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三章

 『良かったのか?』

 『どういうことだよ?』

 『おまえ姫に告ったんだろう? それならさ。あいつにも相当の振る舞いを求めるべきだろうが。受け入れられるかは、別として』

 頭悪いくせに、回りくどい表現するよなぁ。ようするにしのぶちゃんはこう言いたいのだ。『付き合っちまえ』と。

 『円居さんがぼくについてどう振舞うのかは、それは彼女の自由だろう? そもそも男女交際なんて、所詮は他国から輸入されて一時的に流行っているだけの文化さ。それにおけるマナーや風習に、誰もが沿う必要もない。ただ、ぼくは円居さんを好きで、彼女はそれを知っている。これで良いじゃないか』

 現実の女性というものを知る以前、すなわち円居さんと出会う前に良くやっていた言い訳を織り交ぜつつ、ぼくは送信する。

 『本当にそれで良いのか?』

 が、しのぶちゃんの反論はあまりに無慈悲だった。

 何と答えよう。思いつつ、ぼくはパソコンの画面から目を逸らした。退院後、円居さんやしのぶちゃんとメールのやり取りをするのが日課となってしまった。

 そしてアドレスを教わる時に危惧したとおりというべきか、内気がちな彼女は自分からメールを送ってくることが少ない。それでも、ぼくと会話を持ちたがってくれているみたいで、日によって二時間おきに『ヘビ君の調子はどうですか?』と送信して来る時もある。死ねるほど嬉しい。

 『つーか親友のあたしが言うのも難だけどさ。あいつのどこに惚れたんだおまえ?』

 『知るかよ』

 自分が人に何言ったか忘れているんじゃなかろうか、この子は。

 『博愛主義で、ちょっぴり独善的だけどがむしゃらに優しくて、受容性が無限大で、照れ屋で、たおやかでおっとりしてて、正直で、真っ直ぐで、ひょっとしたら被虐癖があって、自分のことに無頓着で、人のことをものすごく理解してくれて、それでいてマイペースで、割と場当たり的で、ものすごいレベルの天然で、強くて、皆の幸せを心から願っている、かわいい円居さんだから、惚れたんだよ』

 しばらく、せせら笑うような沈黙があって

 『今の文章、姫に送っとくから』

 『やめろ』

 『いやだ』

 『やめろ!』

 『い や だ!』

 『や め ろ !』

 その後、しのぶちゃんとものすごくレベルの低いやり取りがあって、結局、その文章が円居さんに知れるのは免れた。

 『なら直接言ってやれよ。おまえならその時のあいつの反応、頭の中で千回は再生して楽しめるだろう?』

 『口にしている途中でぼくが死ねるよ。こちとらどれだけ内気で陰気で捻くれてると思ってんだ』

 『自慢みたいに言うなよ』

 そうだよね。

 『おまえがあいつを本当に好きなのは分かったよ。姫はふつうにカレシとか作って幸せになるべきだ』

 『さしあたって、ぼくとくっ付けようと?』

 『さー。それに見合うかどうかだよ』

 画面の向こうで、しのぶちゃんがシニカルに微笑むのが分かった。

 『ところでさ。前から気になっていたんだけれど。円居さんくらいの女の子なら、今までも食指を伸ばしやがった不届きな糞尿野郎が、何人かいたことだろ? そういうのは結局、どうなった訳』

 と、自然に打ち出した文章は、ぼくにとって割と洒落にならない大問題だった。言い回しもなんだか陰気な敵意に満ちている。ソフトな文体に変換するのも面倒だったので、そのまましのぶちゃんに送信した。

 『あたしが露払いやってたから安心しろ』

 おそらくは自信満々だろうしのぶちゃん。

 『そうじゃなくて。円居さん自身の反応だよ』

 『ふつうに断ってたよ。土谷っつー腹の立つ類のハンサム野郎がいてな。姫の奴を口説こうとしたんだが。姫は何て言って断ったと思う?』

 『流石にそれは想像できないかな』

 『顔を真っ赤にして、心の底から申し訳なさそうに、こうだ「ごめんなさい。あなたがわたしに望むような感情を、きっとわたしは持てないと思うの」』

 ぼくは画面に向かって大いに噴出した。

 ざまぁねぇな土谷ぁ! ぎゃははは。

 『こんなこと言われて、その陰険な土谷という男は姫に手を出そうとした。そこで、物陰に隠れていたあたしの登場だ。女子中学生の凶行、同級生男子、全治一ヶ月ってな』

 『プゲラwww ざまぁwwwwwっうぇうぇww』

 『何言ってんだ?』

 『悪い。取り乱した』

 まったく。我ながら、恐ろしく性格が悪い。

 『だから安心しろ。おまえは姫にとって、まったくその気がない少年Aではないという訳さ。さもなきゃ、あの時にそれはもう残酷なくらいこっ酷く振られてる。おまえがあいつに望むような感情を、あいつも少しは持っているのさ』

 『……どうなのかなぁ』

 あの女神のような女の子が、ぼくに対して慈愛以外の感情を持ってくれるようには、どうしても思えないのだけれど。

 と言うか、しのぶちゃん。全治一ヶ月って、一体何をしたんだ?

