすな、ということらしい。
「いや、やっぱり万全を期すなら焼却処分しかないかな、って。大丈夫だよ、新聞にも書いてあるけど、死人は出してないから。逃げる際に転んで怪我をしたってていで手足折って、火災のショックで一時的に健忘症状が出てるってていで記憶消したくらいしかやってないよ」
「きっちりえぐいことしてるじゃない」
ツッコミを入れつつも、在処は「まあ、いいけどね」と肩を竦める。
「ただ気になるのは、今回、斡旋者に、二週間以内に子供五人なんて無茶な依頼を出した客がどこのどいつかってことだな」
「斡旋者の顧客リストは?」
「乗り込んだ時点でリストは消された」
「依頼人の秘密は守る、素晴らしい商売人根性ね。まあ、遺産や異能者の研究をしている連中は腐るほどいるらしいから、特定は難しいわね」
「まあ、しばらくは通常運転で順当に遺産回収に専念するよ。研究したくても、遺産がなければやりようがない。主要な遺産をうちで掻き集めちまえば、どこぞの組織の計画は頓挫するだろ」
「それでいいわ。じゃあ、報告書、今日中に」
しっかりと釘を刺されたところで話は終わった。万里は社長室を辞し、渋々ながらも報告書を仕上げるべく、自分のオフィスに向かう。
エレベーターホールで下りボタンを押して待っていると、十秒ほどで扉が開き、上がってきた箱に乗っていた男と目が合った。
「む、碓氷か。昨日は大仕事だったらしいな」
降りてきたのは白鷺文月だった。適当に挨拶をして仕事に向かおうとした万里だったが、ふと、白鷺がこのフロアにやってきた用件が気になって足を止めた。この階にあるのは在処の社長室くらいだ。十中八九、白鷺は在処に用事があるということになる。
「社長に報告するような重要案件でもあったんですか」
白鷺は言うか言うまいか少し悩む風だったが、やがて「お前も知っておいた方がいいか」と呟いてから打ち明けた。
「内通者疑惑のことを覚えているな」
「内通者? あー、はいはい、覚えてます覚えてます」
絶対忘れていただろうと言いたげな疑惑全開の視線を白鷺は向けてきたが、万里は涼しい顔で続きを促す。
「実は一人、妙な動きをしている人間がいる。それを一応、社長に報告しようと思ってな」
「誰ですか」
「お前の部下の、篠崎輝だ」
「輝が?」
予想外の名前に、万里は瞠目した。




