3. 初のモールス信号実験
実験の舞台として選んだのは、村の広場と、そこから二百メートルほど離れた見晴らしのいい丘の上だった。
シュンイチが構築したシステムは、現代の高度なデジタル通信からみれば、泥臭いほどに原始的なものだ。1890年代、マルコーニが人類初の実用無線通信に成功した当時の技術――「スパークギャップ式無線送信機」と「鉱石検波器」である。
送信側の構造はシンプルだ。
ボルタ電池からの電流を、手作りの木製スイッチ(打鍵器)に通す。スイッチを押すと、二つの金属球の隙間で「スパーク(火花放電)」が起きる。火花が散る瞬間、急激な電流変化によって広帯域の強い電磁波――電波が発生するのだ。
一方、受信側は繊細さを極めた。
ガラス管の中に、細かく削った鉄とニッケルのやすり屑を詰め、両端に電極を差し込む。これが「コヒーラ検波器」だ。普段は金属粉同士の接触が粗いため電気を通さないが、外部から電波(電磁波)を受けると、金属粉同士が微小な放電によって引き合い、一時的に電気を通す状態になるという性質を持つ。
通電した電流で小型の電磁石を動かし、鉄板を叩いて音を鳴らす。そして叩いた衝撃でガラス管を揺らし、固まった金属粉をほぐして元に戻す(デコヒーラ機構)。
「シュンイチ、準備できたぞ!」
丘の上で、ガロンが手を振っている。彼の手元には、受信機と小さな鉄板が設置されていた。
広場には、何が始まるのかと野次馬の村人たちが集まってきていた。
「おいおい、あの異邦人の青年、壺と針金で遊んでるぞ」
「開拓村の惨状を見て頭がおかしくなったんじゃないか?」
村人たちの冷ややかな嘲笑が耳に入る。だが、シュンイチは気にしなかった。彼らの無知を責める気はない。目に見えない波で情報を飛ばすなど、経験したことがなければ魔法以下の怪しい奇術にしか見えないだろう。
シュンイチは深く息を吸い込み、木と鉄くずで作ったスイッチに指を置いた。
(届いてくれ……俺たちの、最初の『声』!)
トン、ト・ト・トン。
スイッチを強く押し込む。
陶器の壺から引き出された回路の先端で、青白いスパークが弾けた。
スパーク! スパーク!
目に見えない電磁波の波紋が、アルドの村の空気を切り裂いて四方に広がっていく。周波数帯の制御もされていない、ノイズだらけの荒削りな電波。だが、それは間違いなく、この異世界の空間を疾走する人類の知恵だった。
二百メートル離れた丘の上。
ガロンが目を見開いて、手元の装置を凝視していた。
チッ……チチッ……チッ……
スパークの瞬間に同期して、受信機の鉄板が規則的な音を立てて跳ねた。
「な……!?」
ガロンの口から絶句が漏れる。
糸も張られていない。音声を伝えるような筒もない。ただの空気を隔てた二百メートルの距離を越えて、シュンイチがスイッチを叩いたリズムが、正確に音となって再現されている。
「どうだ……! ガロンさん、届いたか!?」
シュンイチが丘に向かって叫ぶ。ガロンはハッと我に返り、狂ったように両手を振り回した。
「聴こえた! 聴こえたぞシュンイチ! 鳴った! この鉄くずが鳴ったんだ!」
広場に集まっていた村人たちが静まり返った。
何が起きたのか理解できず、お互いの顔を見合わせている。
シュンイチは丘へ駆け上がり、ガロンの手元にある受信機を確かめた。鉄板には、自分が叩いた「ト・ト・ト(モールス符号のS)」のリズムが刻まれていた。
「これが……通信だ」
シュンイチは泥のついた膝をつき、自分の手を見つめた。
科学の灯火は、異世界の土の上でも消えなかった。
スパークギャップ式送信機の出力は微弱で、ノイズも酷く、このままでは数キロメートルも飛ばないだろう。電波法が存在しないこの世界とはいえ、他の周波数を撒き散らす欠点もある。
だが、証明されたのだ。
この世界でも、電磁波は飛び、情報は瞬時に空間を越えられる。
「ガロンさん。これを使えば……何十キロ先からでも、襲撃の知らせを『一秒』で届けられる」
ガロンは武者震いするように体を震わせ、シュンイチの肩を強く掴んだ。
「シュンイチ……お前、とんでもないものを持ち込みやがったな。これが広まったら、王国のあらゆる商売も、戦争も、全部ひっくり返るぞ……!」
「ひっくり返すんじゃない。繋ぐんだ」
シュンイチは遠くの山脈を見上げた。
その先には、まだ見ぬ村々や街があり、そして情報が届かないことで悲劇に怯える人々がいる。
現代の無線技士としての知識と、この異世界のリソース。
それらを融合させ、大陸全体を覆う巨大な通信網を創り上げる。シュンイチの目指すべき道が、はっきりと見えた瞬間だった。
しかし、シュンイチはまだ知らなかった。
この実験から発せられたわずかな電波のノイズが、近郊の街にいた一人の天才魔法使いの「魔導検知陣」を奇妙に揺らしていたことを。
そして、古い情報の独占によって権力を握る者たちが、この「見えざる波」の誕生に忍び寄る影となって動き出しつつあることを――。