 『ついで言っておくと。これからはその露払い役を、おまえがしなくちゃいけないことになる。分かるな?』

 『やってみるよ』

 どうしても陰気な方法になってしまうだろうけどね。まぁ円居さんに手を出す奴が相手なら、いくらでも残酷になれるつもりだ。

 『しかし何というのか。おまえ、自分のこと陰気だの根暗だの言うし、実際そのとおりなんだけれど。それでもおまえが考えるほど友達のできにくい奴とは、あたしには思えないんだが?』

 と、今までの会話を全て忘却してしまったかのような送信があった。

 この子はこれで結構、会話の線引きとかする方だと思っていたのだけれど。彼女的には、これは踏み込んでOKということらしい。

 『ぼくには先天的な病気があってね。同性の人物の身体的な能力に障害を来たすフェロモンを体中から分泌しているんだ。かつて、これの所為で多くの人間が犠牲になった。そんなことが二度と起こらないように、ぼくは友人を作らないよう努力している』

 これはもちろん嘘である。しかしここはあまり頭の周りの良くないしのぶちゃんのこと、その返信は

 『なんかすげーな。苦労してんなおまえ』

 というものだった。うん、おもしろい。

 『冗談だよ』

 ぼくは送信する。

 しのぶちゃんの言うことは、まあ、酷くナンセンスだ。

 性格が悪くて実力も無い男なら世の中にいくらでもいる。そしてふつうは、そういうのはそういうので肩を寄せ合って生きるもの。実際ぼくもそうしていたこともあったのだけれど、その内に一種の同属嫌悪が芽生えて来るものだ。

 ぼくの中に、ではない。ぼく以外の、ぼくの仲間達の中に、それは芽生えるのだ。

 醜悪な人格の持ち主同士は、皆こいつよりはマシだとお互いを心中口中罵りあう。似た者同士で何でそんなことしなきゃならんのだと思いつつ、ぼくはその居心地の悪さに押し潰されて、その集団の中でも、淘汰されてしまう。

 簡単にその集団から離れることができたのは、ぼくの方も連中をあまり好いていなかったからに違いがないのだが。上っ面の関係を維持できるほど、ぼくは成熟していないということだろう。

 『冗談?』

 『ああ。君が思うよりもずっとぼくは陰険な根暗なのさ。それよか、どうして君のような明るく活発で、気持ちの強さもある人間が不登校に陥るのかということが、ぼくには不思議でたまらないのだけれど』

 若干の沈黙があった。

 『だって学校とかつまらんし』

 しのぶちゃんからの送信。

 『いやいや危機感とかはあるんだぜ? 高校出なきゃ適わない夢もあるし』

 『何だよそれ』

 『警察官』

 けーさつかん。

 ものすごく良い夢じゃないか。

まずい、こんな予想しやすいことだとは予想できなかった。

 『国家試験の勉強だって、頭悪いなりにやってんだ。日によって続いたり、続かなかったりしながらな』

 『どうして警察官なんだよ』

 『スリルとサスペンスじゃん?』

 スリルとサスペンスらしい。

 『新学期になって三日で学校行かなくなったあたしに、姫がやたらと刑事物の推理小説とか刑事ドラマとか勧めてきやがるんで。これは高校卒業して試験受けて刑事になれってお布施だと思った。間違いない』

 良くそんなんで伝わったな。流石に付き合いは長いのか。

 円居さんはしのぶちゃんに、何か夢を持ってもらいたかったのだろう。そうしたら少しは学校に行くモチベーションも沸くと思ったのだ。そして、しのぶちゃんの適正とか、興味の引かれやすい性格とかも加味した上で、警官を志望させた。

 何というか。すごいな、と思う反面、恐ろしくもある。

 いくら幼馴染だとは言え、他人の人生をそんな風に決めてしまえるものだろうか。

 「まあ。円居さんなら仕方ない」

 その行為の根底にあるのは、純度ほぼ百パーセントの好意なのだから。

 『じゃあ尚更高校は卒業しろよ』

 『そう思ってなるべく通うようにしてんだよ。レベル最底辺の高校だから、テストはちょろくて出席日数さえどうにかすりゃ良いんだが。これが続かない続かない。毎日同じ時間に同じこと、しかもつまらないところでつまらないことをするなんて、なかなかできやしねぇよ』

 ううむ。不思議だ。相当ダメなことを言っているのに、心の底から同意できてしまう。

 『じゃあさ。何も、最初っから学校に通うことはないんじゃない?』

 一瞬の沈黙。

 『どういうことだ?』

 『いいやさ。これはぼくが小学六年生でひきこもった時、カウンセラーの人に勧められたことなんだけれど。学校に通う意思はある、けどなかなか続かない。じゃあ、まずは学校以外のところに毎日通うようにして、継続力を身に付ける。その後で、学校に行くようにする訳だ』

 『回りくどい方法だなー。それ考えた奴絶対頭悪いって』

 『確かに、小学六年生のぼくに分かる程度には、あまり優秀でない人だったね』

 三十近いのに自分のことを『お兄さん』と呼ばせたがった、あの人のことを思い出す。カウンセラーってふつうは女性だろとか今更に思うのだけれど。まあまあ良い人ではあったよな。

 『でもさ。学校だからこそ、通う気にならないっていうのもあると思うんだ。そこで、とりあえず毎日何かを達成しているという自信と、単純な早寝早起きを身に付けさせて、最後に持続させるべき努力を毎日の登校に切り替えてやれば、成功するんじゃないかな。よっぽど学校に嫌なことでもなけりゃ』

 『そりゃ学校に嫌なことはないけれどさ。良いことも一つもない』

 『じゃあまずは少しは楽しい場所に通えば良いじゃない。西条デパートに八時、開店時間ちょうどだ。ぼくの場合、所定の場所でいつもカウンセラーが待っていた』

 ちょっと子供扱いのし過ぎだろうかな、とか思わなくも無い。

 と言うかどうして、こんなぼくにこう説教染みたことができるんだろう。適当に戯言ほざいてただけにして、謝っとこうかな、と投げやりなことを考えた。

 ひょっとしたら、この子とは似た者同士なのかも知れない。

 何て、そんなことが頭を過ぎる。

 『分かったよ』

 と、そこでしのぶちゃんから返信があった。

 なのでぼくとしては、それは大いに困った。


 「……寝過ごした」

 しのぶちゃんと約束をした、その翌日の土曜日。ぼくが目を覚ましたのは九時前のあたりであった。それも自分の意思で起き出したのではなく、円居さんのチャイムで起こされてのことだった。

 「しのぶちゃんから話は聞いたよ」

 「面目ない」

 言って、ぼくは顔を伏せて頬をかく。どうも、円居さんからメッセージがあったのを、寝ていて気付かなかったらしい。休日は昼過ぎまで寝る習慣が着いてんだよなぁ。せめて早寝しておくんだった。

 「仕方ないよ。今日の失敗より、明日の成功を考えましょう」

 円居さんはそう言って爛漫に笑う。それから何やら考え込むように首を傾げて、おずおずと言い始めた。

 「アユムさんには、ちょっとした才能があると思うのよ」

 「何だよ? それ」

 「ただのメールのやり取りで、偏屈なしのぶちゃんがデパート通いをすることを、決意しないわ」

 それは確かに。会話の際、言葉によって相手から受け取れる情報は、せいぜい一割程度だという話だし。文章だけのやり取りにはどうしても限界があるはず。

 「それはあの子が単純だからじゃないのかい?」

 ちょっと酷いこと言ったかな。円居さんは何かを考えるように、かわいらしく目をくりくりとさせた。

 「しのぶちゃんは単純なんかじゃないよ。ものすごい人嫌いで、いつも何かに怯えてる。あの子がわたし以外と打ち解けたのは、きっとアユムさんが初めて」

 「まぁ。気は合ったかな」

 根本的な部分で愚かだという点と、たいていのことはバカにされても飄々としていられるという点で。

 しのぶちゃんと言えば、最初にメールで話をした相手でもある。最近気付いたことは、ぼくは結構なネット弁慶であるということだ。ヒカル君の飼い方について掲示板で訊いていた時なんか、相当にいきいきしていたし。

 「アユムさん。あなたってば、表情とか、声調とか、分からなくてもある程度人が分かるでしょう。それってすごいことだと思わない?」

 「……いやいや円居さん。ぼくにそんな超能力はないって。ただ、しのぶちゃんがあけっぴろ過ぎるだけ」

 「そんなことないよ」

 「いやいや円居さん。これは悪い意味合いではないんだ。ぼくはあけっぴろなしのぶちゃんのことを、嫌いじゃない。自分にとって、とても近しい人間に感じられるからね」

 ぼくが言うと、円居さんはどうしてか寂しそうな表情で、僅かに俯いてしまった。

 あれ?

 彼女のこういう、あまり良くない類の表情を、ぼくはほとんど見ることはない。特に、俯くというのは彼女には相当珍しい表情と言える。

 「あの……」

 円居さんは何故か顔を真っ赤にして、下を向いたまま、口をもにゅもにゅとさせながらおずおずとこう口にする。

 「わたしのこと、姫ちゃんて、呼んでくれますか?」

 ……へぇ?

 「確かに。しのぶちゃんのことだけ名前で呼ぶのは、ちょっと変だよね」

 今の言い回しも変だが。しのぶちゃんというのは本来、ぼくの目の前で、照れたように赤面して指を絡め合わせている女の子がそうなのだが。

 ……やばい。

 クラっときました。


 ふいに思い付いた、というよりは、彼女も違和感のようなものを感じてはいたらしい。

 あの告白依頼、ぼくと彼女に対する態度は、ほとんどまったく変わっていない。まあそれはそのはず、気持ちを伝えたからと言って、その感情が余計に強まることはあっても、変化してしまうようなことは一切あるはずもなく。

 そして彼女も、女の子として振舞うタイミングをなかなか掴めずにいた、ということだ。退院してから学校で会えたのはほんの数日だし、それ以外はしのぶちゃんと円居愛のことで密談ともつかない話し合いをしていた。そして仕舞いに、ぼくはしのぶちゃんとデパートで待ち合わせなど行なっている。そういう訳で、彼女の方から行動を起こさざるを得なかった、という訳だ。彼女にしては人間らしい。

 「……円居さん、というのは、確かに相当に他人行儀だよな」

 それにしても、姫ちゃんと呼ぶのは何かあれだ。照れる。

 「ねぇ姫ちゃん」

 胸に広がる、練乳をチューブから飲み下すような感覚。

 「何ですかアユムくん」

 そういう彼女と、赤くした顔を取っ付き合わせて、辛うじて口を開く。

 「しのぶちゃんのことなんだけどね。姫ちゃん」

 「はい。アユムくん」

 「どこにいると思う?」

 「ゲームセンターとか」

 「分かった。じゃあ姫ちゃん」

 「はい。アユムくん」

 「そこに行こう」

 「そうですね」

 さっきから、ずっとこんな感じの会話が続いている。照れが邪魔して長い文章を組み立てられない。姫ちゃん、と呼びかけることを避けながら話すということもできるのだけれど、というかそうした方が精神衛生的には良いのだけれど、何故か口を吐くのはこっ恥ずかしい呼称ばかり。

 しのぶちゃんが自分の名前を嫌うのも分かる気がした。

 「ところでアユムくん」

 西条デパート内部、エレベーターで九階部分に来た時のことだ。

 「何かな? 姫ちゃん」

 「あの……。アユムくん、自分の名前好きじゃないって良くいうけれど、どうして?」

 ああ。そのことか。

 「開道歩、漢字に変換するとね。そりゃあもう前向きな感じになるじゃないか」

 「うん。とても良いと思うわ」

 率直な感想。何とも姫ちゃんらしい。

 「小学生の時とか、担任が変わる度に『良い名前ですね』って言うんだよ。で、ぼくも自分の名前に添えるようにがんばる訳。でも、ぼくのもともとのポテンシャルは実際、知れている訳だし、結局先生はぼくのことを忘れてしまう。そういうことがある度、分不相応な名前だと意識させられてね。特に苗字の方」

 「でもアユムくん。すごく良い人じゃないですか」

 きょとん、と首を傾げる姫ちゃん。

 いやいや。あなたは何を仰るのですか。

 「あなたの名前を見て、素晴らしいと言ってくれた人がいたから。あなたはそれに沿おうとがんばれたのよ。それって、あなたとあなたの担任の先生が、すごい人だってことでしょう?」

 結局、先生の期待には沿えなかったのだけれどね。

 ぼくが苦笑すると、姫ちゃんは満足そうに微笑んだ。この子は、例えどんな笑い方でも、ぼくが笑顔を浮かべると喜ぶのだ。

 ゲームセンターでは、しのぶちゃんが懸命にといった風にUFOキャッチャーに興じていた。巨大なスヌーピーのぬいぐるみを獲得しようとがんばっている。服装がどこかのセーラー服なのは、気合の表れと見て取れる。

 「おはようございます」

 姫ちゃんがにこやかに挨拶をした。しのぶちゃんが振り向くと、キャッチャーに摘まれていたスヌーピーが落下する。

 「何だおまえら。来てくれたのか」

 目を丸くして、驚きと喜びを表現するしのぶちゃん。その人懐っこい笑みは、不登校と言う文句に程遠い。

 昨日ぼくが推理したところによると、しのぶちゃんが学校に通う目的というのは、様々な外敵から姫ちゃんを守りきることではなかったのだろうか。だから、姫ちゃんと違う高校に通うようになって、学校に通う必要性はなくなった。けれどやっぱり姫ちゃんが心配だから、四六時中メールを送って無事を確認する。姫ちゃんも、きちんとそれに返信する。

 「ごめんよ。随分と遅れてしまった」

 「いいよいいよ。まさか来てくれるとは思わなかったからな。スヌーピー取れたら姫とどっか行こうと思っていたんだけれど」

 「スヌーピーは取るんだ」

 「おう。かわいいじゃん」

 しのぶちゃんがそんな女の子らしいこと言っているのが、ちょっとおかしい。この子のことは、初めてできた同性の友達みたいに思うこともあったから。強くて頼れる、ぼくよりも背が高い、やんちゃな問題児。

 ぼくがそんなことを考えていると、「何だよ」と言った風にしのぶちゃんがこちらを睨んで来る。ぼくは言った。

 「もういくら使ってるんだい?」

 「二千六百円」

 諦めろ。

 「しのぶちゃん。ムキになるところがあるからねぇ。五千円くらいにしておくんだよ」

 今すぐやめろ。

 「大丈夫。次に取る」

 言いながら、しのぶちゃんは新たな百円玉を投入する。UFOキャッチャーが貯金箱に見える典型的瞬間だ。

 ボタンを操作し、スヌーピーの鼻っ面にクレーンを移動させるしのぶちゃん。流石に二十七回目と言うだけあって、見事な操作性だ。スヌーピーはいとも簡単に持ち上げられ、そのまま穴に落とされるのかと思いきや、一秒と持たずにクレーンから取り落とされるのであった。

 「ああ~」

 残念そうに頭をかくしのぶちゃん。ぼくはせせら笑いながら、しのぶちゃんの脇に立つ。

 「ぼくがやるよ」

 「おまえが?」

 しのぶちゃんは面食らったような顔になった。

 「確かに器用そうではあるけれどな。しかしUFOキャッチャーは簡単じゃない。店側との壮大な心理戦なんだ」

 スヌーピー一個に壮大も何もないと思うのだけれど。ぼくは自信満々の表情でしのぶちゃんに微笑んで見せて、それから胸を張りつつ、百円玉を投入する。

 「良い方法を思い付いた。このスヌーピー、もう穴のすぐ傍にあるよね?」

 「そうだな」

 「持ち上げて、そのまま落とすだろう。そうすればこのスヌーピーはきっと、右か左に倒れる。右に倒れれば穴に落ちる訳だけれど、君が二十七回チャレンジした内の一回として、そういうことは起こらなかった。おかしいと思わないかい?」

 「…………!」

 「そうさ。このクレーンはね。一度掴んだ獲物を必ず手放す上に、穴とは逆の方向に放り投げるような仕組みになっているのさ」

 「ちくしょー! 騙された!」

 店側の悪辣なる罠に、可憐な少女は騙され続けていた訳だ。ああ、何と哀しい話であろうか! 

 「差し当たって。ぼくの作戦はこうだ」

 「ふむ」

 「スヌーピーの左隣にクレーンを落とし込む。クレーンは獲物を捕らえようと口を開くだろう。その時こそ、スヌーピーはクレーンが開く力に押されて右へ横倒しになり、穴へと落ちていくということだ」

 「おまえ頭良いな! 流石アユムだ!」

 「ふふん。それほどでもないさ。それじゃあ、やるよ。まあ、十中八九成功するだろうけどね」

 「おいさ。早く取っちまえ!」

 「じゃあ行くよ!」


 二人で五千円擦りました。

 「わ。わわわ。ねぇしのぶちゃんアユムくん。助けてっ」

 メダル落としゲームで訳も分からず大フィーバーした姫ちゃんが、ぼくらに助けを求める声がする。何と無く気になったので遊んでいたら、ボーナスゲームが連チャンし続けて、メダルが攫え切れなくなったらしい。

 「何これ怖い。ねぇしのぶちゃん。わたし怒られないかなぁ」

 「……大丈夫だろ」

 メダルなんてお金に変えられる訳もない。弱気な声で言う姫ちゃんに、憔悴した様子のしのぶちゃんがそう言った。大分、懲りたらしい。

 『もうちょっと上の方に引っ掛ければ倒れるんじゃねぇか?』『もっと真ん中の方が……』『ここで台を叩くと言うのはどうよ?』『左側から引っ掛ける必要もないような……』『この足のところ、狙えないか?』『頭の上からクレーンで潰すようにすれば、弾みでどうにかなるかも……』などと問答しつつ試行錯誤。姫ちゃんが決めていた上限の五千円を突破した時は、二人とも割に清々しい気分で『諦めようか』と顔を見合わせたものである。

 「わわわ。まただ」

 ボーナスが続きすぎて、すっかり台を離れられなくなってしまった姫ちゃんの手伝いをしながら、自分の煩悩の深さに打ちひしがれる。しのぶちゃんも似たような表情で、放っておいても次々と台に満ちて行くメダルを見守っていた。

 「……これ。放っといて良いんじゃないか?」

 しのぶちゃんが言う。だがしかし、そんなことをすれば台が詰まる危険が十分にある。

 「ダメだよ。お店の人に怒られちゃう」

 もう幾つ目になっただろう箱を積み上げながら、周囲からの好機の視線に身を縮こまらせる姫ちゃん。顔を赤くしていて動きも少しぎこちない。

 「あの。後やっときましょうか?」

 そう言ってくれた大学生くらいのグループの好意に甘え、ぼくらはメダルゲームコーナーを離れた。メダルの譲渡って認められているのかなぁとか思わなくもない。

 「……怖かったよぅ」

 「ああ。本当に、恐ろしかったね」

与えられたいと願う者に潤いはなく、無欲な人間が扱いきれぬ富に振り回される。そんな不条理を垣間見た気がした。

 「さっきの人達に見られてる。そろそろお昼だし、早く出ようよ」

 「待て」

 ぼくとしのぶちゃんは同時に言って、姫ちゃんの肩をがっちりと掴んだ。

 「すぐに来て欲しいところがある」

 「速やかに移動願えるかな?」

 「……へ? な、何ですか?」

 僅かに怯えている姫ちゃんをUFOキャッチャーの前まで連行し、百円玉を投入する。

 「……これをやれば良いんですよね?」

 「如何にも」

 自信なさげに、しかし友人の為に真剣に、姫ちゃんはかちゃかちゃボタンを操作する。

 そして、一発で取りやがったのだった。


 「色々あったけれど。結果として、取れて良かったのかな?」

 姫ちゃんから進呈されたスヌーピーを抱いて、しのぶちゃんは頭を絞るように顔を顰める。

 五千百円かかったけどな。と、口にすることは憚られる。支出の半分近くはぼくだったりするので。これに懲りて、ギャンブルとかは絶対しないことにしよう。

 昼食を取ったのはそのあたりの定食屋。二人がいつも使っているのだという、安くて味の良い店だが、絶対に女の子が来るところじゃないと脂ぎった店内でそう思った。とりあえず店主、そんなでかいテレビでプロレスをしかも大音量で放送するのはやめろ。

 姫ちゃんはあまり気にしていないようで、しのぶちゃんはぼうっと眺めながら「すげー」などと呟いている。

 あいも変わらずカロリーメイトだけをぼりぼり食べている姫ちゃんに、余り物ということで親子丼を進呈し、ぼくはうどんを食べる。しのぶちゃんもそれに習っていた。

 「姫ちゃん、お金はあるんだろう? もっとちゃんとしたものを食べなくちゃ」

 と、つい口をついたぼくに、しのぶちゃんはどこか哀れむような視線を向ける。その表情は悔しさに歪んでいた。

 「良いのよ。こうしないとわたしは気分が悪くなるの」

 寂しそうに、痛々しい微笑みを浮かべる姫ちゃんだった。

 「……ごめんなさい。変なことだっていうのは、分かっているの」

 きりきりと、しのぶちゃんが歯を噛み締める音が聞こえた。

 

 そして、腹ごなしにと向かったのがボウリング場である。

 「やったことねぇんだけどな。こないだ読んだ本でおもしろそうだったから」

 と言って提案したのがしのぶちゃんである。

 「わたしはちょっと自信あるよ。お兄ちゃんと来たことあるから」

 姫ちゃんも乗り気である。ゲームでやったことのあるぼくも、実は楽しみでもあった。

 最初の手続きから三人組は要領の悪さを大いに発揮し、レーンを人数分用意してしまいそうになったり、ボールとシューズを購入しそうになったりしながら、どうにかこうにかプレイへと漕ぎ付ける。

 経験者の姫ちゃんが最初のプレイヤー。「それで、これをどうやるんだ?」と訊くしのぶちゃんに、「これを転がして、あれを倒すの」と酷くざっくりした説明をしたと思ったら、球を抱えてしゃがみ込みレーンに向かって転がした。

 のろのろ進む球をにこにこと見守る姫ちゃん。しかしコントロールは妙に正確で、真ん中から申し訳無さそうに割り行った球は、ピンをぱたぱた倒しながらレーンの奥へと吸い込まれて行く。ピンは十番を残して九本倒れた。

 「姫ちゃん。それ、違う」

 突っ込むか突っ込まないか、かわいいから良いかなぁとか思いつつ、甘やかすから余計に変になるんだと自分に言い聞かせ、ぼくは指摘した。

 「はい?」

 「その穴に指を突っ込んで、下側からレーンに投げるんだ」

 「……そうなんですか?」

 首を傾げる姫ちゃん。君のお兄さんはいったい君に何を教えたんだと、と言うか周りがやっているのを見て気付けよと、言いたいことは色々あったがまあこのあたりは姫ちゃんなら仕方が無い。

 「これを、投げるの?」

 僅かに顔を顰めながら、右手の指を突っ込んだ球を左手で抱えて立ちあがる。16と数字を振られた茶色いボールは、確かに姫ちゃんの手には余るのだろう。姫ちゃんのことだから、どういう意味かは分からないけれど、せっかくだから数字の大きな奴を選んだ、というところか。

 「こっちでやってみて」

 「はい」

 4ボンドのボールを渡すと、姫ちゃんは相当に真剣な表情でレーンを見据える。「えいや」ぎこちなくボールを放った。

 先程と比べれば壮快に、流れるようにボールはレーンを滑って行き、残りのピンを弾いて奥へと消えた。「やったぁ!」満面の笑みを浮かべる姫ちゃん。うん、才能あるかもね。

 「ようし。次はあたしだ」

 何の躊躇も無く16ボンドのボールを鷲掴み、穴に指を入れる工程を忘れている。すかさず姫ちゃんが得意げにそれを教える。「おまえ良く知ってるな」おまえは人の話を聞け。「アユムくんに教わったの」照れたように言う姫ちゃん。ごめんそれ常識。

 「んじゃ。行きますか」

 乱暴に球を放り投げるとガタンと音がしてロフトボール。あちこち軌道を変えながら球は何度もバンパーにぶち当たり、十本のピンへと横薙ぎに突っ込んだ。その素晴らしく力任せな威力にピンは壮快な音を立てて一毛打尽。

 「やったぁ!」

 「しのぶちゃん、すごい!」

 手を取り合う二人。そんなのありかよと思わなくも無いぼく。バンパーってあれ相当威力吸われるはずだよな、いったいどういう投擲力だったのだろう。

 「次はアユムだぜ」

 しのぶちゃんにそう言われ、立ち上がるぼく。

 「がんばってね」

 声援が心に染みる。しかしこの状況、見得を貼ろうと思ったら最低でもスペアを取らなければならない。どこを狙えばどう倒れるのか、テレビゲームの知識を再確認。……とは言え、嵌まりこんでいたのは確か小学六年生の時で、一回不登校になってから絵ばかり描いてゲームなんてする暇なかったんだよなぁ。いやしかし待て、いくら昔の話とは言え、確かぼくはあのゲームでパーフェクトを獲得したことも、何度もあったはず。自信を持て。

 などと。

 そんな風に考える自分に気付いて、ぼくは苦笑する。

 いつの間に、ぼくは女の子の前で格好付けようなんて、そんな当たり前のことを考えるようになったんだろうなぁ。

 「おいおい。そんな考えたって一緒だぜ」

 と、背後からしのぶちゃんの声がかかる。

 「それもそうだね」

 言って、ぼくはボールリターンに駆け寄った。

 「アユムくん。がんばって」

 姫ちゃんの声援。ぼくはとても充実した気分で、球を拾い上げた。

 運動不足のぼくにはそれはとても重たくて、それだけに、どんなピンでも倒せそうな頼もしさがあった。

 「それじゃあ」

 目一杯ピンを睨んで、腕が千切れそうになるのを感じながら、ぼくは不恰好にボールを投げ付けた。


 「しかし。まさかこんな盛り上がるとはな」

 一番は175点を獲得したしのぶちゃん。二番は152点の姫ちゃん。ぼくは三番で150点。

 無論と言うか最初っからこんな記録を打ちたてられる訳もなく、日が暮れるまでゲームを繰り返した結果である。しのぶちゃんなど、最初は100点に届かなかったが、もともとの体力と飲み込みの速さで、熟練者にも難しいその記録を獲得した。最初から最後まで得点が変わらなかったのが姫ちゃんで、最初のゲームではしのぶちゃんに「すげぇ! 天才だ!」としきりに言われていたものである。

 「でもアユムくんも、すごく記録伸びたよね」

 「まぁね」

 ゲームの知識を現実で使えるようになったのだ。とは言え、もともとぼくは運動音痴で向上心の無い根暗少年、これ以上記録が伸びることもないことだろう。

 「汗かいた」

 そう言って服の中に手を突っ込むしのぶちゃん。はしたない。

 「それは同意だね」

 「風呂入りてー」

 「それじゃ、今日はお開きにしますか」

 「おー」

 「そうだね」

 「アユムさん。明日は寝坊しちゃダメですよ」

 「面目ない」

 などと言いつつ店を出る。夜の涼しさが肌に心地良い。「それじゃ、わたしこっちなので」という姫ちゃんの脇に、ぼくとしのぶちゃんが付ける。

 「はえ?」

 「こんな夜中におまえ一人じゃ絶対に心配だ」

 と、渋い顔をするしのぶちゃん。絶対に、のところに力が入っている。以前何かあったのだろうか。

 ボウリング場と西条デパートは公園を挟んだ目鼻先の位置にあり、姫ちゃんの家から数分の距離だった。すぐ傍にコンビニもあるし、姫ちゃんの家は、相当に立地条件に恵まれていると言える。

 暗闇の中に黒塗りの屋根が溶け込み、槍の付いた丙が妖艶な迫力を放つ、誰が考えたんだと是非に問いたい悪趣味な装飾の家に姫ちゃんを送り届ける。名残惜しそうな顔をしながらも、姫ちゃんは清々しい笑顔で

 「今日は楽しかったね。ありがとう!」

 と言って家に引っ込んだ。ありがとうて。

 「しかし。姫と遊ぶといつも思うんだがな」

 「うん?」

 「こうして家に帰す時、ものすごい罪悪感があるんだ。あいつにとって、家庭っていうのは決して居心地の良いところじゃないみたいだから」

 「……言ってもしょうがないよ」

 ぼくは肩を竦める他なかった。

 「これで良いのかなぁ、このままで良いんかなぁって、いつもいつも、思って、動いて、喚いて。結局何も達成しないんだよな」

 「そんなことないさ」

 ぼくは毅然として言う。

 「そんな風に思ってくれている友達が一人でもいなきゃ、姫ちゃんは死んでしまっていたと思うよ」

 「……縁起の悪いこと言うなよな」

 「或いは、今の姫ちゃんはなかったかもしれない。君が達成したことは、姫ちゃんやぼくにとってとても大きい。感謝したりないくらいだ」

 「ありがとうよ。……しかし」

 しのぶちゃんはちょっといやらしい顔でぼくを覗き込んで、せせら笑うように

 「おまえ。いつの間にあいつのこと『姫ちゃん』なんて呼ぶようになったんだ?」

 あ。やっぱり指摘されたか。

 ぼくが嬉し恥ずかし、今朝西条デパートに向かう途中でのことを話すと、しのぶちゃんは物珍しそうな顔で何度も相槌を打った。

 「へぇ~。そうなったのか。あたしはてっきり、何のかんの言って、おまえの方からことを進展させるもんだと思ってたぜ」

 しのぶちゃんが意外に思うのももっともだ。ぼくにとっても、姫ちゃんがあんなこと言い出したのは不意打ちだったんだもの。

 「何と無く言うけれどさ。実は前に、姫から相談を受けたんだよ。『アユムさんに好きって言われた。どうしよう』って」

 「それ先言えよ!」

 つーか何と無くでカミングアウトすんな。

 「それで。何て返したの?」

 「ああ。『あいつはどうなったって受け入れるさ。姫の好きにしろよ』って送信したかな? いやーあの時は焦った焦った。まっさかあいつから恋愛ごとの相談を受けることになるなんて」

 その言い方だと、まるでしのぶちゃんが恋愛上級者のようである。とてもそんな風には見えないが。

 「おまえらはおまえらで、ちゃんと進めるべきことは進めて、考えるべきことをちゃんと考えているんだな」

 「どういうことだい?」

 「このままじゃダメだと思ってさ」

 物憂げな表情で、しのぶちゃんはどこか寂しそうにそう口にした。

 「何だよ」

 「んにゃ。おまえらのことを言ったんじゃねーぜ。あたしのこと」

 「だから、何?」

 「おまえにデパート来いって言われてさ。これに従っていれば、アユムの言うとおりにすれば、ひょっとしたら何か変わるかもしれない。そんなことを思ったんだが、しかし結局一日が過ぎてみれば、ただ休日に友達と楽しく遊んだだけだ」

 溜息を吐くように、そう話すしのぶちゃん。

 「……悪いな。これじゃ、今日一日遊んでもらったおまえらに失礼だ。……つーか、あたしが甘えすぎなんかな? 中学生の時までは、姫には指一本触れさせねーぞって粋がって、勉強はできなくてもしっかり者のつもりだったんだが。高校で姫と別れて、一人にされてダメになったのは、あたしの方だ」

 「……姫ちゃん風に言うよ」

 閑散とした、ほとんどの遊具が撤去され、寂れた児童公園が見えて来る。静かに光る外灯は、新鮮な光で僅かに夜を潤していた。

 「転んじゃったんなら立ち上がれ。誰かは見守ってくれるさ」

 我ながら、捻くれた男である。

 こんな風に陳腐な文句は、ぼくみたいなのが言っても戯言だからなぁ。だからって姫ちゃんの名前を持って来て見たのは良いけれど、結局言いたいことは完全に言えてない。誰かは見守ってくれる、何て、本当にヒネた文句だ。

 まあでもこいつなら分かるだろ。ぼくら、結構似た者同士なんだからさ。

 「君は学校に通う為の努力として西条デパートへやって来て、それでこのままのやり方じゃダメだって思った。学校に行こうとする意思と、自分で考える力を持っているんだよ」

 「…………」

 「だからさ。今日家に帰ったら、布団の中で悶々と自問自答してりゃ良いさ。もしかしたら、吹っ切れるかもだぜ? 知らないけれどさ」

 「ふふん」

 口を尖らせつつ、しのぶちゃんが笑う。

 「人の気もしりゃせんで。まあせいぜいがんばりますよ。見守ってくれてる誰かさんの為にもね」

 言って、しのぶちゃんは両手を首の後ろで組んで、そっぽを向いた。その時。

 鼻の先を何か丸いものが横切ったかと思うと、背後でガシャリと乱暴な物音が響いた。振り返ると、道路に設置されたゴミ箱が、何かを乱暴に放り込まれたようにがたがたと揺れている。

 「ナイスシュート。自分で言うのもおかしいけれど、流石は一年生で部を全国大会に導いたポイントゲッターだけはあるよ」

 気分も良さそうに肩を揺らしながら、こちらに近付いて来る影があった。

 「まあ的はでかかったしぼくは滑り台の上にいた訳だから。あんまりそうそうすごいことでも、ないのかもしれないなぁ。とは言え目を瞑っていたことを考えると、神業と言えば神業かな。ねぇ舞姫ちゃん」

 親しげにそう問い掛けて来る少年の胸をひん掴み、大きく振りかぶって力一杯、しのぶちゃんは少年をぶん殴る。防ぐ気も避ける気もないようにただ目を丸くした少年は、大いに吹っ飛んで公園の丙に頭を強か打ち付けた。

 「何しに来た?」

 しのぶちゃんが問い掛けると、円居愛は裏返った昆虫のような動きでひょろりと立ち上がると、親しさのこもった笑みを浮かべてしのぶちゃんの頭に手を伸ばした。

 「大きくなったねぇ」

 はにかむように笑って、円居愛はしのぶちゃんの頭を撫で付ける。

 「殴る力も本当に強くなった。昔は撫で付けるような力しかなかったのにね。背だってすごく伸びたね。百六十五センチは超えているんじゃないのかい? スタイルだって抜群だ。男の子が放っておかないだろうね」

 「触んな!」

 言って、しのぶちゃんは円居愛の頬を殴り飛ばす。受身を取る姿勢すら見せず、円居愛は無様と形容しても良いくらいに、地面へと体を転がした。

 「すごいねぇ。舞姫ちゃん、もう大人になっちゃったんだね」

 「何でおまえがこんなところにいるんだ?」

 怒気を孕ませた声でしのぶちゃん。

 「つれないなぁ。ずっと一緒にいたんだよ?」

 残念そうな表情をしながら、円居愛は立ち上がって体についた埃を払う。

 「西条デパートに入って行った時も、ゲームセンターで遊んでいた時も、ごはんを食べていた時も、ボウリングをしていた時も。僕はずっと妹の後ろで、君達のことを見ていたんだよ」

 「…………」

 「父と僕の食事を用意したと思ったら、妹は朝の早くから出かけて行った。僕は心配性のお兄ちゃんだから、今日一日妹を見守ることにしたんだ。ダメだねぇあんまり干渉し過ぎると、妹に嫌われちゃうかもね」

 それで。姫ちゃんが家に帰るのを確認して、ぼくらにちょっかいを出しに病院で待ち伏せていた、という訳だ。

 「落ちているボールを見付けて、ひさしぶりにやってみたんだ、バスケ。でもやっぱりおもしろくない」

 「…………」

 さて。どうしたものか。

 この男を警戒しない理由は最早無い。とは言え、下手に手出ししたり、この場を逃げたりしたら、その所為で姫ちゃんに被害が及ぶ可能性も、ひょっとしたら存在しているのだ。

 「妹さんから、あなたは部活動はしていないと聞いたことがあるんですが」

 ならば。とりあえずは和解の糸口くらい探ってみるべきだろう。そう思っての発言だった。

 「ああ。一年生の内にやめてしまった。大会終わったら途端に飽きちゃって。同じことを何年も続けるなんて、そんな忍耐力はぼくにはなかったということかな」

 「それでも。実力はあるそうですね」

 「努力したから、チームで一番だったよ」

 当たり前のことのように、さらりと口にする円居愛。

 「人の言うことが聞けない性質で。だからこうして、昼間にやらない分を夜中に一人で練習することが多かったんだけど。しょっちゅう文句を言われたんだ。でもそれで正解だったと思うよ。体育館で僕を見付けて、良い顔をする部員はほとんどいなかったしさぁ」

 話を聞いて欲しい中学生みたいな言い方だった。円居愛は隠す気のない愉快さを発散させながら、ぼくに話しかけて来る。

 「スポーツのことは、良く分かりませんね」

 「僕もだよ。ちょうどバスケが流行っていたし、学校で一番強い部活動がそれだったからって入部したのは良いが、自分の思った通りにはならなかったねぇ。ただ目立ちたいだけなら、チームプレイのあるスポーツはしない方が良いよ」

 「本当ですねぇ」

 「そもそもさぁ。バスケットボールって、あれは由来はどんな儀式だったんだろ? サッカーの由来は豚の頭の骨を蹴り回すことで、フットボールの由来は豚の腸を投げ合うことだって、訊いたことがあるんだけど。首無しバスケットボーラーとかいう都市伝説を聞いた時、ぼくはバスケの由来を切り落とした人首を使った遊びだと思ったんだよ。抗争の後とかでさ、ありそうじゃない?」

 自分で言ったことがおもしろいと思ったのか、円居愛はそのままけらけらと笑う。無垢で、無邪気で、愛嬌のある、人好きしそうな笑い方だった。

 「そんなことを考えながら、バスケットボールをやっていたんですか?」

 「突飛なことを妄想するのは楽しいじゃないか。例えば今朝妹は魚を焼いて出掛けたんだけれど。もしも人間を丸焼きにしたとして、どこにどう箸を伸ばせば効率的に食べられるのかなんて、僕はそんなことを考えながら魚をおいしく頂いたんだ。と言っても、人間を食べるなら、丸焼きより部位ごとに調理した方がおいしいとも思うんだけれどね」

 とんでもないことを思いつくままに、と言った具合である。しかしその表情を見るに、僕らを不気味がらせようとこんな突飛なことを言っている訳ではなさそうだ。その声調から読み取れるのは、ただの好意と親しみであって、悪意などは一切含まれていない。

 考えるに。きっとこの男は、こんなことくらいしか話せることのない程度に口下手で。

 でも妹の友達としての僕らに無限の好意を向けているから。それでどうにかコミュニケーションを図ろうとして、結果としてこんな途方も無いことを口走るのだろう。

 こういうところが、ほんの少しだけ姫ちゃんに似ているような気も、しないでもない。

 「そういうナンセンスな思考は、確かに楽しいですね」

 「そうだろう。人間はね、ただ何もせずに思考しているだけでも尊いんだ。ところで歩君は絵が描けるんだったよね。一度、生きた女の子の周りを食器を持った人間が取り囲んで、拘束された女の子が悲鳴をあげるのを構わず、もぐもぐ箸を伸ばしているみたいなイラストを描いてみてくれないかな? 何なら忍をモデルにしてくれてもかまわないよ」

 ぼくが応答に困っていると、円居愛は僅かに眉を顰める。しかし次の瞬間には気持ちの良い笑顔を作った。

 「悪い悪い。僕はあまり話すのが上手な方じゃなくてさ。君みたいに真面目に頷いてくれる人がいると、ついつい饒舌になって……。ありがとう歩君、僕はやっぱり君のことが大好きだ」 

 「それは光栄です」

 ぼくはそう言って、唇を僅かに歪めた。

 「妹さんとは、良く話をされるんですか?」

 「ああ。そうだね」

 円居愛は照れたように笑った。

 「妹は優しいからね。時にそれは違うと首を振りながらも、真剣に話を聞いてくれるんだよ」

 「妹さんとは仲が良い?」

 「ああ。世界でただ一人だけ、僕のかわいい忍だよ」

 陶酔したように語る円居愛。彼にしては言葉が端的なのは、それだけ純粋な好意であることを意味しているのだろう。

 「何だよ。それ」

 と、そこでしのぶちゃんが地面を踏みしめながら口を挟む。

 今まで良く黙っていてくれた。しかし、親友のことが話題になり始めると、彼女を止める術はない。

 「おまえが一度でも、あいつの本当の幸せを願ったことがあったか?」

 「そう言われると、もしかしたら、それはなかったのかもしれない」

 円居愛は甘んじて受け入れるように、神妙に頷いた。そして

 「だがこれだけは確かだ。僕は、忍を愛している」

 そう、誇らしげな口調で言ったのだった。

 「……赦さねぇぞ」

 しのぶちゃんは円居愛を睨みつける。

 「おまえが姫にしたことを一つでも、あたしは赦さないからな」

 特定の人物をここまで強い嫌悪を向けることが、はたしてできようかという、純粋な敵意に満ちた面相。今にも円居愛を殺しにかかりそうな、そんな気迫さえ、今のしのぶちゃんには備わっていた。

 「ありがとう」

 円居愛は感動したようにはにかんだ。

 「そこまで強くあの子のことを思ってくれる人がいて、僕は本当に嬉しいよ」

 しのぶちゃんは円居愛を殴り飛ばした。

 円居愛は避けようともしないで、地面に転がった。

 「……しのぶちゃん」

 「あいつには何を言ってもダメだ。とっとと帰ろう」

 「…………」

 しのぶちゃんは振り返って、僅かに肩を震わせながら歩き始める。一文字に結んだ唇は、何かを押し込めるように震えていた。

 ぼくは円居愛の方を振り返った。

 純粋な好意に満ちた笑顔で、円居愛はばいばいと、こちらに向かって手を振っていた。

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